0003名無し名人2019/10/04(金) 02:35:05.00ID:AqoW2TSE
でも今日の羽生ー渡辺は本当に素晴らしい勝負だった。
羽生も大山も渡辺も本当にプロ中のプロだよ。
0005名無し名人2019/10/05(土) 02:27:33.66ID:vbZAFg5t
test
0006名無し名人2019/10/08(火) 18:48:26.53ID:AvvLO/Mm
6
0007名無し名人2019/10/14(月) 18:14:49.15ID:2f+1ZH6o
7
0008名無し名人2019/10/20(日) 21:34:47.74ID:n//UvZoR
8
0009名無し名人2019/10/22(火) 16:43:55.28ID:cCOebbl8
9
0010名無し名人2019/10/25(金) 14:25:52.94ID:SDfP2EiN
10
0011名無し名人2019/10/28(月) 14:40:49.01ID:QCJmllds
11
「福田家事件」
昭和49年、棋聖だった内藤は、挑戦者に大山を迎えた。
そのときのたぶん第1局だったと思うが、東京四谷「福田家」での対局前夜、ちょっとした事件が起こった。
その日、内藤は東京につくのが少し遅れた。待っていた大山は、新聞社の設営担当者に、時間に
なったから会食をはじめるよう、うながした。大山が言うのなら仕方ない。担当者は従った。
大山の食事は早い。出される料理を片っ端から平らげ、一通り出て終わると、すぐ御飯を頼んだ。
対局前夜の宴会だから、ゆっくり酒を飲みたい人は多かったが、そんなのはお構いなし。
早々に食事を済ますと、すぐ麻雀の用意をさせる。これがタイトル戦での大山ペースだった。
ちょうどそのとき、内藤が着いた。すぐ宴会場に行くと、もう膳はすべて下げられていた。
それを見て、内藤の顔色が変わったそうである。物も言わず、荒々しい足取りで部屋を出た。
麻雀を打っていた大山は、ちらっと内藤を見た。それはぞっとするほどの、軽蔑のまなざしだった、という。
自室に入って、内藤の憤懣はますます嵩じた。
内藤が関西を立つときは、主催誌の担当者がつきそっていて、やむを得ない事情があって、少し遅れるのは
伝えてある。なら、少しくらい待っていてくれそうなものではないか。タイトル保持者の面目は丸つぶれだ。
こらえられなくなり、銀座に出て、その夜はしたたかに飲んだ。それに付き合ったのは、芹澤博文だった。
翌日の対局は、もう書くまでもない。内藤は惨敗し、そのシリーズは、1勝3敗で内藤はタイトルを失った。
内藤は、中原と並んで、大山を倒す有力候補だったのである。それが、この時の棋聖戦を境に、内藤は
大山に全く勝てなくなり、これ以後十年以上に渡って、肝心の順位戦では一度も勝っていない。
大山は、自分の地位を脅かすような後輩すべてに、このような仕打ちをし、そうして勝ち続けたのである。
「大山は対局中、内藤先生の考慮中に、
『内藤さん、テレビに出ると、いくらもらえるの?』
なんてことをぼそっと聞いてきたんだそうだ。
カチンと来て集中できなくなったとか。」
「封じ手を2時過ぎにやって、すぐ麻雀にしようとか」
「福田家には、お手つきの仲居さんがいたしね」
「大山はそういった対局中の雑談攻撃が大の得意だった。
名人戦でも山田さんの考慮中にパチンコ談義を続けて山田さんブチ切れ。
大山は密室時代の最後の大物棋士で録画録音を嫌ってた。
還暦で名人戦に出たときはマイクを切ることに異様にこだわるし。」
現代の感覚で判断すると、大山の盤外戦術は常軌を逸していましたから。
0017名無し名人2019/10/31(木) 21:58:56.62ID:0WlVKtIN
17
「麻雀旅行 ― 対局場を仕切って自分のペースにする」
大山は全盛時代、タイトル戦の対局で全国を転戦していたが、まるで麻雀旅行みたいな有り様だった。
対局場に着くと麻雀卓をすぐ用意させ、立会人や記者などの関係者と麻雀を打った。
それは対局前夜、1日目の夜、2日目の終局後と、3日間に及んだ。対局中には自ら関係者を指名して
控室で打たせ、たまに立ち寄って観戦した。大山は麻雀を楽しむために対局しているようだった。
だから麻雀をしない者は疎んじられ、「立会人は麻雀を打てる人にしてほしい」と関係者に注文をつけた。
私は修業時代、大山のタイトル戦の記録係を何回か務めたが、不思議な光景を見たことがある。
1日目の封じ手時刻(当時は6時)を2時間前に早めることを、大山が相手の挑戦者にじかに
持ちかけたのだ。その2時間分は折半し、両者の直前の指し手に1時間ずつ加えて「みなし長考」に
するもの。大山のこの不可解な申し出に対して、若くて従順な挑戦者は断りきれなかったようだ。
まだ陽の高い4時に封じ手となり、1日目が終わった。
私は先輩の記録係から聞いて、その事情を知った。
大山は対局を早く切り上げて麻雀を打ちたかったのだ。
やがて控室から麻雀パイの音が響いてきた。
大山はタイトル戦の対局で、なぜあれほど麻雀三昧に過ごしたのか。
大山にとって麻雀は、スポーツ選手の軽いストレッチ体操みたいなもので、頭をほぐして
気分転換を図ったと思う。それと、別の大事な理由があった。
大山は盤上の戦いだけでなく、対局場を仕切って自分のペースにするのも戦略だと思っていた。
麻雀はその小道具だった。ひとつの盤外戦術といえる。
「宴席出席を強要」
羽生善治がまだ駆け出し(C1級で高校に通学中)の頃に、大山康晴との対戦
(1988年5月王将戦二次予選)の前後に過密スケジュールを大山に組ませられ、
しかも大山は途中で対局を一時中断すると羽生を青森県百石町まで連れ出し、
そこで対局の再開を強いた上に後援会の宴席まで出席を強要した。
0021名無し名人2019/11/07(木) 07:09:50.48ID:naOJ5DwV
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0022名無し名人2019/11/15(金) 11:02:29.63ID:Iped9JW7
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0024名無し名人2019/11/18(月) 18:04:18.71ID:jOlAZMXt
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0026名無し名人2019/11/24(日) 20:07:50.08ID:zDYhoUkU
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0027名無し名人2019/12/03(火) 10:55:29.55ID:4Iqs5dBn
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0028名無し名人2019/12/06(金) 12:19:27.00ID:vs9OVy0l
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0029名無し名人2019/12/13(金) 13:33:30.72ID:lZ/E2bv1
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0030名無し名人2019/12/17(火) 21:02:36.78ID:J65np/6U
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0031名無し名人2019/12/19(木) 23:52:38.11ID:TYSiPf75
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