【子供たちに伝えたい日本人の近現代史】
(64)「砦」のサイパンまで失う

 11月、米軍がブーゲンビル島に上陸、19年2月には連合艦隊が新たな拠点としていたミクロネシアの
トラック諸島を爆撃、連合艦隊は主力は内地へ、遊撃部隊はパラオに撤退せざるを得なかった。
 巻き返しを期す海軍は19年5月、ボルネオ島北方のタウィタウィ泊地に小沢治三郎中将率いる空母部隊
と栗田健男中将の戦艦部隊を結集させた。さらにマリアナ諸島テニアン島に拠点を置く基地空軍を設け、
1600機以上の飛行機をサイパン、グアム、ヤップ、パラオなどの島に配備、艦船と陸の双方から迫り来る
連合軍との「決戦」に持ち込もうとした。
 同時期、米軍がニューギニア島北のビアク島に上陸、タウィタウィの日本部隊の主力が同島を奪還に
向かった。ところがその裏をかくように、米の空母など機動部隊が6月11日、マリアナ諸島の東の海上に
現れる。サイパン、グアム、テニアンなどの日本軍基地に猛爆を加えた。
 さらに2日後にはサイパンに艦砲射撃を加え、15日上陸、たちまち占領してしまった。これに対し日本軍は
急遽(きゅうきょ)、小沢艦隊を向かわせ、日本が誇る戦艦「武蔵」「大和」とも合流、19日、マリアナ沖での
一大海戦に臨んだ。
 とはいえ戦力は空母だけみても日本の9隻に対し米は15隻、空母の艦載機も400機余りの日本に対し
米は約900機を数え、米側の優位は明らかだった。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140629/art14062912300002-n2.htm

これ、初めからマリアナ諸島に兵力を集めておいたら、日本はそんなに簡単に負けなかったんじゃないの?