半藤一利・保阪正康・秦郁彦の歴史観は異常

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1名無し三等兵
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2014/09/03(水) 13:43:49.98ID:5ZREEOge
若狭
『私は高校で歴史を教えていましたが、専門家と違って一次史料に当れるチャンスが、そんなにあるわけではない。
「先生、これはどうして?」と生徒に聞かれたときに、できるだけ努力して原典を読んで採ってきました。
かつて、田母神さんの講演の前座を務めたことがありますが、その時にこんなことを言いました。
「3H(秦郁彦氏、保阪正康氏、半藤一利氏)とよばれている昭和史の研究家の方々がおられますが、
3Hなんていう鉛筆は硬くて使い物にならない」と(笑)』

渡部
『3Hさんたちは、戦後昭和史を一生懸命調べたんですよ。ふつうの人が知らない情報もいっぱい持っておられる。
でも「一番肝心なこと」が抜けている。それは、「その時、外国は何をやっていたのか」という視点・論点です。
まさに、「その時、外国は何をやっていたのか」に最初に言及した人は、東條英機です。
前述した「東條英機の宣誓供述書」なんですよ。

東條さんは、「支那事変以来、日本はずっと『受け身』であった」と言っている。
「何かをされるから、それに応えてやらざるを得なかった」と証言している。
それは、当時の人間も知っていたことです。
しかし、戦後の昭和史研究の人たちは、一生懸命調べたけれども、「東京裁判史観」に結びつくような結論にしか至らない』
2名無し三等兵
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2014/09/03(水) 13:56:41.57ID:5ZREEOge
■似非保守・詐話師トリオ(半藤、保阪、秦)=通称3H


日中戦争を勃発、泥沼化させ、対米戦争で大損害を出した張本人の

戦犯・山本五十六の根本的な罪を黙殺し

ひたすら東京裁判史観を肯定して、特定軍人罵倒によって

感情論で陸軍悪玉論を扇動・宣伝するしか能が無い

金儲け目当てで大嘘の近代史を語る似非保守・詐話師トリオ(半藤、保阪、秦)=通称3H

が関わったトンデモ本に、史実など微塵も無いw
3名無し三等兵
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2014/09/03(水) 17:15:13.52ID:5ZREEOge
日本を惑わすリベラル教徒たち

姜尚中   自分しか信じないリベラル教徒
森永卓郎  破廉恥で利己的な強欲タレント
井上ひさし 反戦作家を自任するオカルト教祖
高橋哲哉  哲学を捨てた親北の反日活動家
半藤一利  軽薄な進歩主義を掲げた凡庸な歴史家
保阪正康  通俗的な歴史観を披瀝する杜撰な進歩派
井筒和幸  病んだ精神で憎悪と対決を煽る映画監督
中沢新一  恥知らずな悪徳を擁護する宗教学者
渡邉恒雄  「第四の権力」を私物化するドン
上野千鶴子 私怨が蠢く不潔で卑猥なフェミニスト
宮台真司  悪徳を扇動する卑猥で不潔なブルセラ学者
立花隆   「知の巨人」と称される天下無双の俗物
4名無し三等兵
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2014/09/03(水) 17:24:00.40ID:5ZREEOge
半藤一利は日本人を抑え込むためのビンの蓋である

『文藝春秋』は腹がすわっていない 評論家・西尾幹二
月刊WiLL2009年3月号 31〜32頁

文藝春秋の社内のある幹部の方から、
「半藤一利、保阪正康、立花隆氏などを起用するのは『文藝春秋』のビンの蓋だからだ」ということを私は聞きました。
うまい言葉だ、と思ったものです。文藝春秋の社内からの発言ですから、
社内の体制に疑問を持っている人がいるということを物語っていて、その点まだ救われた思いがしています。

「ビンの蓋」というのはご存知のように1990年3月スタックポール在沖縄アメリカ海兵隊司令官が
「在日米軍は日本の軍事大国化を抑える『ビンの蓋』だ」と使った言葉です。
ですから、『文藝春秋』が際立つ保守系雑誌にならないための「ビンの蓋」、
つまり『文藝春秋』は朝日新聞のサイドに立ちますよという宣言のために
半藤一利、保阪正康、立花隆氏らをしきりに起用しているというわけです。
5名無し三等兵
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2014/09/03(水) 17:25:45.85ID:5ZREEOge
『諸君!』休刊 敗北史観に陥った言論界 上智大学名誉教授・渡部昇一 評論家・西尾幹二
月刊WiLL2009年5月号 35頁

西尾
「『文藝春秋』は今や、何かに遠慮するような言論しか掲載していません。
ビクビクしていて中性的、公論的な、言い換えれば衛生無害な雑誌でしかない。
三島由紀夫は日本を指して「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の」と表現しましたが、
それは朝日新聞やNHKでもあります。敗戦国文化なのですね。

『諸君!』にしても『WiLL』にしても『正論』にしても敵がいないわけではない。
敵ははっきりといるのですよ。日本国家を自立させるという目的の邪魔になるものは敵です。
日本はある意味でまだ属国ですから、「独立」という目的を掲げて、反米でもなければ反中でもなく、
親日だという筋を一貫して通すスタンス、主張は厳としてあるのです」

渡部
「その対立構図の見えなくなった人が、『文藝春秋』の主流になったのではないか、という印象を受けます」

西尾
「その通り」
6名無し三等兵
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2014/09/03(水) 17:27:14.64ID:5ZREEOge
渡部
「今の『文藝春秋』が半藤一利氏の色が強いのは確かです。
半藤氏は辞めてからの方が『文藝春秋』に影響力を持っているらしいのはなぜか、不思議です」

西尾
「私はそれを「『文藝春秋』のビンの蓋」と言いました(笑)」

渡部
「(笑)。半藤氏は特別に部数を伸ばした編集長でもないのに、
それがどうして今の『文藝春秋』に影響力を持っているのかは謎ですね」

西尾
「そうですね。私は『WiLL』2009年4月号に、我々が戦わなければならない今の時代の
”典型的進歩的文化人”は半藤一利、保阪正康、秦郁彦、五百旗頭真らの諸氏であると宣言しました」

渡部
「3Hプラス1ですね(笑)」
2014/09/03(水) 18:11:46.97ID:bn13iZTw
彼らの本を読んだこともない土足さんが批判()wとかいってもw
8名無し三等兵
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2014/09/03(水) 19:05:49.85ID:5ZREEOge
半藤一利『昭和史』徹底批判2  半藤一利『昭和史』は紙芝居だ  月刊WiLL2010年6月号

評論家・西尾幹二 
高知大学名誉教授・福地惇 
大阪青山短期大学准教授・福井雄三 
情報史研究家・柏原竜一

福井
「半藤さんの場合は最初に結論ありきで、自分の思い込みと独断を前提に議論を進めていくため、
その後の論理展開が間違った方向にずれてしまっているんです。
典型的な例を一つあげると、『ノモンハンの夏』(文春文庫)でおかした誤りを、
半藤さんは『昭和史』でそっくりそのまま繰り返しています。
まず、半藤さんは『ノモンハンの夏』で徹頭徹尾、日本軍の頑迷固陋ぶりを強調し、
愚かしい組織がいかに滅んでいくかの、絶好の見本として描いています。
ところが、末尾の部分にわれわれは、思わず「おや」と首をかしげるような意外な記述を発見する。

半藤さんはソ連の最新情報公開の資料を借りながら、最終第7章で
<ソ連軍の死傷者も、最近の秘密指定解除によって、惨たる数字が公開されている(中略)
全損耗は2万4492人となるという。圧倒的な戦力を持ちながらソ蒙軍はこれだけの犠牲をださねばならなかった>
と、ソ連の方が日本よりも多くの犠牲を出したという事実をそっと示唆しているんです。
これは全体の末尾の部分にさりげなく挿入されているので、本をほとんど読み終えて頁を閉じかけようとしている読者は
その重大性に気づかず、見落としてしまいがちですが、絶対に見過ごすことのできぬ重大なポイントです。
9名無し三等兵
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2014/09/03(水) 19:07:14.92ID:5ZREEOge
彼が『ノモンハンの夏』を出版したのは、ソ連崩壊後の情報公開で、
ノモンハン事件の真相が次々に公開され始めた時期に当たります。
おそらく半藤さん自身、この"小説"を書き終える頃になって、
さすがに「私はこの旧ソ連公開の最新情報を知りませんでしたでは済まされなくなる」という危惧の念を抱いたのでしょう。
あらかじめ予防線を張っておく意味でも、末尾の部分に目立たぬようにそっとつけ加えたんです。
だが、この記述がいかに重大な爆弾のような意味を秘めているか。
彼は自分の作品全体を構成している前提条件が、すべて根底から覆されてしまうことをみずから認めていることになります。
半藤さんは最後の土壇場で、「ノモンハン事件は実は日本軍の勝利でした」と一言だけそっと示唆して、
読者にどんでん返しを食わせ、煙に巻いているんです。しかも、それに対する説明はいっさいなされていない。
半藤さんはこのように、一見面白いストーリーを構成し語っていながら、
最も本質的な重要なテーマの部分にさしかかると、うやむやに焦点をぼかして説明を回避してしまう。

そして、『昭和史』では、
<ソ連軍も蒙古軍を含めるとたいへんな死傷者を出していて、2万4992人といいますから日本よりも多いんです。
それで近頃、うわついた評論家など「ノモンハンは日本が勝ったのだ」という人が少なくありません。
そりゃ死傷者数だけみれば、日本の兵隊さんが本気になってよくぞ戦ったというところもありますが、
結果として国境線は相手の言う通りになったのです。(中略)日本軍が勝ったなどとても言えません>
と論じるのですが、これは完全な本末転倒です。
10名無し三等兵
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2014/09/03(水) 19:07:51.01ID:5ZREEOge
従来、司馬さんや半藤さんの強調したノモンハン論議は、「高度に近代化されたソ連の機械化部隊に対し、
貧弱な装備の日本軍が肉弾戦を挑んで、一方的になぶり殺しにされた悲惨な戦闘になった」
という、戦闘内容の評価に関するものでした。
そして、これは科学技術の軽視と非合理主義が近代日本の悲劇であったとする、司馬・半藤史観の原点でもありました。
ノモンハンの戦闘内容の真相が明らかとなった今、半藤史観は完全に破綻しているのです。
結果的に外交交渉のまずさで相手の要求に押し切られたからといって、
それは半藤さんがこれまで展開してきたノモンハン論議の本質とはなんの関係もない。
単に自らの誤りを認めたくないという負け惜しみの言い訳に過ぎません。

多少なりとも歴史の専門知識を持つ者から見れば、そのような語り口の背後に潜む矛盾と落とし穴にすぐ気づく。
ところが、一般の読者のほとんどがそこまで注意しながら彼の本を読まないので、
まるで落語を聞いているような心地よい、半藤節の語り口にいともやすやすと誘導されてしまうんです」
11だつお ◆t0moyVbEXw
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2014/09/05(金) 13:11:54.87ID:sftX8peV
>>1
>渡部
>『3Hさんたちは、戦後昭和史を一生懸命調べたんですよ。ふつうの人が知らない情報もいっぱい持っておられる。
>でも「一番肝心なこと」が抜けている。それは、「その時、外国は何をやっていたのか」という視点・論点です。

国士系の論者でも、「紫電改の大戦果」なんて怪しげなホラ話が多く、これでは説得力が薄い。
そんなものを持ち出さずとも、皇軍には栄光輝く大陸打通作戦3000キロ勝利行軍があるってのに。

 一九四三年に出版されて絶大な人気を博したウェンデル・ウィルキーの
『ひとつの世界』は、高い志のもとに団結し、ほとんどキリスト教国の
ような価値観を有し、西洋世界を愛する「民主」大国たる中国、という
神話をつくり上げるのに大いに貢献した。「皆無」という言葉はまったく
妥協の余地のない強いものだが、バーバラ・タックマンはこの言葉を使って
こう書く。「親中国派や教会のグループなどによる強力な宣伝に眼を覆われた
アメリカの一般大衆は、実情の認識が皆無である」。中国の実情が少しずつ
明らかにされていったのはようやく一九四四年十一月、解任されたジョゼフ・
スティルウェル将軍が口を開き始めてからのことだった。これでタックマン
の言葉を借りると「やっと汚れに汚れていた中国というきたないシーツを
洗濯する日が来た」のである。
<誰にも書けなかった戦争の現実 / ポール・ファッセル/著 宮崎尊/訳>

『大陸打通作戦』のことを丹念に調べれば、東京裁判史観の大半は崩壊する。あれだけの大作戦であったにも関わらず、
欧米はもちろん日本でも語られることが少ない。日本人の誇りを取り戻そうとかいう「教科書が教えない歴史」でさえも、
大陸打通作戦については一言半句の言及もなかった。

欧米人というのは、自分のみるところ、都合の悪いことはダンマリである。例えばパウルカレルは最も有名なドイツの史家だが、
バグラチオン作戦以降は執筆していない。だが自分が思うことは、ドイツ軍が全軍総崩れになって、強制労働とかアウシュビッツ
収容所だとかのおぞましい犯罪が次々と暴かれていく様子は、大陸打通作戦で総崩れになった中国国民党軍のようなもので、
恥ずかしくてとても書けなかったに違いないのだ。
12だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2014/09/05(金) 13:28:53.92ID:sftX8peV
>誰にも書けなかった戦争の現実

そうだ、「誰にも書けなかった」に違いない。しかしながら米国のエリート層は、しっかり認識している。

 一九四五年の初め、エドガー・スノーとのインタビューで、ルーズベルトは
「カイロでは、蒋介石についての私の見方を形づくることはまったくできなか
った。あとから考えてみると、彼について私が知っていることといえば、すべて
夫人が蒋と彼の考え方について述べたことばかりである」と、告白している。
<S・シーグレーブ「宋王朝」P258>

ハリウッド映画などのプロパガンダに染まった一般大衆は知らないことも、エリート層は熟知している。
例えば親中反日で有名なルーズベルト大統領も、日本軍の大陸打通作戦で認識を変えている。
米国では、ほんの一握りのエリート層だけが、本当の歴史を知っている。
2014/09/05(金) 14:42:05.37ID:jVFNy5cQ
半籐と秦を一緒にするのは変だ。

半籐にしても昔はいい本書いてたのにな。
2014/09/06(土) 07:47:47.37ID:CZxD2fVo
秦が学者としてはレベルが低くても、保坂や半藤のようなノンフィクション作家と同一視するのは…。

しかも批判してるのが、ノンフィクション作家以下の電波ときていては…。
15名無し三等兵
垢版 |
2014/09/07(日) 16:04:03.68ID:nQnX9U8E
★山本五十六は捕虜となった搭乗員に自爆を強要

“零戦の天才パイロット”坂井三郎も、“ 部下殺し”の残忍な山本五十六を告発している。
1942年の初期マレー作戦で、 台湾の台南海軍航空基地の「中攻」隊のうち、1機が
被弾して敵地に不時着し、マレー半島の現地人に保護されたあと救出された6名の搭乗員に
対して、「捕虜になった」と認定して、山本五十六は「5月上旬」と指定した「死刑」の
“自爆”を命じた。かくして、6名が乗る「中攻」1機は、ラバウル基地から東ニューギニアの
ラエ基地に飛び、そこから敵の高角砲陣地にめがけて「自爆=自殺」した。
このように、山本五十六は、パイロットの命を“虫けら”としか考えなかった。
国家の財産である中型爆撃機1機など“ちり紙”としか考えなかった。

中川八洋『山本五十六の大罪』
2014/09/07(日) 16:20:17.21ID:4qs2Du/c
『諸君!』『WiLL』『正論』ってファシズム礼賛雑誌じゃん
こんなの廃刊処分にしなきゃまた日本は焼け野原になるよ
2014/09/07(日) 19:00:14.13ID:dHrEJ0VB
へ〜そーなんだー、読んだことないから解んないやー
ファシズムってなんなの?よくわかんなーい

>廃刊処分


こういうことのほうがよっぽど危険
2014/09/07(日) 19:43:42.74ID:V7KRinEx
★山本五十六は捕虜となった搭乗員に自爆を強要

山本艦隊の司令部は、後述のように、捕虜になった後帰還した中攻機の隊員たちに自爆を命令し、
零戦のエース坂井三郎を失望させたのである。

開戦劈頭の昭和十六年十二月十二日、台南から出撃して比島クラークフィールド飛行場を空襲した
中攻三十六機の一機が、対空砲火で被弾不時着した。
乗員七名は自決せずに比島人の家へ行き、捕虜になった。
翌年二月マニラを占領した陸軍部隊によって、彼等は救出された。
ところが連合艦隊司令部も軍令部も彼等を許さなかった。陸軍に知られたのもまずかったという。
一旦戦死と認定されてしまった搭乗員は、台南基地に戻るとすぐ階級章、特技章、善行章を剥奪され、
他の隊員からは隔離収容された。軍法会議にかけるよりは、
早く死に場所を与えるのが武士の情ということで、特に危険な任務ばかりが与えられたが、被弾しながらも生還した。
山本五十六の連合艦隊司令部は期待していた自爆の報が来ないのに業を煮やし、五月上旬をもって
自爆させよとの命令を森玉部長隊に下した。
部下をかばいつづけて来た部隊長も、事ここにいたってやむなく命令を下達した。
彼らはポートモレスビーへ向かい、天皇陛下万歳の電報を発信した。

三村文男『米内光政と山本五十六は愚将だった』
2014/09/08(月) 00:43:46.87ID:f0dMPPDX
>>15 >>18
医者やってた素人作家の三村文男が書いた誹謗小説の中の一節とか、
捏造作家中川八洋お得意の創作小説をいくら持って来てもムダだよ。

中攻隊員8名の上司のM戦隊長が所持していた資料によって状況が明らかになった。
それを調べた岩川隆氏の著書「我れ自爆す、天候晴れ」に詳細が記述されている。
●第11航空艦隊の内部だけで処理されています。
●連合艦隊司令部や山本五十六は一切関係ありません。

三村の書いてる森玉部隊長は1空とは関係ない人物。
2014/09/08(月) 01:15:52.87ID:f0dMPPDX
>>15 >>18 @
全くのウソ。 日付もウソ、命令の出所もウソ。

まず日付、
中川八洋と三村文男は「5月上旬」としているが自爆が行なわれたのは、1942年の「3月31日」である。 
命令の出所、
事実は,第11航空艦隊。
第11航空艦隊とその指揮下の第1航空戦隊とが開いた合同査問会議の結果を
受け第11航空艦隊司令長官の指示である。

この1空事件とも呼ばれる事件を戦後、調べた人がいる。
その結果は、岩川隆著「我れ自爆す、天候晴れ」という本に詳しく描かれている。
岩川隆氏が自爆中攻機の隊員たちの上司であった戦隊長の遺族を訪ね、
そっくり残されていた資料によって当時の状況が判明したのである。
合同査問会議によって、
「第11航空艦隊の内部だけで処理し、外部には出さない」ということが決まったのである。

海軍人事は海軍省が行なうのであり、第11航空艦隊から「戦死」とだけ報告されている。
海軍将兵は開戦時に30万人以上が存在したのである。
戦闘の指揮をする役目の連合艦隊司令部がそんなことやるヒマがあるわけないのは
サルでもわかるだろう。
中川八洋と三村はこんなことも知らないで、またデタラメを書いた。
2014/09/08(月) 01:17:37.80ID:f0dMPPDX
>>15 >>18 A
全くのウソ。 日付もウソ、命令の出所もウソ。

もう少し詳しく書くと、
著者の岩田隆氏は、彼らの上司である飛行長のM少佐の実家を訪ねて、
既に亡くなっていた故人の遺品にふれて調査を行っている。M少佐が記した8人の
処置に関する会議の際のメモや、戦地で記入された記録や写真なども残されていた。
彼ら中攻機乗員8名は、通称「21航戦の1空」と呼ばれ、
第11航空艦隊第21航空戦隊第1航空隊員であった。

昭和16年12月12日に行われた比島クラーク飛行場への出撃で爆撃終了後に
被弾して墜落したが全員生存し,比島人の拘留取り調べの後、原隊に戻った。
帰還後、査問会議が開かれた。
第11航艦と第21航戦の幕僚、一空司令、M飛行長らが並ぶ前で尋問が行われた。
その後に彼らへの処置を決める会議がダバオで開かれた。

1月13日、「第11航空艦隊司令長官」の次のような決定案が提示された。
「事件の内容は外部には洩らさず、艦隊内で処理する。南方で働かせてはどうか。
機会を見つけて攻撃に参加させ、名誉回復をさせよう。
状況によって、できなければ、自爆までもってゆこう」。

彼らは、2月20日にチモール島クーパン爆撃、3月29日にポートモレスビー写真偵察
に出撃したが、無事に帰還した。3月31日、M飛行長は「単機発進してモレスビーを
爆撃してもらいたい」という命令を出した。

3月31日午前10時10分、単機で出撃した中攻機から、の電文が発せられた。
「爆撃終了。全弾命中」、
「地上砲火熾烈。われ被害なし。天候晴れ」、
「われ、いまより自爆せんとす。天皇陛下万歳」
2014/09/08(月) 01:20:29.76ID:f0dMPPDX
>>15 >>18 B
全くのウソ。 日付もウソ、命令の出所もウソ。

明確な「自爆」命令というものではなかったが、戦陣訓的な潔さ(自決・自爆)を、
暗黙のうちに周囲の者たちも、本人たちもそれを意識せざるを得ず、結果的に
自爆に追い込まれたというのが真相である。

周囲の将兵も、この中攻機搭乗員8名に対して、
「下士官の面汚しだ」、「だいたい機長がだらしないからだ」
「一空の歴史を汚しやがった」などという声をかけたという。そのような状況に
彼ら8名もやがて「こうなったら早く死なせてください」と飛行長にせがんだという。
この背景には、中国大陸での戦闘では敵地に不時着しても敵に残虐に
殺されるから、自爆することが暗黙の共通概念となっていたことや、戦陣訓
の「生きて虜囚の辱を受けず」の考えも影響を与えていたことがある。

このいわゆる1空事件は、第11航空艦隊の内部だけで処理されているのであり、
第11航空艦隊の上部組織である連合艦隊司令部にはこの件の報告は全くされていない。
坂井三郎氏らは現場の風聞で耳にした「司令長官」という単語を
連合艦隊司令長官である、と 勘違いしたものであろう。
事実は「第11航空艦隊司令長官」である。

中川八洋と三村文男らは山のようにウソを書いている。
ウソをウソと知りながらばら撒いている>>15 >>18 と同様、
極刑に処せられるべきであろう。そして、
もの笑いになり、生き恥をさらすがよかろう・・・・
2014/09/08(月) 07:56:13.07ID:f0dMPPDX
>>15 >>18
坂井三郎氏ら現地将兵の大部分は実情は知らされていないので
そのようなことを言えるはずがないのだ。
結局、流言飛語の類でしかない。

実情を知るのは、
第11航空艦隊の司令長官と参謀長、
第21航空戦隊の司令官と首席参謀
第1航空隊(1空)の司令と飛行長 
だけである。
24名無し三等兵
垢版 |
2014/09/08(月) 13:55:49.63ID:L2EmCQbI
秦郁彦は、集団的自衛権については何か言った?
しかし秦、保阪、半藤が、3Hと言われ揶揄されているのか
渡部昇一は当然、田母神と共著を出して
http://ecx.images-amazon.com/images/I/51%2ByCNxwttL.jpg

【政治】保阪正康氏「戦争をしないという事は私たちの誇りなのに…安倍政権は保守政党ではなく、右翼化した全体主義政党だ」 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1387638659/
【政治】言論統制「昭和のまね」、ネット右翼など消えぬ攘夷思想…目前に「引き返せぬ地点」、集団自衛権に警鐘、作家・半藤一利氏★3 http://peace.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1403103372/
25名無し三等兵
垢版 |
2014/09/09(火) 09:16:43.71ID:MEs/9tAb
http://ecx.images-amazon.com/images/I/51Y87oZRmTL.jpg
2014/09/09(火) 13:38:55.19ID:LHaLoIii
ここも土足が建てたんだろ
2014/09/09(火) 22:59:48.43ID:3aomaF4e
>>15 >>18

坂井三郎氏の著書「零戦の真実」を改めて読み返してみた。
坂井氏はこの自爆機とは全く接触の機会はなかったということを確認できた。
(三村文男氏はこの「零戦の真実」を引用して書いている)

坂井氏は連合艦隊司令部や軍令部が命令を出したと言ってるが、
いったい何をもとにしてそんなことを言ってるのか全く不明。
森玉部隊長が彼らの上司であったかのように書いているが、
森玉氏は、それまで茨城県にあった谷田部海軍航空隊司令であり
昭和17年2月から第4航空隊(4空)の司令となったのであり、
問題の中攻機が所属する1空の部隊長などではない。

坂井氏は同期生の中攻機乗員の手記を証拠として出しているが
そこにも連合艦隊司令部や軍令部が出したなどということは書かれていない。

したがって、坂井氏の言ってることは根本的に誤りである。
結局、坂井氏は風聞をもとに憶測・推測したということか、または、
出版社のゴーストライターが勝手に創作したものかも知れない。
2014/09/10(水) 03:46:32.53ID:aUDhXd+P
大雪のとき安倍が天ぷら食ってた、広島の土砂災害のとき安倍はゴルフしてた
って言われるように、当時だって司令長官のせいだって前線の兵士は思うんじゃ
ないの?
個別の件についてはノータッチだったとしても、捕虜になったパイロットがどういう
目に遭うかは知ってただろう。
29名無し三等兵
垢版 |
2014/09/11(木) 16:53:40.35ID:MF4215sK
坂井三郎の自己宣伝

【ホラ武勇伝】
・坂井「僚機を失ったことがない」←死なせた僚機たちをもみ消し(横須賀海軍航空隊硫黄島派遣隊戦闘機隊戦闘詳報)
・坂井「B17の初撃墜に参加」←参加してない(大空のサムライ研究読本)
・坂井「下士官で組まれた小隊の隊長に唯一人選ばれた」←他にもいくつもある(大空のサムライ研究読本)
・坂井「敵に追われる同期の乗る攻撃機を果敢に守った」←そんな戦闘なし(大空のサムライ研究読本)
・坂井「B17の部隊を全て撃墜」←架空の戦闘を虚偽報告(米第5空軍戦時日誌)
・坂井「輸送機を逃してあげ戦後乗っていたオランダ人と再会」←そんな戦闘記録なし、再会もただの自称(台南空飛行機隊戦闘行動調書)
・坂井「8月7日空戦で負傷しリタイア」←戦闘の負傷じゃない(台南空飛行機隊戦闘行動調書)
・坂井「西澤、太田と敵基地上空で宙返り」←そんな出撃なし(大空のサムライ研究読本)
・坂井「64機撃墜」←売名のための創作(祖父たちの零戦)
・坂井「ラバウルで鴛淵を育てた」←面識なし(台南海軍航空隊第1巻)
・坂井「横空で紫電改のテストパイロットでした」←本当は宮崎の飛行隊で紫電の整備(海軍戦闘機列伝)
・坂井「笹井中尉の手紙で撃墜五十機以上、神の如き眼、海軍の至宝と絶賛されている」←本当はそんなこと書かれていない(大空のサムライ完結編)

【無責任な言動】
・坂井「日本は寄生虫」→寄生虫はねずみ講で搾取した坂井(歴史通)
・坂井「日本人は歴史を知らない」→坂井「韓国のおかげで日本があるから金を渡せ。ベトナムでも韓国軍が一番勇敢だった」歴史を知らない坂井(歴史通)
・坂井「私の勤務地には慰安婦なんていなかった」←いたのに頑なに否定して自己保身に走る坂井(修羅の翼)
・坂井「特攻に行かせるなんてひどい」←さんざん行かせた坂井が全て他人事(零戦の秘術)
・坂井「今の若者は向上心がない」(爺言)←若者の前では言えない(朝まで生テレビ)
・坂井「終戦後の攻撃は松田司令の命令」(爺言)←本当は攻撃禁止命令を無視して勝手に攻撃、司令の死後に全て責任転嫁(大空のサムライ)
・坂井「天皇たちに騙されたから戦った」←終戦後に命令無視の攻撃までしておいて全て人のせい(爺言)
2014/09/12(金) 01:07:10.14ID:tL8ncg2U
★山本五十六は捕虜となった搭乗員に自爆を強要

しかし、昭和十七年(1942年)5月の初めでした。
その搭乗員たちにもついに最後の断が下りました。
山本五十六長官によって、これを自爆させろという命令がまいりました。
その頃、私たちはポートモレスビーのアメリカ軍機と戦っておりましたが、
五月の初めに前進基地のニューギニアのラエという基地に、森玉部隊から
二機の九六陸攻が飛来いたしまして、一機は彼らが搭乗していました。
そして、もう一機には飛行長が乗っていて、彼らの最後を見届けるために
やってきました。私たちはそんなばかなことはあるかと言ったけれども、
とても私たちの意見は通りません。

『知られざる坂井三郎』大空のサムライの戦後
【第一章】坂井三郎のラスト・メッセージ
日本外国特派員協会講演<1>(1992年6月15日)
2014/09/12(金) 07:11:24.89ID:grOWOqrz
>>30 @
それ完全に創作小説。事実ではありませんよ。
(慰安婦騒動の発端の吉田清冶と同じ)

坂井三郎氏の著書「零戦の真実」を改めて読み返してみた。
(三村文男氏はこの「零戦の真実」を引用して書いている)
坂井氏はこの自爆機を見送った、と書いているのだが、その状況描写は一切ない。

調べると、
@坂井氏が所属する台南空がラバウルに進出するのは昭和17年4月16日で
ラエに進出するのは昭和17年4月17日である。

A問題の中攻機は既に3月31日、ラエ基地から単機出撃し自爆している。
(昭和17年3月〜昭和17年5月 1空飛行機隊戦闘行動調書:防衛省防衛研究所資料)
1空は4月10日に本土に後退し、木更津で再建に入る。
( 巌谷二三男,「ソロモン・ニューギニア東部方面作戦参加陸攻隊一覧表」,
「陸上攻撃機隊関係航空隊開解隊一覧表」,『中攻』原書房 1976 )

B坂井氏は、問題の中攻機をラバウルやラエで見送る機会は無かった、のは明らか。
C5月自爆という日付けも誤りである。事実は3月31日。
D坂井氏はこの自爆機を見送った、と書いているが、それは全くあり得ない。
掩護機として付いて見送ったのは第4航空隊(4空)の零戦3機である。(3月30日)
(昭和17年2月〜昭和17年4月 4空飛行機隊戦闘行動調書:防衛省防衛研究所資料)
その状況描写が一切ないのも、坂井氏が見送っていないことを裏付ける。

E坂井氏は同期生の中攻機乗員の手記を証拠として出している。しかし、
同期生の手記と称する文章に、ラバウルからラエに8名の中攻機乗員と飛行長が
一緒に飛んでいったとの記述があるが、事実ではない。
8名の中攻機乗員は3月30日にラバウルから出撃したが、帰途に燃料不足のため
ラエに着陸しており、翌31日に飛行長がラエに自爆を告げる為に向かったのである。
(1空飛行機隊戦闘行動調書)
2014/09/12(金) 07:12:11.85ID:grOWOqrz
>>30 A
それ完全に創作小説。事実ではありませんよ。
(慰安婦騒動の発端の吉田清冶と同じ)

Fこの同期生が手記に書いているのは、「飛行長が命令を告げた」ということだけだ。
そこにも連合艦隊司令部や軍令部が出したなどということは書かれていない。
坂井氏は連合艦隊司令部や軍令部が命令を出したと言ってるが、
いったい何をもとにしてそんなことを言ってるのか全く記入は無い。
(おそらくは同期性の手記も創作であろう。如何なる手記なのか記載なし)

G森玉部隊長が彼らの上司であったかのように書いているが、
森玉氏は、それまで茨城県にあった谷田部海軍航空隊司令であり
昭和17年2月から第4航空隊(4空)の司令となったのであり、
問題の中攻機が所属する1空の部隊長などではない。

H坂井氏は別の著書「大空のサムライ」に、
彼らを励ますために、風防ガラスにこう書いて伝えた、とある。
「ムダニシヌナ キミタチハ オレタチガ カナラズマモル ガンバレ」
風防にいったい何によって書いたのか?ペンキ?w
書いたとしても相手が理解できるには文字は鏡像として反転して書かねばならない。
坂井氏は普段からそんな書き方の訓練をしていたのだろうか?w
文章からは坂井氏が中攻機の護衛戦闘機の一機として付いていたらしいが
これらの文字を遠くの中攻機から見て理解できるとは思えない。w
別の著書には、彼らを見送ったとあるだけで、この話は書いてない。
2014/09/12(金) 07:12:54.01ID:grOWOqrz
>>30 B
それ完全に創作小説。事実ではありませんよ。
(慰安婦騒動の発端の吉田清冶と同じ)

I自爆が行なわれた3月末に、
坂井氏の所属する台南空は比島のクラーク基地などから
比島・蘭印方面に出撃しており、ラバウルやラエには進出していない。
問題の中攻機の所属する第1航空隊(1空)はこの当時ラバウル基地から
ニューギニア方面(ポートモレビーなど)に出撃していた。
(1空の中攻隊がラバウルに進出したのは2月23日)
ニューギニヤ方面の掩護は3空や4空が行なっていた。
3月30日、31日に自爆中攻機を最後に掩護したのは4空の零戦3機であり
坂井氏ではなかった。
「昭和17年2月〜昭和17年3月 台南空 飛行機隊戦闘行動調書」 
(昭和17年2月〜昭和17年3月 3空 4空 飛行機隊戦闘行動調書 )

J台南空がラバウル(ニューブリテン島)に進出したのは4月16日であり、
翌17日にラエ(ニューギニア島東部)へ進出したのであるから、坂井氏は
自爆中攻機と接触したことはないのである。したがって、
風防に文字を書いて「ムダニシヌナ・・・」と伝える状況などはありえないのである。

★★以上から、坂井氏の著書を「事実と思うのは100%不可能」である。

結局、坂井氏は風聞をもとに憶測・推測しそれをもとに創作したということ、
または、好意的に解釈すれば、
出版社のゴーストライターが勝手に創作したものか・・・・。
2014/09/12(金) 08:16:06.89ID:grOWOqrz
>>30
まったくのウソ。

@問題の中攻機は既に3月31日、ラエ基地から単機出撃し自爆している。
(昭和17年3月〜昭和17年5月 1空飛行機隊戦闘行動調書:防衛省防衛研究所資料)
アジア歴史資料センターで閲覧可能。

A坂井氏が所属する台南空がラバウルに進出するのは昭和17年4月16日で
ラエに進出するのは昭和17年4月17日である。

B森玉部隊は4空(第4航空隊)であって、1空とは関係なし。

したがって坂井氏が
「私たちはそんなばかなことはあるかと言ったけれども、
とても私たちの意見は通りません。」
などと言う場面が存在していなかったのは確かです。
35だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2014/09/12(金) 20:21:10.31ID:7JSTE3P8
 当時のアメリカは驚きました。日本軍は南方で劣勢なのに、こんな中国で大部隊が日本本土から離れていくという作戦をやっている。
日本は結構余裕があるのかもしれない、というふうに情勢判断を大きく間違えます。1945年のヤルタ会談の時点で、結構日本は戦う
かもしれないぞ、少なくともあと18ヶ月ぐらいは、1年半ぐらいは戦うであろうという判断をアメリカはするのです。日本軍の実力を実態
以上に大きく見てしまったのです。これは大陸打通作戦の「成功」によるものです。
近現代の日本の戦争と「領土問題」──安倍政権の逆行──
講師・山田 朗(明治大学教授)
http://kenpo-9.net/document/130222_yamada.html

山田朗なんて左翼の学者でさえも、「大陸打通作戦」を大きく取り上げている。

なのに石原慎太郎とか渡部昇一とかの「国士系」論者は、紫電改の大戦果なんてホラ話は語るのに、
大陸打通作戦についてはまったく語ろうとはしない。

なぜなんだ?

どっちみち米軍主力はヨーロッパ方面なのだから、日本軍だって主力を中国方面に向けても良いはずだ。
米軍は対独戦、日本軍は日中戦争、それでおあいこではないのか?
2014/09/12(金) 21:33:04.35ID:mwKK9LpZ
>>2
山本五十六についての批判が、まともに行われてないのは
GHQや支那共産党の差し金なんかな。
あやしいよな。
37名無し三等兵
垢版 |
2014/09/12(金) 21:58:50.73ID:/YLMhgs5
半藤、保坂はキチガイだが秦は日本の頭脳だぞ。
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