シベリア方面への部隊移動は44年末にはすでに始まっています
もともと関東軍と真っ向から戦えるほどの大軍団が独ソ戦の最中も維持されていたくらい
(精鋭は引き抜かれたが代わりの部隊が補充されたため、42年を底に部隊規模は比較的短期で回復した)

極東軍はソ連にとっては安全圏で部隊を編成できる後方として機能し、軍需物資の蓄積も行われていたので
精鋭部隊の移動さえ済めばそのまま対日戦の策源地に早変わりしました

極東に拠点を持たず、沖縄にイチから部隊を設営しなければならなかったイギリスとはハンデがありすぎます