【陸軍】日本軍航空部隊パイロット総合6 【海軍】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>270
海軍の陸上戦闘機は早発の「月光」からなので、艦上爆撃機よりもっと後
96艦戦とかの艦上戦闘機を配備したけど、一切の離発艦訓練を廃した陸上戦闘機部隊は渡洋爆撃が本格化したマル4計画で初めて盛り込まれ、
紆余曲折の末に第一航空隊として昭和16年4月開隊、その主力がのちの台南空(1941年10月開隊)となる
もちろん、艦上戦闘機を用いた陸上戦闘機部隊(戦闘機)と「月光」を用いた陸上戦闘機部隊(陸上戦闘機)は全く違う >>269
まあ100機落とされても一隻主力艦沈められれば、人員の交換比率的には十分以上に見合う
艦隊航空戦ってそんな計算式の世界 2017年1月8日付 読売新聞朝刊
高橋淳さんのインタビューが掲載されています。
お元気そうで、なにより。 「新兵サンよもやま物語 続」 (富沢繁)に、こういう話があった
富沢さん(航空整備)の部隊は台湾に展開していたが、同じ部隊に
陣内という台湾出身の軍曹(搭乗員)がいた
人柄がよく誰からも尊敬されていたが、日に日に憂鬱そうになり
1945年にお詫びの書き置きを残し、飛行機に乗ったまま大陸に飛んで
いってしまった
終戦後、台湾・松山飛行場に国府軍の一団が武装解除にやって来た
その中に大佐の階級章を付けた陳金水(陣内軍曹)の姿があった…
それで「陳金水」でググったら、台湾版Wikipediaにその名前の項目が
あったんだけど、記述がちょっと違う
逓信省の学校で飛行士の免許を取った後、1930年に貿易業のため
漢口に行き、そこで中国軍に入隊し大尉として迎えられた、って
いうようなことが書いてある
そして日本軍と戦った後、1945年に接収委員として台湾・松山
飛行場に行ったと。戦後は1962年まで空軍を続けて退役
おそらく「よもやま話」の陳金水とWikipediaは同一人物だと思うし
富沢氏は陳金水の名前を知ってたんだから、本の方が本当なのかね
経歴が変えてあるとしたら、脱走したとしても、祖国に弓を引いた
ことが都合が悪いからかね 米本土で日本人が零戦操縦 “初飛行”の可能性
ttp://www.sankei.com/world/news/170412/wor1704120039-n1.html
あのじっちゃんは最悪だった b 628 名前:高度774m :2017/05/09(火) 21:53:37.85
日本の名機「零戦」がレッドブル・エアレース千葉2017に登場!!
http://rbar.jp/event/zerosen.html
第一報を見た時「去年の話と勘違いか?」と思ったらホントだった。
日本に戻って来たとの噂も聞かないが、レース機と一緒に日本に運び込むのかな?y 予科練・少飛出身の空自パイロットって比率はどうだったんだろ? 終戦後中国で空軍教育に携わった方も多かった
(捕虜 抑留) >>274
日テレの笑ってコラえての名前の旅で出演されてた。戦術の話は興味深かったな。
http://www.ntv.co.jp/warakora/next/20170628.html
戦闘機に襲われたときはとにかく低空を飛ぶ。上空から下降しながら
射撃し下に抜けていくように相手は飛ぶので、低空に居ればある所で
反転上昇しないとならなくなるので射撃機会が最小限で済む。
ただ真っすぐ飛ぶのでは的なので、曲がらなければならなわけだが、
バンクさせたりするとそっちに向かってるのが丸わかりなので、
横滑りさせて真っすぐ飛んでることを装って見越し射撃を妨害する。
夜間雷撃は先輩の教え通りとにかく低く飛ぶ、危険なのは魚雷を
リリースした後で、直後に上昇反転していった仲間は撃墜されていった。
すぐに安全な高いところに上がりたいパイロットの習性なんだろうねと。
自分は横滑りさせて高度を維持したまま敵艦の舳先を掠めて抜けていき、
十分に距離が離れた後に上昇し離脱するようにしていた。
実戦的な戦術を教えてくれる教本なんかなかったから、先輩から聞いた
戦術をアレンジして使った。やっぱり大事なのは酒の席wとのこと。 戦闘機の上空からの襲撃は2,3回避ければ陸攻の速度で振り切れたと。 ttps://twitter.com/katabuchi_sunao/status/880046980856037376
> 淳さん百歳になられましたか。相変わらずべらんめえで、長身そびえさせておられることなのだろうと。
> 離陸後に、夜間、海面の上で高度計を再調定する話は肝が冷えるような、爽快なような。
> 「いいか、オルジスでペラんとこ照らしてな、飛沫上がったらそこが0mなんだ。そこでセットすんだ」
> 高度計を再セットするのは、これから行く雷撃で、海面すれすれを飛んで対空砲火の下を潜るため。
> 極限まで高度ゼロに近く飛ぶために、高度計の誤差もゼロにしておくため。
片渕さんのツイートも興味深い、100歳はもちろん勘違いだがw
ちなみに「オルジス」って何? >>284
なるほどd
懐中電灯か何か積んでいくのかと思ったら、信号灯を流用したのか こんなやつかな
ttp://242.teacup.com/astroboy/bbs/8866
ttp://242.teacup.com/astroboy/img/bbs/0008866.jpg
ttp://242.teacup.com/astroboy/img/bbs/0008866_2.jpg
ttp://242.teacup.com/astroboy/img/bbs/0008866_3.png
単座の零戦でも使えたんだ
あと「ちなみに戦記物であるように信号を出す際にカシャカシャとは音は出ませんヨ。」だって ──盲腸の手術をしたことを忘れて敵機を追い払ったというエピソードもありましたね。
. 本田:手術後の6日目くらいで抜糸し、暇だったので飛行場に行ったのです。そしたらB17が低高度でやって来た。若いパイロットしかいないので攻撃してこないとみて、舐めている。それで手術後だったのを忘れて、飛び上がったんです。
機体を引き上げるときに重力がかかり、ものすごい痛みに気づいたので「やられた」と思ったが、どうもおかしい。触ってみたら手術跡から腸がはみ出ていました。手で押さえて着陸しました。
. ──はみ出していた腸を手で押し込んだまま操縦されたわけですよね?
. 本田:左手で押さえて着陸したのですが、止まったころに意識を失ってしまい、また病院に運び込まれました 「あと数分で死闘が展開される。轟々たるエンジンの爆音で騒々しいはずであるが、
なんともシーンとした感じで自分の心臓の鼓動すら聞こえる。
この時突然、目の前に大きく浮かんだのがオヤジ、オフクロでもなく女房殿の顔である。
ハッとして女房と当時腹の中に生命を受けているであろう子供に、サヨーナラと口に
三度となえてサッとバンクを振り突撃に移った。」 漫画とかみたいにネームドとかいうのは実際にあったの?
有名なのってほら吹きサブちゃんみたいなのばっかりな気がする
俺「この人すげえ」→嘘でした このパターン多すぎ さすがに坂井三郎レベルのほら吹きはなかなかいないだろ
岩本の本は死んだ後に秦が勝手に創作したものだからノーカンな ノンフィクション小説くらいにしておけば法螺吹きとも言われなかっただろうにねぇ ユニークで個性的なパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
グーグル検索⇒『金持ちになりたい 鎌野介メソッド』
E3QND 今生きてる大戦以前の日本人パイロットって何人くらいいるかわかりますか? 大戦以前だと絶対数が少ない上に年齢ももっとも若くても終戦時20歳程度で今は95歳以上。
95歳以上の人口が去年の12月で約8万人
http://www.stat.go.jp/data/jinsui/pdf/201804.pdf
下手したら10人いないかもしれんね。 >>295
ありがとう
知らないうちにどんどん亡くなってるんだろうね 坂井のせいで全エースのスコア―を1/3くらいに見る習慣がついてしまった。 :::::::::::::::::::::``ヽ
:::::>>::::::::::::::::::::\
::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
::::::::::::::::::::::::::l:::ヽ:::::::ヽ
:::::::::::::::::::::::::|ソノ`ヽ::::::ヽ
:::::l/,,;;;;;;;,.ヽ::::l
:::::::::::::::::::::::ノ''゙゙___ ゙゙ |ノ
:::::::::::::::::::ノ <● > \
:::::::::::::/ ヽ
:::::::::::ヽ , `ヽ
::::::::::::::`、 (._ ,,, ノ
ヘ::::::::::::::| ,,,,ヽ._
`、::::::::ノ ゙゙゙/__)
、 '、:::::ヽ \_)
ヽ、 `ヾ'''゙ ,´
\ |
ヽ、 ノ
`` ?---? 'い
https://twitter.com/ibuki_air
09058644384 >>297
244戦隊の中隊長で陸軍大尉、戦後は航空幕僚長歴任者の竹田五郎氏がご存命だよ
保守派の識者として活動してるんじゃないかなまだ 驚愕の事実拡散
創価の魔(仏罰、現証、非科学的な原始的発想)の正体は、米国が仕掛けてるAI
パトカーの付きまとい、咳払い、くしゃみ、芝刈機音、ドアバン、ヘリの飛行音、子供の奇声、ドアバンも全て、米国が仕掛けてるAIが、人を操ってやってる。救急車のノイズキャンペーンに至っては、サイレンで嫌がらせにする為だけに、重篤な病人を作り出す冷徹さ
集スト(ギャングストーカー、ガスライティング、コインテルプロ、自殺強要ストーキング)以外にも、病気、痛み、かゆみ、湿疹かぶれ、臭い、自殺、殺人、事故、火災、台風、地震等、この世の災い全て、クソダニ米国の腐れAIが、波動(周波数)を悪用して作り出したもの
真実は下に
http://bbs1.aimix-z.com/mtpt.cgi?room=pr02&mode=view&no=46
https://shinkamigo.wordpress.com 驚愕の事実拡散
創価の魔(仏罰、現証、非科学的な原始的発想)の正体は、米国が仕掛けてるAI
パトカーの付きまとい、咳払い、くしゃみ、芝刈機音、ドアバン、ヘリの飛行音、子供の奇声、ドアバンも全て、米国が仕掛けてるAIが、人を操ってやってる。救急車のノイズキャンペーンに至っては、サイレンで嫌がらせにする為だけに、重篤な病人を作り出す冷徹さ
集スト(ギャングストーカー、ガスライティング、コインテルプロ、自殺強要ストーキング)以外にも、病気、痛み、かゆみ、湿疹かぶれ、臭い、自殺、殺人、事故、火災、台風、地震等、この世の災い全て、クソダニ米国の腐れAIが、波動(周波数)を悪用して作り出したもの
真実は下に
http://bbs1.aimix-z.com/mtpt.cgi?room=pr02&mode=view&no=46
https://shinkamigo.wordpress.com ちょっと前に零戦に興味持ってから零戦搭乗員の手記いくつか読んで
海軍の搭乗員に広げてきてるけど、もっと早くに好きになりたかったわ。
当時を知る人たちがどんどん亡くなってくのは仕方ないけど、残念すぎる。 今生きてる元パイロットのほとんどが前線に出る前に終戦が来た人だろうな 竹田五郎元大尉・元航空幕僚長みたいな飛行戦隊の中隊長やって確実撃墜記録もある人がご健在だったりする なんで黒江は鍾馗から隼に乗り換えちゃったんだ
敗戦の年にはだいぶ太ってたから隼の機動性が低下するだろ そんなの配属命令下った先の部隊が隼使っていたら、それに乗るしか
ないんじゃないの?
好きな機体を自腹で買って乗るエリア88じゃあるまいし。 松鯉爺「どいつもこいつも、ムスタングばかり欲しがりやがる」 もともと乗ってた鍾馗(二単)も試作機だったわけで、補給が続きまへん
でも64戦隊って後の方では持ってたよね? 戦争中期の早い段階で二式戦は保有してたよ、戦力増強のために数える程度の機体を短期間だったけど
末期にはなんだかんだ言って一度は改変を断った四式戦も保有してたし 海軍航空隊の戦果って照合と大概ひどいことになるな。 ソロモンであまりに零戦乗りが大嘘いうのでそれを知った米軍に嫌みのような電文を本国に入れたんだよな。
我々は大損害を受けて補充が間に合わないwとか 光人社文庫の零戦よもやま物語で坂井三郎による記事もあるが
ひねりこみという技について、人それぞれ違うとか言って具体的にどんな技かどういうやり方か全然説明されていない だいたいの数字は漢数字だけど、洋数字にしているから
満州飛行機の2式高等練習機(キ79)
これで比較的有名な第26練習飛行隊(戦闘、羽第16616)と言われている写真(文章末掲載)
★ウソだから★
☆正確には第36教育飛行隊(戦闘、昭第15357)だったもの☆
昭和19年2月29日(この年はうるう年) 朝鮮の連浦で創設し、ジャワのマランへ移動
昭和20年2月28日 マラン展開の第36教育飛行隊がほぼそのまま第26錬成飛行隊(戦闘、富第11097)に改名し、同地・同隊のまま8月15日を迎えた
なんなら、「26錬飛 マラン会」で調べるとよい
26錬飛戦友会である「マラン会」は、2000年代前半に高齢化のため解散した
「マラン会」として数回マラン飛行場を訪問していた(空港側でなくインドネシア空軍基地側へ)
「マラン会」は同地に展開していた独立飛行第70中隊(司令部偵察、司第9641)も「別個に戦友会名」として使っているらしい
ちなみにだいぶん古くからあの「航空ファン」でも間違えていたりする
調べメモ)
第111教育飛行連隊(戦闘、朝鮮第100)が、2つの教育飛行隊に分かれたのか?
仙台昭和18年3月5日〜連浦?昭和19年2月29日
第11教育飛行隊(戦闘、宙第534)
連浦昭和19年2月29日〜?昭和20年8月20日
第36教育飛行隊(戦闘、昭第15357)
連浦昭和19年2月29日〜マラン昭和20年2月28日 >>325は文盲か? それともキチガイか? はたまたボケか?
F6F-5撃墜は千葉県横芝陸軍飛行場の第39教育飛行隊(戦闘、紺第537) 発動機(エンジン)については、戦時中製造のエンジンより戦争直前までに作られたエンジンがよかったりする
おそらく二式高練のエンジンの多くは国内製よりも悪いと言われていた満飛製かもしれない 第三航空軍の記録では、符号の「RF」は"錬成飛行隊"であり、中央が使っていた"練習飛行隊"ではない
名称 第三航空軍の符号 / 中央(本土)の符号
錬成飛行隊 RF / FRL
練習飛行隊 HH / RF
ソース
件名標題(日本語) : 司部隊兵力配置要図 司部隊本部 昭和20年8月31日
階層 : 防衛省防衛研究所 > 陸軍一般史料 > 陸空 > 3FA > 司(3FA)部隊兵力配置要図 昭20.6.25
レファレンスコード : C16120196000
所蔵館における請求番号 : 陸空-3FA-18(所蔵館:防衛省防衛研究所)
上記に描かれている第26練成飛行隊の1945/8/31時点配置は、
クアラに主隊
パレンバンに一部 第三航空軍と中央(本土)の漢字も違う
第三航空軍は「練成飛行隊」 いとへん
中央(本土)は「錬成飛行隊」 かねへん 統一資料発見
れん成飛行隊
中央はやはり「金へん」の 錬
軍令陸甲第94号 在外地陸軍航空教育部隊編成、復帰要領 昭和19年7月25日 陸軍省調製
レファレンスコード C14010695800
第三航空軍はやはり「糸へん」の 練
司部隊兵力配置要図 司部隊本部 昭和20年8月31日
レファレンスコード C16120196000
上側の(中央の)資料により、部隊名変更が確定
第36練習飛行隊→第26錬成飛行隊(中央表記)
第38練習飛行隊→第28錬成飛行隊(中央表記) >>332を訂正する
第36教育飛行隊→第26錬成飛行隊(中央表記)
第38教育飛行隊→第28錬成飛行隊(中央表記) 海軍の士官は偵察員は操縦員も兼任(どちらも教育される)しますが
陸軍の士官も偵察員は操縦員を兼任しているのですか? 陸軍側の質が低かったので陸軍の偵察機まで海軍の偵察員が乗ることになった
先を考えてなかった陸軍は偵察か操縦かの片方しかできない >>323
正確には第36教育飛行隊(戦闘、昭第15357)もしくは第26錬成飛行隊(中央表記。戦闘、富第11097)
写真手前中央の後姿はH氏
昭和20年2月28日 マラン展開の第36教育飛行隊がそのまま第26錬成飛行隊(中央表記。戦闘、富第11097)に改名
第26錬成飛行隊(中央表記)=第26練成飛行隊(同隊及び第三航空軍表記)
昭和20年7月15日 第26錬成飛行隊(中央表記)は特攻隊に編入され、「七生昭久隊」と改名
のちに、スマトラ島北部へ移転が命じられ、移転中に8月15日を迎えた
「二六練飛マラン会」
二六練飛戦友会である「二六練飛マラン会」は、2000年代に高齢化のため解散した(最終配布会報は2006年)
「二六練飛マラン会」として数回マラン飛行場を訪問していた(空港側でなくインドネシア空軍基地側へ)
「マラン会」は同地に展開していた独立飛行第70中隊(司令部偵察、司第9641)も「独飛七〇中隊マラン会」として使っている
>>326
第111教育飛行連隊がいくつかの部隊に分かれ、そのうちの一つが第36教育飛行隊だった
>>328
第36教育飛行隊の1隊(N編隊)は満州の奉天航空廠で出来たばかりのキ79を受領して、マランまで飛行移動させたものの、
ありえないエンジントラブルが連発し、途中の大刀洗にてどうしょうもない数機のエンジンを交換している
例えば、着陸して整備してもらったらフィルターに金属切削くずがこれでもかというほど付着していた BS日テレ 19:00-20:54
潜水艦 こくりゅう
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!w fdwaqs ステルスだから消えるさ
…て冗談言ってる場合じゃないようだ 空中勤務者/搭乗員や地上勤務者全般について語る総合スレです。 空中勤務者/搭乗員や地上勤務者全般について語る総合スレです。 「ブラジル桜花会」いまだ消えずA 特別寄稿 脇田 勅 ジョブチューン『陸・海・空の現役自衛官が大集結!初出し映像満載SP!!!!』★9 空中勤務者/搭乗員や地上勤務者全般について語る総合スレです。 スロットル全開!ならば素人にも解かりそうだが
カウルフラップ全開!と叫んでも素人には解からないだろう 68戦隊の梶並進(小山進)さんって、ニューギニア戦後半に赴任して、地上戦に巻き込まれる前に内地に帰れたのって何か負傷でもしたんでしょうか。あと著書に出てくる松井曹長って結局実在なんでしょうか。「日本陸軍戦闘機隊」には該当の人物が見当たらないので、やっぱ誰かをモデルにした架空の人なんですかね?
どなたかご教授くださいなー 貴重なパイロットということで引き揚げの輸送機に乗ったかもしれないし、
赴任して数ヶ月もすればマラリアなどの風土病に罹る兵が多かったから傷病兵として帰還できたのかもしれない 343空の笠井さんが死去
これで343空の生き残りは本田さんだけかな、本田さんも100近いだろ 当時十代の人が94だからな
10年前に第一次大戦に従軍した最後の米兵が110歳で亡くなったという記事があったが
第二次大戦もあと20年ぐらいだなぁ 滋野の死はすぐにフランスまで伝わり、多くの人たちが悲しみました。なかでも滋野の戦友であり、大戦後は冒険飛行家として日本にもやってきたジョルジュ・ペルティエ=ドイジー大尉は、フランス紙「ルプチパリジャン」においてこのように記しています。
「滋野が急死したという残酷な知らせを受けました。数か月前、大阪の滑走路に降り立った私を大勢の日本人が歓迎してくれました。そのなかに三本線(大尉の階級章)を縫い付けたフランス軍制服を着用した日本人、滋野が居たことは感動的でした。我々にとって最も温かい友人であり、尊敬すべきパイロットである滋野の記憶ほど、我々が忘れてはならないものがほかにありましょうか?」
滋野が所属したシゴーニュ戦闘航空群のエンブレムである、美しく飛翔するコウノトリ(シゴーニュ)は、もともと滋野の愛妻、わか子の名を冠した滋野専用スパッドS.VII「わか鳥」の識別マークでした。
2022年現在、フランス航空宇宙軍・空軍・第1戦闘航空連隊・第2戦闘航空群「シゴーニュ」の、ミラージュ2000F-5超音速戦闘機の垂直尾翼には、日本からやってきた滋野の愛機に描かれていたエンブレム「わか鳥」の末孫たちが、100年前のスパッドに描かれていたころと変わらぬその美しい翼を羽ばたかせており、いまもフランスの空を守っています。
日本が滋野を忘れようとも、フランス軍の偉大なる日本人義勇兵パイロット、キヨタケ・シゲノの名はフランスの文化と一体化し、永遠に残り続けるでしょう。 歴戦の名パイロットは、なぜ沈黙を破って戦場を語り始めたのか
3/31(木) 7:08配信
0
コメント0件
この記事についてシェア
現代ビジネス
写真:現代ビジネス
零戦搭乗員として、真珠湾作戦、ミッドウェー海戦、ガダルカナル攻防戦など最前線で戦い続け、何度も死地をくぐり抜けてきた原田要さん。戦後は平和を願い、幼児教育に生涯を捧げてきた。
【写真】敵艦に突入する零戦を捉えた超貴重な1枚…!
戦後50年を迎える頃まで、戦時中のことは一切語ることはなかったが、あることがきっかけで、戦場の過酷さ、悲惨さを語り残すことを決意する。
それは、湾岸戦争での、まるでヴァーチャルゲームのような映像と、それに対する若者たちのあまりに軽すぎる反応を見聞きしたことだった。
みんな本当は死にたくなかった
幼稚園の園長となった元零戦搭乗員・原田要さん(撮影・神立尚紀)
平成28(2016)年5月3日、一人の元零戦搭乗員が、99歳で天寿を全うした。原田要さん。満100歳の誕生日を約3ヵ月後に控えていた。
原田さんは大正5(1916)年8月11日、長野県生まれ。長野中学校(現・長野高校)を中退、海軍を志願して昭和8(1933)年5月、横須賀海兵団に水兵として入団した。のちに航空兵を志望、部内選抜の操縦練習生を昭和12(1937)年、首席で卒業し、選ばれて戦闘機搭乗員となった。
昭和16(1941)年、太平洋戦争開戦時には空母「蒼龍」に乗組み、機動部隊の上空直衛として真珠湾作戦に参加。その後、昭和17(1942)年6月のミッドウェー海戦では乗艦が撃沈され、洋上に不時着し漂流。同年10月には、空母「飛鷹」零戦隊の一員としてガダルカナル島上空で敵戦闘機と空戦、正面から刺し違え、重傷を負い不時着、九死に一生を得るなどの壮絶な戦いを経て、内地の航空隊で教官として終戦を迎えた。
原田さんは戦後、幼稚園を経営、幼児教育に後半生を捧げた。 主権侵害あれば共産・志位委員長「自衛隊を使い命と主権守る」…自民「180度違った評価だ」(読売新聞オンライン) マリアナ沖海戦
日本 アメリカ
空母 9 15
航空機 439 901
戦艦 5 7
重巡洋艦 10 8
軽巡洋艦 2 12
駆逐艦 29 67 いつぞやの十三空?
歴戦の猛者が勢ぞろいしてる一枚 WWⅡ戦闘機についてのスレがどれも過疎ってるな
ミリタリーミニチュアシリーズや松本零士の戦場まんがを読んで育った世代が引退しつつあるのか
アメリカで飛行可能なゼロ戦が誕生! 角型主翼の32型で空飛べるのは初
2022.11.18 乗りものニュース編集部
trafficnews.jp/post/122817 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています