大山康晴のクズエピソード

・升田幸三が順位戦1位になり名人挑戦するはずだったが何故かその年のみプレーオフを開催、十二指腸潰瘍を患っていた升田は暖かい場所での対局を所望したが対局前日になってから雪山の高所を対局場にしたと通知。結果は大優勢からの升田の頓死で大山の勝利。(通称高野山の決戦、毎日新聞との共謀だと言われている)
1948年当時は交通手段も未発達だったため升田は当日到着、大山は前日に悠々到着。当時の観戦記には「升田の顔色は外で降りしきる雪のようだった」との記述も。

・棋王戦がタイトル戦に昇格した時、自身が優勝出来なかったため会長権限を使いタイトル戦昇格を一年遅らせる。優勝者の内藤國雄は本来ならタイトル獲得者の予定だったが一般棋戦優勝者に変更、賞金額も10分の1に。

・大山康晴が将棋連盟の会長だった頃、理事を務めタイトル戦でもよく対局した二上達也に対し嫌味を言ったり膨大な業務を押し付け精神的に追い詰める。

・対局相手が考えている際スタッフや記者らと雑談、咳払い、過剰な扇子扇ぎなどで妨害。

・当時高校生だった羽生と対局した際、王将戦の予選にも関わらず会長権限で二日制に。一日目は会館で指し二日目は青森で公開対局。羽生は2日後に竜王戦4組の決勝があり、また高校にも在学中だったため4日間の休学を余儀なくされる。(その後羽生は出席数不足で高校を中退)

・王将戦や名人戦など二日制の対局の際、一日目は大山の好きなタイミングで切り上げることが出来た。(加藤一二三の著者より)


大山康晴の良いエピソード

・健康体升田にタイトル戦1勝5敗、さらに香落ちで敗北(その後升田の病気が悪化し勝ち越し)

・52歳や49歳相手に名人獲得、対局中は覚せい剤を使ってまで勝利していた木村義雄に対する唯一の20代挑戦者となるも敗北

・8歳上の全盛期塚田正夫にタイトル戦で2戦2敗

・3年後に病死する山田道美にタイトル献上(番勝負9勝7敗とほぼ互角)

・パワハラまがいの盤外戦術で年下を恫喝し勝利(中原、加藤一二三、内藤、二上談)

・升田が角落ち戦で完勝した相手であるアマ最強小池重明に角落ち戦で敗北