【陸軍】日本軍航空部隊パイロット総合6 【海軍】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>12
基本撃たれると思ってないし敵を追っかけて焦って直線的な動きをしてたりするから、友軍の対空砲火って結構当たりやすいんだよ
だいたい、艦隊の防空圏内にノコノコ入り込むことが許されべからざる失態なんだが
IFFで敵味方識別できるわけじゃないし、対空戦闘中に上空にいたら問答無用で撃っちまうよ >>13
大多和達也著 予科練一代 ある艦攻パイロットの悪戦苦闘記 かな?
艦攻艦爆は戦闘機乗りとまた違った感覚で興味深くはあるんだけど
魚雷や爆弾を抱えた身重の不自由さでバタバタと落とされていく
(しかも一機につき二、三人の搭乗員の命が失われる…)
ってのがなかなかいたたまれないよな >>14
やーでもミッドウェーみたいな度重なる波状攻撃を受けてる状態じゃ、
上空直掩でも弾の補給とかで降りないわけにも行かないだろうし…
「味方の対空砲火に当たるやつがマヌケなんだ」みたいな言葉もあった気はするが >>15
森捨三さんの「奇蹟の雷撃隊」や村田重治少佐を書いた「海軍魂」も味わい深い。
だが貴方の言うように防御力ゼロの艦攻の悲惨さは戦闘機の比じゃないね。 日本の空母は一発でも受けたらそれで終わりだからな。
小町定さんなんかはよく生き残れたと思う。
小町さんのような本物の叩き上げのパイロットも内地で説教するだけの
下士官も昇進は同じなのは欠陥だったな。 緒戦の機動部隊にいて最後まで現役だった艦攻乗りはどれくらい残っているのだろう。 >>19
雷撃を三回やった奴はいない(実際にはいるにはいるらしい)ってレベル 南太平洋海戦みたいな勝ち戦ですら、一回の攻撃ごとに
機材と搭乗員を物凄い勢いで消耗していくんだよね…
ここで真珠湾以来のベテラン搭乗員を多数失った帝国海軍は、
その痛手から二度と立ち直ることが出来なかったという 立ち直ることができなかったのはせっかく再建しつつあった母艦航空隊を
い号やろ号といったソロモンの消耗戦に投入したことが原因だけどね
かといって投入しなければ、ソロモンが無力化するのが史実より早まることになるが それに対しアベンジャーやドーントレスは、見るからに頑丈そう。 勝ってるときでもパイロットの損害はアメリカより日本のほうが多いんだからどうしようもない
戦前からの熟練パイロットがつきた昭和17年で実質終わってた 発想としては短期決戦だからそれでもいいんだけどね
戦争が長期化したらそらアウトだわな 発想としては短期決戦だからそれでもいいんだけどね
戦争が長期化したらそらアウトだわな 発想としては短期決戦だからそれでもいいんだけどね
戦争が長期化したらそらアウトだわな 710 :名無し三等兵:2014/09/14(日) 22:17:40.31 ID:Fjutrn51
>>706
>坂井氏の著作は事実と違うまったくの創作小説である。
違うな。
事実と全く違う捏造物は、3月31日に根拠も無く彼らを勝手に戦死とした
1空の行動調書の方。
坂井信者が暴れてると思ったら次スレ立てる前にスレが落ちてたのか
相変わらず滅茶苦茶な言い分だな
攻撃機は自爆でも消耗しているが、機体を調べられてもたいした技術はないから
搭乗員たちの生還を優先した方が効率はよさそうに思う 日本は攻撃機や爆撃機に恵まれてないからな
いい機体がない 坂井三郎の売名行為
【ホラ武勇伝】
・坂井「僚機を失ったことがない」←死なせた僚機たちをもみ消し(横須賀海軍航空隊硫黄島派遣隊戦闘機隊戦闘詳報)
・坂井「B17の初撃墜に参加」←参加してない(大空のサムライ研究読本)
・坂井「下士官で組まれた小隊の隊長に唯一人選ばれた」←他にもいくつもある(大空のサムライ研究読本)
・坂井「敵に追われる同期の乗る攻撃機を果敢に守った」←そんな戦闘なし(大空のサムライ研究読本)
・坂井「B17の部隊を全て撃墜」←架空の戦闘を虚偽報告(米第5空軍戦時日誌)
・坂井「輸送機を逃してあげ戦後乗っていたオランダ人と再会」←そんな戦闘記録なし、再会もただの自称(台南空飛行機隊戦闘行動調書)
・坂井「8月7日空戦で負傷しリタイア」←戦闘の負傷じゃない(台南空飛行機隊戦闘行動調書)
・坂井「西澤、太田と敵基地上空で宙返り」←そんな出撃なし(大空のサムライ研究読本)
・坂井「64機撃墜」←売名のための創作(祖父たちの零戦)
・坂井「ラバウルで鴛淵を育てた」←面識なし(台南海軍航空隊第1巻)
・坂井「横空で紫電改のテストパイロットでした」←本当は宮崎の飛行隊で紫電の整備(海軍戦闘機列伝)
・坂井「笹井中尉の手紙で撃墜五十機以上、神の如き眼、海軍の至宝と絶賛されている」←本当はそんなこと書かれていない(大空のサムライ完結編)
【無責任な言動】
・坂井「日本は寄生虫」→寄生虫はねずみ講で搾取した坂井(歴史通)
・坂井「日本人は歴史を知らない」→坂井「韓国のおかげで日本があるから金を渡せ。ベトナムでも韓国軍が一番勇敢だった」歴史を知らない坂井(歴史通)
・坂井「私の勤務地には慰安婦なんていなかった」←いたのに頑なに否定して自己保身に走る坂井(修羅の翼)
・坂井「特攻に行かせるなんてひどい」←さんざん行かせた坂井が全て他人事(零戦の秘術)
・坂井「今の若者は向上心がない」(爺言)←若者の前では言えない(朝まで生テレビ)
・坂井「終戦後の攻撃は松田司令の命令」(爺言)←本当は攻撃禁止命令を無視して勝手に攻撃、司令の死後に全て責任転嫁(大空のサムライ)
・坂井「天皇たちに騙されたから戦った」←終戦後に命令無視の攻撃までしておいて全て人のせい(爺言) NEW
一空事件の自爆機を見送り、そして風防に文字を書いて、「生きろ」との意味のメッセージを伝えた。
私たちはそんなばかなことはあるかと言ったけれども、とても私たちの意見は通りません。
←坂井氏が所属する台南空がラバウルに進出するのは昭和17年4月16日でラエに進出するのは昭和17年4月17日である。
3月30日、31日に自爆中攻機を最後に掩護したのは4空の零戦3機であり坂井氏ではなかった。 真珠湾の第一次攻撃隊、艦爆隊長の高橋赫一少佐機(だったと思う)の250s爆弾に
白墨で「対米戦第一弾」と書いて、他にも各艦で各々思い思いにいろんな名句?を
爆弾や魚雷に書いたが、傑作だったのは飛龍で「粗品」と書かれた(搭乗員不明)
のは冗談が利いていた。 B29の爆弾にも日本猿4ねとか書かれていた
アーノルドはルメイを超える畜生 ドゥーリットル中佐が東京初空襲の時にハルゼーから「奴らに突き返してやれ」と
日本から受勲した勲章と自身も日本から受勲した勲章を爆弾に結び付けて叩き返して
やったってジョークもあったな。 >受勲した勲章と自身も日本から受勲した勲章を爆弾に結び付けて叩き返して
これは大人気ないな(苦笑 ナム戦でキッチンやトイレまで落とした米軍の方がセンスは上だわな >>37-38
実際に空母上で爆弾に張り付けている写真がありますな。 そのころ坂井さんはというと戦いもせずに風防に「生きろ」と書く自分の姿を想像していたわけだなw 大田正一といい、坂井三郎といい
特務士官は少尉になるとクズになる呪いでもかかっていたのかね 大田少尉?
まさか少尉がいなければ特攻が無かったとかアホなこと妄想してるわけではあるまいな >>43
そんなわけはない、軍の上層部で特攻は既定路線だった
が、大田も特攻を提案しておいて自分は行く気がないクズだったろ >>42
坂井三郎は30−06弾を頭部に被弾している。察してやれ。 坂井の頭部被弾もホラ
支那でも負傷したって言ってるが…
もう何がなんやら 坂井さんは黒板を持ち歩いていた設定では?
現実に黒板で連絡を取っていた搭乗員なんていたのかねぇ 他の搭乗員も使ってる割とポピュラーなものだが>黒板 ここまでで坂井さんに誹謗中傷のレッテルのは坂井さんアンチの>>50だけ(>>32>>33>>41>>42>>45>>46)
>>50は他のスレでもいろいろな場所で嘘をまき散らしている在日ニートくんwww 零戦スレにも湧いてる基地外>ID:82YP3Rpg >>52=>>50はスレを回って誹謗中傷レッテル貼りを繰り返す基地外アンチ >誹謗中傷レッテル貼りを繰り返す基地外アンチ
自己紹介? とかく問題行動だらけの坂井さんだが
実際の戦闘状況はそうであれ、頭部負傷で命からがらの件はウソじゃないよ
写真だって残っているし 岩井の交戦回数は、瑞鳳のときの2回、601空3回程度
あとは中国で数回だけで、
塚本は、瑞鶴に乗ってるときに2回、252空では3回程度
これが偉そうに零戦を語れるような人物なんだろうか >>56
適当に書く前にソース出せば?
調書をしっかり読めばそんな回数ではないのはすぐわかるんだが 馬鹿はやっぱりここにもいたかw
ニワカ馬鹿はまともに相手しない方良いよ。
こいつ本当はアンチ坂井なのかもw
坂井マンセーしてるようでその実落としめてるw 坂井氏の零戦の評価が信用できないなどとほざいていた
基地外アンチが出してきた塚本も岩井も中国での回数を入れても
敵機との交戦回数は10回程度
これで零戦を語る資格があるだろうか
調書を読めないのはピーピー騒いで無知を曝したアンチの方だったなwww このアンチは以前も、逃げて誤魔化したから釘を刺しておこうか
塚本は、瑞鶴に乗ってるときの4月のインド洋と5月の珊瑚海海戦の2回、(1月のラバウル空襲では敵機がいない)
252空では数ヶ月あわせて3回程度
岩井は、瑞鳳に乗っているときの3月に2回と4月のい号作戦で2回
601空では数か月あわせて3回程度
この他に硫黄島や中国で数回ある程度で、坂井氏と比べたら天と地の差
偉そうに戦闘経験があると言えるような人物ではないな。 だからバカに構うなって
脳内ソースしかない奴とまともなやり取りは不可能なんだから。 「零戦燃ゆ」とかの映画で、山本長官 が戦死し後、護衛にあたった戦闘機の部隊は見せしめのために
、戦死するまで連日出撃させられたって描写があるけど、出典ほ何処なんだろうか? >>63
アレは嘘だよ。
他の搭乗員と比べて、出撃数は変わりません。
ただし、彼らが責任を感じていたのは事実です。
彼らのせいではないのにね。 零戦が日本で飛行する時は、元搭乗員さんを招待しましょう。 ラバウル航空戦で零戦に乗り、紫電改に乗って本土防空をした本田稔さんという伝説級が残っている
戦後生き残った中でこの人より格上だったエースは、岩本、赤松くらいでしょうな 今朝の読売新聞朝刊に、原田要さんのインタビューが載ってる。
お元気そうで、なにより。 村岡英夫戦隊長が、昨年逝去されていたことを、今頃知った。 海軍にいた徳川中尉が江戸徳川の血を引いてるってマジ?
この前本に載ってたんだけど >徳川 熙(ひかる)
(15代将軍・徳川慶喜の九男。
呂101潜水艦先任将校(水雷長)として戦死した)
たしかレイテで戦死した海軍士官にも大名家の子孫がいたな ちなみに東郷平八郎の孫 72期生の東郷良一(少尉で重巡洋艦摩耶に乗組み、比島沖海戦で戦死し2階級特進で大尉になった)
曾孫の防衛大学校卒の幹部海上自衛官東郷宏重なんかも 東郷良一は凄く痛快な人だったらしいね。
いろいろなエピソードが有って。 >>76
そっちじゃなくて航空隊の人の方に徳川中尉いなかった? >>79
それ、陸軍じゃないの?
日本人初飛行の人。 >>81
ごめん手記だから信憑性はかなり低いと思うけどさがして見る 徳川好敏(陸軍)はこのスレでは常識以前の一般常識だろ。
清水徳川家当主で日本人初飛行。
当たり前過ぎて、まさかそんな事を聞いているとは誰も思わなかったんじゃない? >>83
海軍だから
手記だから本当に徳川の血を引いてるか信憑性は低いけどそこの記述を探してくるってこと
誤解しないで 徳川忠永中尉だ
海軍兵学校出の艦攻操縦員で昭和18〜19年頃に鈴鹿海軍航空隊の教官って事は分かったけど
他にも情報あったら教えてください 凄いパイロットほど戦死してるかほとんど表に出てこなかったから情報が少ない
無名の名パイロットはまだまだいたのだろう
ほら吹きさぶちゃんのようにポリシーのない無駄話はいくらあってもゴミでしかないからな
本当に残念 そういう人ってあんまり取材に応じないんじゃない?
職人気質というか ゴミというのは>>87のようなレスのことだよねw
坂井氏の本が世界中で売れた事実も知らずにゴミとかアホだなぁ >>89は日本で売られてる坂井の本と海外で売られてる坂井の本が
全く別物であることも知らないのか?
出版する国によって経歴も思想も変わる男の話なんて何の役に立つんだ 海外での坂井の本のあらすじが少し紹介されてる
「大空のSAMURAI!1」 - ネイビーブルーに恋をして
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/6b046aaa265b6f1ccba19b000ee02a0c
坂井三郎のほらを掘り下げてるスレ
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1427629202/
坂井三郎がただのほら吹きだったというのは軍事板では常識なんだが
隠ぺいしてるマスコミのせいで専門書を読まない初心者には寝耳に水かもな 売れてるかどうかと、内容の信憑性は全く無関係だしなあ >>90
意味不明。
それと売れたことになんの関係が?
この馬鹿アンチは坂井氏の著作を学術書か何かと勘違いしているようだ
ID:CaZb36b8=ゴミと図星つかれて必死wなのはわかったが ちなみにここを覗く皆には周知だろうが
ID:CaZb36b8は有名なキチガイ坂井アンチです
そのキチガイぶりはこのスレでも(>>32>>33>>41>>42>>45>>46)を読むとわかります 嘘でも売れさえすればいい、というだけの本だからゴミ以下の価値しかないよな
坂井三郎のように自己宣伝に没頭した風見鶏から得られるものは何もないし… >>96=キチガイアンチは読んだことの無い本をよく妄想できるなw 売名のために死なせた部下までなかったことにした坂井三郎
金や名声がそんなにほしかったのかねぇ
化けの皮がはがれた牟田口や坂井を今も必死に擁護してるのなんか土足だけだわ
売国奴どものいいわけに加担するクズもさっさと死ねばいいのに 撃墜しすぎて公職追放になった岩本徹三の手記が亡くなるまで出版されなかったのと比べると
最初の数か月しか戦地にいなかった坂井三郎が有名になったのは自己宣伝のおかげだよな
当時の新聞などでも表彰されてるのに名前だけしか伝わっていないような名パイロットもけっこういる
岩本はいまでこそ名前も有名になったが、他の埋もれた人たちが再発掘されることはあるのかな カメラマンの人なんかがすでにやってる以上、もう撃墜数がすごいなんて人は出てこないよ
もう当時の人のほとんどが物故されているんだし 確かにシナで有名になって対米戦で戦死した人なんかは脚光を浴びてない気がする >>99
そこらへんは渡辺さんがやってるくらいか
ここ数年の掲載コラムや短編集読む限り、当事者関係者が亡くならないと出せない話は相当持ってるみたいだし ★海軍は日中和平交渉を妨害する目的で自作自演の謀略によって大山中尉に自爆させ日中戦争を正当化する宣伝を行った。
『大山勇夫の日記』
日記は、事件前日の8月8日で終わっていて、その日のところに大山中尉の遺髪と、出征に際してお母さんが贈ってくれた半紙大の絹布で作った千人針と、絵葉書が挟まれていた。
その絵葉書には「自分が明日、突撃して死ぬ」という覚悟と、恋人のことが書いてありました。つまり、大山中尉の遺書になります。
おそらく、8月8日に、「お国のために死んでくれ」という「口頭密命」を受けた。8月8日の夕食後、書類整理をして、自分で書類焼却を行い、身辺整理を済ませ、
最後には風呂に入って、襦袢と褌を新しいものに着替えた。 翌日の「死」を覚悟していたことが分かる。
事件当日の8月9日には、起床後、浴室において冷水で身を清めた。斎戒沐浴である。武士道で言えば、死を覚悟しての出陣・自害の儀式である。
★山本五十六は捕虜となった搭乗員に自爆を強要
しかし、昭和十七年(1942年)5月の初めでした。その搭乗員たちにもついに最後の断が下りました。
山本五十六長官によって、これを自爆させろという命令がまいりました。
その頃、私たちはポートモレスビーのアメリカ軍機と戦っておりましたが、五月の初めに前進基地のニューギニアのラエという基地に、
森玉部隊から 二機の九六陸攻が飛来いたしまして、一機は彼らが搭乗していました。
そして、もう一機には飛行長が乗っていて、彼らの最後を見届けるためにやってきました。私たちはそんなばかなことはあるかと言ったけれども、
とても私たちの意見は通りません。
『知られざる坂井三郎』大空のサムライの戦後 【第一章】坂井三郎のラスト・メッセージ 日本外国特派員協会講演<1>(1992年6月15日) 岩本徹三さんの「バカな参謀サヨーナラだ。」っていうエピソードが好きなんだけど、
鹿屋から爆装戦闘機を輸送しろと命令されたのって、もしも鹿屋に行ってたら、
特攻に行かされてたのかな?
詳しい人、どう思いますか? 頭のイカれたお馬鹿な参謀でも、岩本少尉の事くらいは知っていたでしょう。
特攻援護機で出撃じゃないかな。 鹿屋の参謀はバカが多いイメージだけど、イニシャルを書いてない所を見ると
戦後も生き残ってる感じ
例の「台●沖航●戦」に出てた人じゃないのかな?
日吉に呼び出されて、(おそらくこっぴどく絞られたのを)すっかり忘れたとしらばっくれてるのを見ると、
相当腹黒いと思った。 >>105
ぶっちゃけ名うての古参だろうがしょせん下士官・特務士官程度…
あの時期なら安々と使い捨てられそうな気がするけどなぁ
出身や階級に比較的平等な陸軍でもある程度の温度差は感じられるのに、そこらへん差別が激しい海軍ならなお更 >>107
343空で武藤少尉のような古参の引き抜きが大変だったことを知っていれば、そんなおかしな考えはしないと思うが 岩井勉さんの僚機で、見捨てて逃げた長與走って戦死してたんだw
良かった良かった 渡辺洋二って本やコラムにまとめた関係者対談でたまに毒吐いてるとこがいいよな
あれだけの海千山千の旧軍航空の関係者を取材してたらそういう目にあうこと多々あるのはわかるけども
大抵は遠まわしにぼかしまくって愚痴ってたりするんだけど、たまに名指しだったりするのはよほど癪だったんだなとw >>110
> 関係者対談でたまに毒吐いてる
kwsk 戦中は川崎の技師で戦後は日飛社長のN氏を荒蒔さんの仲介で同行取材した後日、
「性格の固い真面目人間」と前置きしながらも、会社宛に本人の写真借りる為に手紙出したけどナシの礫だった、
ていう話は渡辺さん本人実はそこそこ癪だったんだろうなぁとは感じられた
荒蒔さんの仲介や社会的立場の差をあげて自身謙遜恐縮してるようにみえて
「新米社長の彼にしてみれば、どこの馬の骨か分からぬ奴に変なことを書かれちゃかなわん、と考えるのが当たり前なのである」という余計な一文から負の感情がひしひしと
「新米社長の彼にしてみれば」って言い草はどうよっていう >>112
意外と皮肉屋なんだな
普通に本文読んでるだけだともっとひたすら折り目正しそうなイメージだったがw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています