森田式が雑用を対人恐怖の患者にやらせるのは、対人の答えがわかるまで行動しようとしない患者に、とにかく動かしてそれを習慣にさせようという考えだから。

でもそれは、泳ぎ方のわからない人に、いきなり背の立たない水の中に放り込んで、「泳げ!」 というのと同じ。

それでは恐怖感・ストレスもすごいし、水は飲むわ、沈むわ、意識不明になり、一つ間違えば死ぬ。
虐待・殺人未遂罪で逮捕されるのがおち。       米なら巨額の賠償金を取られるだけ
これを筋道を辿り、きれいに水をさばく方法をゆっくり教えて、それを理解したら次のステップに行くようにすれば、何の苦痛もなく、安心して見苦しい犬かきのようなバタバタした無駄な動きのない、キレイなフォームで
好きなところへ泳いでいけるわけだ。
俺の方法はそういう方法だから、森田のやり方に比して理想的なわけ。

無だというのはそういうことなんだ。
本物の解決というのは気持ちよく、安心してストレスなく行動力がつく。

それを悪口ゆうから俺は怒るわけよ。     当たり前だろ