参照されたし。
「戦史叢書 陸軍航空の軍備と運用(2)」(防衛庁防衛研修所戦史室)

(1) 英軍哨戒機の撃墜
 昭和16年12月4日早朝、山下中将指揮の第25軍を乗せた約60隻の船団は三亜を出港し、南下を続けました。
この時点の情報では、英軍は地上兵力約6千名、戦艦プリンス・オブ・ウェールズ及び戦闘機数個中隊の増強が伝えられていました。
さて、12月6日12:00頃、カモー岬南東点(下図のD点)
を、予定よりも3時間早く通過した時点で、コタバルから発進
したオーストラリア軍のロッキード・ハドソン爆撃機に発見され、
シンガポールに打電されます。そこで、船団は直ちに右に舵
を切ってタイ国行きを偽装しました。
 12月7日のシャム湾は層積雲(むら雲)が海上200mまで
垂れ下がり、時々降雨がありました。この状況下で、船団掩護
の第12飛行団・飛行第1戦隊(97戦)の窪谷敏郎中尉が、
パンジャン島北西40km地点において、10:25頃カタリナ飛行艇に発見され射撃されましたので、
同中尉はこれを撃墜しました。
当然、この地点ではあらかじめ、射撃されなくても撃墜することになっていました。
カタリナ飛行艇は英軍司令部に連絡することなく、海中に没しました。