不幸な経験をストレングスと捉えていいのか?
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http://menhera.jp/3343
リンク先の記事、私は興味深く読みました。投稿者の方はおそらく、自身の傷ついた経験をストレングス、あるいはアドバンテージと捉えたのだと思います。
自分の境遇の告白、それに対する葛藤の吐露に留まらずに、逆にそれを強みにしてアクションを起こしたのはとても情熱的で、すごいことだと思いました。
何かしら思うことがあったのか、編集部からコメントが寄せられています。
(メンヘラ.jpで取り上げている記事の中で編集部からのコメントがついているのは、私が観測した範囲ではこの記事だけでした) しかしながら投稿者のエネルギッシュかつ自己犠牲的な活動(対人援助の仕事)は周囲から理解が得られず、被援助者からの要求は次第に激しくなり、投稿者は弱者を憎むようになっていきます。
最終的には体調を崩し、退職してしまったようです。
私はこの記事を読み、「不幸な体験をストレングスと捉えることの是非」について考えました。 自分が経験した不幸を前向きにとらえることは、自己肯定に他ありません。自分が傷ついたのは無駄ではなかった。誰でもそう思いたいはずだと思います。
しかしその考えは必ずしも、幸福な結果をもたらすのでしょうか? マジレスしちゃう
本当の意味で前向きならOKだけど
前向きとか意識したら9割9分ただの不幸の否認になって認められない不幸が無意識の中で暴れ出す >>5
コメントありがとうございます。しかしながら、不幸を認めることはとてもつらいことです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています