スギゾーも病んでた時期があったのかよ



SUGIZO:20代前半は絵に描いたような、退廃的で自暴自棄な生活だったので、自分は30歳まで生きてないと思っていました。特に『MOTHER』リリース以降は、LUNA SEAのあまりに急激な上昇により、自分はすごく疑問と嫌気を感じていて。むしろ落っこちていきたいと思っていたし、すごく心がダークでした。そんな闇の中にいた自分を、日の光にさらしてくれたのが娘の存在でした。そしてその頃から、海外へ足しげく旅をするようになったんです。あるきっかけで、ギリシャへ行ったのも大きかった。子供の頃は普通に知っていた、太陽の光とか青い空とか花や草木など、自然がもたらす最高に気持ちいい感覚をギリシャで思い出して。そのときぐらいから、自分が闇の人間から光の方向に変わっていきました
――30代の頃には仕事も経済面も友人関係もすべてが壊れて、どん底になった時期があったとか。

SUGIZO:問題が起きたのは’03年から’06年ぐらい。この3年間は、自分の中で地獄の季節だったんですよね。何もかも失った時期でした。

――そのとき、支えになっていたものはありましたか? 

SUGIZO:一番の救いは娘でしたね。娘をちゃんと食わせなきゃいけないし、立派に育てていきたいから、意地でも立ち止まらなかった。彼女だけが自分の生きがいだったんです。とはいえ、財も仕事も人間関係もあらゆるものを失って。以前のようにお金を自由には使えない。なぜなら、娘のために残さないといけないから。生活はできたけどギリギリの状態。そんな中で何をしたのかというと、時間はあったので勉強ができました。環境活動、サステナビリティ、エネルギーに関する大量の本を読めたし、あらゆるシンポジウムとか勉強会にも参加できた。そこで学んだこと、そこでできた人間関係、あらゆることが今に繋がっています