ズキリとくる尿意に突き動かされ、部屋を出た。慌てることはない、トイレはすぐ近くだ。
「慌てず急げ」これは父が35年前に生んだ息子が35歳の誕生日につぶやいた言葉だ。
ハッピーバースデイ、俺。

廊下の隅に雑巾が投げ出されているのが目に映った。もし知らずにあれを踏んづけていたらと思うと、
盛大にひっくり返って熱いしぶきを天に噴き上げる己の姿が脳裏に浮かんで口元がゆるむ。だが俺は慌てず急ぐ男だ。
このミッションに失敗は許されない。

トイレの扉の前に立って深呼吸一つ。中に誰もいないことを確認。よし。
そもそもここに住んでいるのは俺一人なのだから当然だ。だが俺は念には念を入れる男だからな。
ドアノブに手を伸ばし、完全勝利の手応えを感じながら扉を開けた。
誰もいない。そう、俺を邪魔することのできる者などここにはいないのだ。
笑い出しそうになるが、それをこらえて最後の作業を済ませねば。

ドカンドカンと音すら聞こえる一歩手前の、いきり立つ股間のものを解放するため
ズボンのチャックをつまんで引っ張る。ふぬ。
たまにあることだが、チャックが激しく抵抗し、右手は弾かれたように空を切る。
ミッションのラスボスのおでましって訳か。慌てず急ぐ俺に戻った。
ふぬ、ふぬッッ。手強い。ひょっとしたらチャックが壊れてしまっているのではないか?
こういう時に力まかせに挑むとどうなるか。
引きちぎったチャックをつまみ上げて呆然と佇む己の姿を必死に頭から振り払う。
なんてことはない。俺は今まで何千回、何万回とこのミッションに打ち勝ってきたんだ。

もしもの場合にそなえ、別の選択肢も用意しておこう。
1.ハンカチによる握力の支援。2.丁寧にチャックをはめ直す。
3.ベルトを緩め、強制脱出。4.ザ・ブルート・フォース・アタック。完璧だ。

ふぬッ、あれこれ考えているうちに開いてしまった。
やはりどうということはなかったな。俺の冷静沈着さを光らせるよい演出だった。さらばラスボスよ。

それじゃあ早速、発射…ビチャビチャビチャ。黄色い軌跡は大きく狙いを反れ、
原因に気づいて立て直す俺の耳に盛大な音が響いた。ええと、雑巾はどこにあったかな。