とりあえずこれは、有力な根拠となる。


菅原は開戦直前の12 月7 日に海軍
機がイギリスの飛行艇に遭遇しこれを撃墜した際、戦機と見て戦端を開くか否か迷い、
結局、いまだその時機ではないと思い止まっている。菅原にとっては作戦初動において
如何に先制を確保するかということが、作戦開始にあたっての最大の関心時であった。
この考えは作戦初動から積極的な攻勢にでなければ、短期間のうちに致命的な打撃を受
け作戦全体が当初から望みを失う、後退による建て直しや防御といった作戦は航空では
成立しないという航空作戦の特質を踏まえた信念によるものであった32。

「航空視察団報告(第一巻)