ファシスト政権内での序列における伊海軍の位置は軍事予算の分配によって示されていた、予算の分配(の権限)はムッソリーニが
最終的な支配を保持していた。
 海軍は一貫して公明正大な分配を受け取っていた、1925年度から1935年度にかけては三軍全体の支出の約四分の一が海軍の予算で
あった。その一方で陸軍はムッソリーニが権力を奪取する以前からもファシスト運動を支持しており三軍合計予算の56%にあたる予算
を獲得していた。
 空軍(ムッソリーニ自身のお気に入りの軍隊であった)は、1935年までは残りの18%の予算を貰っていた。
 ひとたび戦争が始まると、陸軍は支出金の74%を受け取り、海軍の分け前は12%に激減した*4。全軍の軍事費支出は1925年度の230億
リラから1940年度の1,050億リラへと増加した。それでもなお軍事費支出には上限が設けられていた。
 1939年に、軍事費は1920年代と比べると急激に増加したにも関わらず、イタリアの国内総生産(GDP)は比べると、英の半分、独の42%
であった、さらに伊の軍事費は対GDP比たったの10%であり、独は32%もあった。
 民主的な国家の英国でさえ軍事費はファシスト・イタリアのそれより多く、英国はGDPの50%以上を軍事費に費やしていた。

one billion 1940 lira=$50.5 million 1940 dollars or 703 million 2005 dollars based on CPI.

*4 相対的には減ったが絶対値は増えている。