昭和15年に起きたドイツ快進撃に目を奪われた陸軍は、
「バスに乗り遅れるな」の合い言葉で南方作戦に夢中になっていた。
多くの陸軍将校を民間人に扮装させて各地に送り込み、兵用地誌を調査させ、謀略にも手をつけていた。
当然、この頃に作戦概略はできていた。

参謀本部作戦課に開戦時在籍していた井本熊雄参謀の証言

「昭和15年10月、参謀本部作戦課参謀の井本熊雄が、中国戦線から約一年ぶりに
作戦課に戻って来て、ドアを開けると、異様な光景が目に飛び込んできた。
壁という壁が東南アジアの地図で埋まっている。
ベトナム、タイ、インドネシア、・・・。
膝くらいの高さの中央テーブルにも東南アジア全域の地図が広げられ、
参謀たちがかじりついていた。泥沼のシナ事変から這い上がれないでいるのに、
肝心のシナの地図は壁に一枚だけ。
南方を攻略することしか考えていない。これじゃ日本は危ない、と思った」
と。後に東条英機の秘書官も努めた井本氏は戦後、以上のように語った。

しかし、16年の春頃にはそドイツの戦況にもかげりが出て、これら南方作戦は一旦、留め置かれていただけ。