スピットファイア MkT

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1名無し三等兵
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2014/09/29(月) 21:36:43.19ID:EpcX1BC4
戦歴、戦術、その他雑談もあり。
514名無し三等兵
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2015/10/01(木) 18:12:44.61ID:oKNHgUAI
>>489
>液冷エンジンを自力で開発してグレードアップもしたイギリスとドイツ
>低空用液冷エンジンに排気タービンを組み合わせたアメリカ
>ライセンス生産に成功して数こそ少ないが優秀な液冷エンジン戦闘機を送り出したイタリア
>液冷エンジンのライセンス生産にしくじった極東某国

 六月二十二日の“威力偵察”にはじまり、二十三日にソ連軍攻勢作戦『バグラティオン』が本格化してみると、
独ソ両軍の優劣の差は、ソ連軍の推算以上に大きかった。
<中略>
 とくに空軍戦力の差は、ひどかった。
 第六航空軍は、約六百八十機を保有していることになっていた。
 ところが、ソ連機をむかえて飛びたったのは、わずか四十機―。
 残りは整備不十分または燃料不足で飛べず、舞い上がった四十機にしても、
ガソリンが無いために三回以上の出撃はできない有様であった。
<児島襄「ヒトラーの戦い 6」の464頁>

 東部では中央軍団の破局的消滅はほとんど完全だった。一九四四年七月六日の正午の会議で、
総統は北方軍団に撤退を命じることで、そこから四個師団引き出せるとのモーデルの見解を再び拒否し、
救えると思うのは幻想にすぎない、どういうことが起るかといえば、軍団は要塞化陣地と重砲と装備を
失うということだといった。ホイジンガーの方を向いてヒトラーは、この災厄でこれまで中央軍団にどれだけ
損害があったか、静かに訊ね、「一二から一五師団が包囲されていますが、全般的損害は二八個師団
に上るでしょう」と告げられた。
 なんと二八個師団である。六月二二日以降わずか二週間で、ヒトラーは三五万の訓練済みのドイツ兵
をロシア側に奪われたのだった。
「ヒトラーの戦争 下」(デイヴィッド・アーヴィング 早川書房 P238、239 )
515名無し三等兵
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2015/10/01(木) 19:33:53.17ID:RGc+1VO6
>>513
その点マスタングは流石だな
2015/10/01(木) 20:30:59.19ID:zjslYSB8
>>512
\は頭打ちどころか、\だけでかなり馬力も全開高度もガンガン騰がってるけどね
最後は2000馬力になったし

単純な性能なら\より[の方が性能いいよ
[は別設計でタンクも多く航続距離も長い

\が偉大なのはほぼVのエンジンスワップなところ
Vの時と一緒でいきなり大量の\が出現した(Vのエンジンスワップ\)

テンペストはロール性能ウンコでFW相手にするには結構メンドイよ
517名無し三等兵
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2015/10/01(木) 21:28:04.21ID:/q5X9MQs
>>516
時間のかかる本格的変更版より暫定版がメインタイプになるのがスピットの歴史だが
そういうケースは良くあるよね。
スペックよりも即戦力が大事。
2015/10/01(木) 23:26:29.27ID:Qr7uZFif
最小限の改修でエンジン載せ替えバージョンが完成してしかも予想を超える成功作になったのがスピットファイアの凄いところ
他に例を思いつかない
Bf109はF型で尾部破壊のトラブルを起こしてる
2015/10/02(金) 04:57:24.75ID:33d6jWcP
双発から4発に改修して成功作になった爆撃機もイギリスか
2015/10/02(金) 20:34:02.41ID:o3zhiXNc
>>506
スピットファイアマーク[はビルマ航空隊の天敵だったぞ。

1943年10月のスピットファイア・マーク[の配備以後、たちまち日英の制空権は逆転した。
1943年12月31日のチッタゴン上空での戦いは日本陸軍機気を一方的に12機撃墜
1944年1月15日のアラカン上空では日本陸軍機を一方的に7機撃墜

圧巻は2月10-14日のアドミンボックスの戦いの航空戦で
スピットファイアは日本陸軍戦闘機を一方的に60機以上撃墜した。
この敗北は以後の戦局に膨大な影響を与えたすさまじいもので、
第5飛行師団の田副登が航空支援が無理になったからインパール作戦を中止してくれと
牟田口に泣きつくほどだった。
以後日本陸軍戦闘機は2機以上で出没することがなくなるほど、
立て直しがまったく不可能になった。
インパールで航空支援がなく大日本帝国陸軍歴史叙情最悪の敗北をしたのも
スピットファイアマーク[がすさまじい勢いで陸軍航空隊を撃墜したせいだ
521名無し三等兵
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2015/10/02(金) 20:41:39.08ID:BKZ/4BHe
さすがRAFすごいですねー(鼻ホジ
522だつお ◆t0moyVbEXw
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2015/10/02(金) 20:42:56.60ID:n2IbVJ8Q
>>520
>インパールで航空支援がなく大日本帝国陸軍歴史叙情最悪の敗北をしたのも
>スピットファイアマーク[がすさまじい勢いで陸軍航空隊を撃墜したせいだ



 スリムも飛行機が必要だった。彼の第一四軍は、日量七五〇トンが物質が要る
と算出されていたが、メイクテーラ作戦がフル稼働する三月以降は、これが
一二〇〇トンに上る。ある朝、インパールの司令部で上空を飛行機が飛ぶの
を聞いたが、これは自分に割り当てられていたダコタ機三個中隊で、急に中国
へ向かうよう命令されたのだと知って仰天した。彼は、手に入る飛行機を全部
使って、日に七千回の出撃が必要なのに、予告なしに七五機を失うのはひどい
痛手だ(Lewin,Slim 217頁)。紛糾のもとは、中国情勢である。シェンノート
航空隊が、やがて日本本土を空襲するはずだ。その中国のアメリカ軍前進基地
に対し、その使用を封殺するために日本の中国派遣軍が一号作戦を発動し、
飛行場群の奪取を狙っているのだ。
<ルイ・アレン「ビルマ遠い戦場 ビルマで戦った日本と英国」中巻 291頁>
2015/10/02(金) 21:07:58.26ID:z7EkNwqY
第二次アキャブ作戦の実際の日英空軍の損害ってどうなんだろ
梅本弘の「ビルマ航空戦」に書いてないかな
2015/10/02(金) 22:31:03.81ID:w4D7cNOZ
日本が制空権を確保してれば負けなかった訳だが、史実は日本の敗戦
つまり日本の航空隊が最終的には敗北したということ
スピットファイアはMk.Iでも最高速度が零戦五二型や隼V型を上回る高性能
航続距離の短さは本来の役割がナチス・ドイツから英国を防衛するインターセプターだったことを考えれば理解出来る
525だつお ◆t0moyVbEXw
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2015/10/03(土) 03:20:11.56ID:s/bT3/DF
>>520
>インパールで航空支援がなく大日本帝国陸軍歴史叙情最悪の敗北をしたのも
>スピットファイアマーク[がすさまじい勢いで陸軍航空隊を撃墜したせいだ

しかも、米国の統合参謀本部は、蒋介石とスチルウェルの中国連合軍と協同して大規模な攻勢をかけ、
ビルマ北部から日本軍を一掃し、ビルマと中国を結ぶビルマ・ルートを再開するよう英国に要求してきた。
この戦域での作戦の成功に必要な航空機と物資の補給を米国が握っていたこともあり、
英国はその要求を呑まざるを得なかった。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2002/forum_j2002_12.pdf

 シェンノートは、揚子江にむかって前進中の日本軍を攻撃してもよいとの許可をあたえられたが、
多くの飛行機をビルマ作戦に転用されたうえ、中国東部にある基地の予備燃料がおそろしく少なかったため、
中国軍に適切な航空支援をあたえることができなかった。
 このとき(四月三十日)、第14航空軍は五〇〇機を保有していたが、使用できたのは四〇〇機であった。
 このうち二〇〇機をビルマ作戦にもっていかれ、残りの二〇〇機で、ヒマラヤ越え空輸の防護と、
中国軍への航空支援を行わなければならなかった。
 二〇〇機という数は、二つの任務をうまく果すためには、到底不十分な数であった。
http://homepage1.nifty.com/ktymtskz/aircraft/chaina8.htm
526名無し三等兵
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2015/10/03(土) 19:34:58.80ID:tnBuj750
>>516
グリフォンスピットなら圧倒できそうだけど
飛んでいけないだろw
527名無し三等兵
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2015/10/06(火) 10:13:02.43ID:gkIFLO34
>>523
梅本本は、日本軍の敗北を意図的に省いてるからたちが悪い。
でも第二次アキャブの航空戦の敗北以後は、日本軍はまともな航空支援が一切行えなくなってしまった。
スピットファイアmk.[はそれだけインパクトあったと言うのが実際のところだろうな。
528だつお ◆t0moyVbEXw
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2015/10/06(火) 11:24:09.42ID:7tjvaD12
>>527
>梅本本は、日本軍の敗北を意図的に省いてるからたちが悪い。
>でも第二次アキャブの航空戦の敗北以後は、日本軍はまともな航空支援が一切行えなくなってしまった。

>>520
>インパールで航空支援がなく大日本帝国陸軍歴史叙情最悪の敗北をしたのも
>スピットファイアマーク[がすさまじい勢いで陸軍航空隊を撃墜したせいだ

 12月31日、64戦隊は一式戦21機を以て、終日、鉄道橋上空を哨戒、この日、
ミンゲ鉄橋は修理が完了し、鉄道器材は予定とおりマンダレーの南方への転用
を終えた。カドマ西方では、英印軍の戦車数十両、トラック300台、兵員
3千名(日本側判断)が、第31師団の前線を突破、東方へ前進中だった。これは、
この日、イエウを経由してシュエポに向かっていた英第2師団であった。
 50戦隊の四式戦13機、一式戦4機は、この突破部隊への対地攻撃を命じられ、
10時30分に離陸、イエウ西方約30キロ地点で、路上を行軍中だった英印軍の
戦車50両、自動車100台に対し「タ」弾攻撃後、地上掃射を行った。14時30分、
50戦隊は、ふたたび攻撃したが、不調機が続出、二度目の侵攻に参加したのは
6機のみだった。しかも肥後軍曹機は帰還時、バッテリーがあがり、メイクテーラ
東飛行場までたどり着けず、オマトエ飛行場に着陸した。日本側は、四式戦の
20ミリ機関砲が地上攻撃で大きな威力を発揮。英印軍機甲部隊の進撃は数日間
にわたって停滞したうえ、以後は昼間に密集行動をとらず、夜間に分散移動
するようになったと評価している。
 昭和19年12月、ビルマ方面に展開していた英空軍機の1日平均出動可能機数は、
627機、同じく米陸軍航空隊は691機、合計1318機であった。一方、
第5飛行師団が第15軍の「イラワジ作戦」に常時、対地攻撃が可能と報告した
兵力は、第4飛行団の戦闘機約20機、軽爆約10機、司偵2機であった。
<梅本弘「ビルマ航空戦 下」 >
529だつお ◆t0moyVbEXw
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2015/10/06(火) 11:25:40.22ID:7tjvaD12
>>489
>液冷エンジンを自力で開発してグレードアップもしたイギリスとドイツ
>低空用液冷エンジンに排気タービンを組み合わせたアメリカ
>ライセンス生産に成功して数こそ少ないが優秀な液冷エンジン戦闘機を送り出したイタリア
>液冷エンジンのライセンス生産にしくじった極東某国

―ロシアの前線で戦った搭乗員と、ドイツ本土防空戦の参加者との感覚の違いをお聞きしてもいいでしょうか?
 ロシアでは戦争そのものも、飛行機も、戦いも全く異なっていましたね。ロシアで行われていたのは純粋な空中戦でした。
仕事…うーん…ゲームというのとも違うな、スポーツ、そう、スポーツに似たような感じです。もしもこのような表現が許さ
れるのであれば。生存を賭けたギリギリの戦いではありませんでした…一方、ここドイツでは、高高度から街々に爆弾
が降り注がれ、辺り一面で爆発が起きるのを見ながらの戦いですから、より個人的な、より感情的なものとなりましたよ。
連合軍の爆撃機は800機ずつ、そして戦闘機も同じくらいの数がやって来る。これは全く違う戦場です。ここドイツでは、
搭乗員の命は平均して7日だけ、1週間だけしかもちませんでした。ロシアではこれほどの緊張はありません。
勿論、損失は出ていたのですが、しかしたったの7日間ということはなかった。
―どうしてそうなったのでしょうか?戦闘機ですか、それとも爆撃機の防御砲火にやられたのですか?
 問題は爆撃機の銃手です。はっきりとは憶えていませんが、爆撃機のクルーは8〜10人で構成されていて、
操縦手以外の全員が攻撃してくる戦闘機を迎え撃つわけです。それが大変だった。だから、私たちは正面から攻撃し、
2倍の速さで接近することで、防御砲火の圏内にいる時間を短くしようと務めました。私は常に正面攻撃をやっていて、
後ろから接近したことは一度もありません。敵の爆撃機は全体が機関銃だらけで、2連装のも4連装のもありました。

ドイツ戦闘機隊エースとの対話 アルフレート・グリスラフスキ
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/grislavski1.html
530だつお ◆t0moyVbEXw
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2015/10/06(火) 11:27:50.16ID:7tjvaD12
>>520
>インパールで航空支援がなく大日本帝国陸軍歴史叙情最悪の敗北をしたのも
>スピットファイアマーク[がすさまじい勢いで陸軍航空隊を撃墜したせいだ

 スリムも飛行機が必要だった。彼の第一四軍は、日量七五〇トンが物質が要る
と算出されていたが、メイクテーラ作戦がフル稼働する三月以降は、これが
一二〇〇トンに上る。ある朝、インパールの司令部で上空を飛行機が飛ぶの
を聞いたが、これは自分に割り当てられていたダコタ機三個中隊で、急に中国
へ向かうよう命令されたのだと知って仰天した。彼は、手に入る飛行機を全部
使って、日に七千回の出撃が必要なのに、予告なしに七五機を失うのはひどい
痛手だ(Lewin,Slim 217頁)。紛糾のもとは、中国情勢である。シェンノート
航空隊が、やがて日本本土を空襲するはずだ。その中国のアメリカ軍前進基地
に対し、その使用を封殺するために日本の中国派遣軍が一号作戦を発動し、
飛行場群の奪取を狙っているのだ。
<ルイ・アレン「ビルマ遠い戦場 ビルマで戦った日本と英国」中巻 291頁>
531だつお ◆t0moyVbEXw
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2015/10/06(火) 11:36:01.88ID:7tjvaD12
>>520
>インパールで航空支援がなく大日本帝国陸軍歴史叙情最悪の敗北をしたのも
>スピットファイアマーク[がすさまじい勢いで陸軍航空隊を撃墜したせいだ

ビルマ北部への集中的な連合軍の航空作戦と、リベレーター(B-24)とミッチェル
(B-25)を装備した米陸軍航空隊の H・C・デイビッドソン大将率いる戦略空軍による
ビルマ南部の日本軍の飛行場への攻撃により、3 月末には航空優勢を獲得した。4 月に
なると、日本の戦闘機と爆撃機はインパールへの昼間攻撃を再開するまでに回復したが 、
英空軍は、スピットファイヤーによる空中哨戒を導入し迎撃態勢を整え、その後の 3 ヶ
月間で敵の活動は着実に低下していった。この結果、東部空軍によるインパール、コヒマ、
および、その他の地域への補給物資の空輸は日本の攻撃を受けることなく継続された。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2002/forum_j2002_12.pdf
532だつお ◆t0moyVbEXw
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2015/10/06(火) 16:20:10.89ID:7tjvaD12
敗北に終わったインパール作戦でさえも、コヒマは陥落させている。

この問題がまだ解決しないうちに、日本軍がビルマ公路に沿って、短い攻勢に出た。
蒋介石は、日本軍が一直線に昆明にまで攻めよせてくるのではないかと不安にかられ、
ビルマ戦線に全中国軍をサルウィン川の背後の安全地帯まで撤退させるとわめいた。
ルーズベルトは蒋介石に緊急の覚書を送り、ビルマから軍隊を引き揚げるようなこと
があれば、また全指揮権をスティルウェルに渡さないのであれば、アメリカからのすべ
ての援助を停止すると警告した。
スティルウェルによれば、大統領からのこの覚書は「火のついた爆竹」であった。
スティルウェルは蒋介石と会見し、「このとうがらしの包みをピーナツ野郎に手渡し、
大きく息を吐きながら椅子の背に身体を沈めた。鋲はこのちび野郎のみぞおちに命中し、やつを突きぬいた」
「宋王朝 下」(スターリング・シーグレーブ サイマル出版会)

1944年以降の連合軍に、「戦略的撤退」などという選択肢は全くあり得ないし、また許されることではない。
2015/10/06(火) 17:02:55.74ID:1m3ryH3B
スピットファイアは救国の名機と呼ばれる
もしバトル・オブ・ブリテンにおいてイギリスが敗北していたら今の歴史は違っていたかもしれない
つまりスピットファイアは救国と同時に救世の名機なのだ
534名無し三等兵
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2015/10/06(火) 17:06:10.27ID:P6G73HCR
>>527
梅本本読んだのか?
日本軍の敗北も普通に書いてるぞ。
535名無し三等兵
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2015/10/06(火) 20:11:55.18ID:SCJ202H2
>>533
止め刺したのマスタングでしょ
2015/10/06(火) 21:27:25.45ID:KLA/zn9y
19年春以降だとニューギニア戦線の崩壊、捷号作戦準備、
一式戦の生産縮小やらも重なってビルマ方面への補給も滞っただろうな
雨期に入るタイミング直前ってな事もあって後回し的な感覚もあったろうし
2015/10/06(火) 22:26:53.08ID:7k32pqYQ
>>535
BoB時にはマスタングいないんだけど…
2015/10/07(水) 00:52:07.90ID:pMEqOp4s
>>536
親戚のじいちゃん(故人)が隼に乗っててビルマで終戦を迎えたが、
末期にはスピット相手に数でどうにもならない状況だったそうな。
あえて月の無い夜や悪天候時に「定期哨戒」とか命令が出て、「2機上がれー!」
上がったら上がったで、なるべく会敵しなそうなルートをとって適当にひきあげてきた。情けなかったなあ、と言っておられた。
2015/10/07(水) 00:55:40.87ID:pMEqOp4s
ちなみに燃料は困らない程度にはあったとのこと。(機数が少ないせいか?)

存命中にもっと話を聞いておきたかったな・・。
540名無し三等兵
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2015/10/07(水) 12:50:26.39ID:B+HMNc+Y
>>527
>梅本本は、日本軍の敗北を意図的に省いてるからたちが悪い。

対中援助に寄与したアメリカの「フライングタイガー」
フライングタイガーは「中国空軍所属の中国援助アメリカ志願航空隊」の略称であり、1942年4月に創設し、
1946年4月、戦争終了後に解散された。創始者はアメリカ人飛行教官の陳納徳(シェンノート)氏であった。
1938年8月、宋美齢の求めに応じて、シェンノート氏は昆明市の郊外に航空学校を設立し、アメリカ軍の基準
で中国空軍を訓練し、中国空軍の対日戦に積極的に協力した。
1941年、ルーズベルト政府のひそかな支持の下で、シェンノート氏は個人団体の名義で巨額の資金を出して
アメリカ人パイロットとエンジニアを募集した。その年の7月と10月に、200余人もの勇敢で危険を恐れぬ隊員たちが、
対日戦参加のために中国に来た。
31回の空中戦で、フライングタイガーの志願者は5機ないし20機のP-40型戦闘機をもって217機の敵機を撃墜し、
みずからの損失はわずか14機だった。それ以後、「中国空軍所属の中国援助アメリカ志願航空隊」はフライング
タイガーのマークを使い始め、そのサメの頭の形をした戦闘機も世に名を知られるようになり、「フライングタイガー」
というニックネームも知られるようになった。抗日戦争が終わるまでに、フライングタイガーは敵機を2600機撃墜し、
積載量223万トン相当の船舶、軍艦44隻、100トン以下の内陸河川の船1万3000隻を撃沈するかあるいは大破させた。
また日本軍将兵6万6700人を撃ち殺した。フライングタイガーの隊員のほとんどは中国政府から賞を授与された。
10余人の飛行士はアメリカ、イギリス政府から飛行十字勲章を授与された。
http://japanese.china.org.cn/japanese/170095.htm
541名無し三等兵
垢版 |
2015/10/07(水) 12:56:11.41ID:1IwcXuF7
>>520
>インパールで航空支援がなく大日本帝国陸軍歴史叙情最悪の敗北をしたのも
>スピットファイアマーク[がすさまじい勢いで陸軍航空隊を撃墜したせいだ

 9月3日は、中国人全員が心に刻み、大いに気を吐く日である。中国人は抗日戦争のため大きな民族の犠牲を強いられ、
死亡者数が3500万人以上に達したからだ。抗日戦争の勝利は、中国人が日本帝国主義の侵略に対抗した正義の戦争、
世界の反ファシズム戦争の重要な構成部分、中国が近代で初めて外国の侵略に完全に勝利した民族解放戦争だ。
http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2014-09/02/content_33405119.htm

つまり中国の抗戦による直接人口損失の累計可能な見積もり数は2062万人で、累計可能な戦争の直接負傷障害
人口を合わせると、軍民の死傷は最低3480万人となる。同時に、中国の抗戦による直接の死傷人口は計4100万
以上になるはずで、戦時中の行方不明・捕虜などの数字を合わせると、戦争が直接中国にもたらした死亡、
負傷障害、失踪などの人口損失は4500万人を超えると考える。さらに人口損失の見地からは、抗日戦争期の
中国の人口損失総数は5000万人以上にのぼるはずである。
http://www.china-news.co.jp/node/4456

 興隆県が抗日戦争に勝利をおさめたことは、そうたやすいことではありませんでした。抗日戦争の中で中国側は3500万余人、
興隆県の中でこの13年の間に5万人くらいが殺されました。全中国の死者の700分の1です。県の統計資料によると、
興隆県で最後の4年間で15400人殺されました。興隆県公安局の1954年の7つの区に対する不完全な統計によると、
人圏の中の住民が疫病、凍死などで死んだ人が11400余人いました。1941年日本軍の統計数字によると全県の人口は1
6万人くらいいました。日本軍が投降後、全県の人口は10万人くらいになっていました。6万人くらいが殺されたことになります。
http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/cont/sankotou.html
542名無し三等兵
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2015/10/07(水) 13:04:31.07ID:6a1gRiFS
>>520
>インパールで航空支援がなく大日本帝国陸軍歴史叙情最悪の敗北をしたのも
>スピットファイアマーク[がすさまじい勢いで陸軍航空隊を撃墜したせいだ


Losses per theater(戦線別ドイツ軍戦死者統計)
Theater      Dead      %
Africa       16.066     0,3   ←アフリカ戦線ww
Balkans      103.693    1,9
 North      30.165     0,6
 West       339.957    6,4
 Italy       150.660    2,8
Eastern Front
(- Dec 1944)  2.742.909    51,6   ←ソヴィエト赤軍は
Germany (1945) 1.230.045   23,1   ←頼もしいよなぁ♪
Various       245.561   4,6
 Total       4.859.056
http://www.axishistory.com/axis-nations/germany-a-austria/144-germany-unsorted/statistics/2461-german-losses-per-theater
543名無し三等兵
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2015/10/08(木) 02:18:50.50ID:M60WOT7z
706 名前:梅本弘「ビルマ航空戦」 :03/02/19 20:24 ID:???
「わずかなサイゴン米と食糧切符を 手に解散」忘れられた戦場ビルマ
<前略>
この頃、宮邊戦隊長は、部隊の実 記録を整理して「飛行第64戦隊略 歴」 を作成、
この資料に写しが現在、防 衛庁防衛研究所戦史室に保存されて いる。当時は、
戦隊の戦闘詳報などの公式書類から、個人の日誌、写真に至るまで、 記録類はすべて
破棄するよう命じら れており、この簡単な資料のみが64 戦隊の戦歴全体の概要を今に伝えている。
一方、勝利を収めた英空軍は、東 南アジア全域における日本軍との戦いで、
空中勤務者4858名が戦死または 行方不明になったと記録している。 しかし戦後、
かれらが守るために戦った 英植民地、インド、ビルマは相次いで 独立し、アジアで戦った
英軍の犠牲 はまったくの無駄であったという声が澎湃と上がり、復員した英軍将兵を
苦しめた。やがて英国では、欧州での戦いに比べ規模も小さく、植民地の防衛という、
後世から見て大儀なき戦いであったビルマでの戦争は、半ば意図的に忘却の彼方に押しやられた。
2015/10/08(木) 23:35:31.83ID:zK7Y8ubn
>>534
あれ読んでると
インパールで航空支援が一切なくて完敗した理由がわかんねーんだよ。
1943年以後は捏造にしか思えんな。
2015/10/08(木) 23:41:49.53ID:zK7Y8ubn
>>538
やっぱり隼は新しいスピットに勝てなかったんじゃないか?
スピットファイアmk.[の配備以後、ビルマの日本陸軍が連戦連敗になったのは
無関係じゃあるまい。
スピット[は雨季も関わらず出撃して航空支援しまくってたし。
2015/10/09(金) 00:03:20.25ID:IVGCjSSI
スピットは結局イーブンな状況じゃないと隼にも苦戦する雑魚です
547名無し三等兵
垢版 |
2015/10/09(金) 02:06:46.06ID:pBNlPPy9
>>544
イギリス空軍には決して負けてない、その証拠にコヒマは落した。
その後のインパールで負けたのは、より強力なアメリカ陸空軍がやって来たから。

 このとき(四月三十日)、第14航空軍は五〇〇機を保有していたが、使用できたのは四〇〇機であった。
 このうち二〇〇機をビルマ作戦にもっていかれ、残りの二〇〇機で、ヒマラヤ越え空輸の防護と、
中国軍への航空支援を行わなければならなかった。>>525
548名無し三等兵
垢版 |
2015/10/09(金) 02:12:08.76ID:pBNlPPy9
>>545
>スピットファイアmk.[の配備以後、ビルマの日本陸軍が連戦連敗になったのは

なら何でコヒマは陥落したの? 1944年にもなって「戦略的撤退」なんて有り得んでしょ?

理由は、イギリス空軍だけでは力不足だったから。イギリスは米国に泣きついて、
中国から第14空軍を回してもらった。そのせいで日本軍の大陸打通作戦が成功してしまう。
549名無し三等兵
垢版 |
2015/10/09(金) 02:15:00.66ID:pBNlPPy9
>>532
>ビルマ戦線に全中国軍をサルウィン川の背後の安全地帯まで撤退させるとわめいた。

戦略的撤退? 馬鹿も休み休み言えってとこw
550名無し三等兵
垢版 |
2015/10/09(金) 02:19:14.33ID:pBNlPPy9
弱体なイギリス空軍と強力な米空軍、コヒマとインパールはその事実を浮き彫りにしてくれる。
2015/10/09(金) 19:00:15.06ID:CDi8JXN0
・「イギリス人の誇るスピットファイアは、彼らが信じるよりはもろい」
・「米軍の虎の威を借る狐みたいなスピットファイア」
・スタンレー山脈でグリフォンスピット(?)が零戦21型にフルボッコ

松本御大のアンチスピットぶり
2015/10/09(金) 19:03:01.76ID:zwJDK+lD
>>551
親の敵かw
2015/10/09(金) 19:38:09.54ID:40aSPqHR
>>544
第5飛行師団が制空権が無いから航空作戦は出来ないと牟田口に言ったらチンドウィン渡河まででいいと言われたらしく航空支援はほとんど行わなかったみたい
第15軍司令部すっ飛ばして窮状を叩きつけた部隊には補給物資の投下をしてたみたいだけど

>>548
コヒマ陥落については日本軍の補給を伸ばすための戦略的撤退と第31師団による奇襲成功が合わさった結果
戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が増援を送らなかったのでむしろ当然の選択
日本の補給が脆弱だっていう前情報もあったんだし
554名無し三等兵
垢版 |
2015/10/10(土) 07:03:50.49ID:Jf7zSVKC
>>553
>コヒマ陥落については日本軍の補給を伸ばすための戦略的撤退



この問題がまだ解決しないうちに、日本軍がビルマ公路に沿って、短い攻勢に出た。
蒋介石は、日本軍が一直線に昆明にまで攻めよせてくるのではないかと不安にかられ、
ビルマ戦線に全中国軍をサルウィン川の背後の安全地帯まで撤退させるとわめいた。
ルーズベルトは蒋介石に緊急の覚書を送り、ビルマから軍隊を引き揚げるようなこと
があれば、また全指揮権をスティルウェルに渡さないのであれば、アメリカからのすべ
ての援助を停止すると警告した。
スティルウェルによれば、大統領からのこの覚書は「火のついた爆竹」であった。
スティルウェルは蒋介石と会見し、「このとうがらしの包みをピーナツ野郎に手渡し、
大きく息を吐きながら椅子の背に身体を沈めた。鋲はこのちび野郎のみぞおちに命中し、やつを突きぬいた」
「宋王朝 下」(スターリング・シーグレーブ サイマル出版会)
555名無し三等兵
垢版 |
2015/10/10(土) 07:09:06.60ID:PVVz3Vz/
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

 戦後、ベルナルド・オランダ皇太子は、高名な戦史家で、本作戦を描いた名著『A Bridge too far
(邦題:遥かなる橋)』の著者でもあるコーネリアス・ライアン氏に次のように語った。ちなみに皇太子は当時、
亡命オランダ軍司令官で、作戦立案段階でモンティと会見、同国内の抵抗組織からの正確な情報などを提供
し作戦成功に役立てようとしたが、すげなく黙殺された経緯がある。「我が祖国は金輪際“モントゴメリーの成功”
などという愚にもつかぬわがままを許すことはできない」。
(しらいしひかる・戦史研究家)
学研「ノルマンディー上陸作戦」

結局モントゴメリーはマーケット・ガーデン作戦を90%成功したとし、「私の偏見的な見方では、もし作戦が当初から援護され、
十分な航空機、地上兵力、そして遂行するのに十分な資材が与えられていたなら、私の失敗や悪天候、アーネム地域に存在した
第2SS装甲軍団にもかかわらず成功していたであろう。私はマーケット・ガーデン作戦を擁護することを後悔していない。」と語った。
しかし、オランダのベルンハルト王子はコーネリアス・ライアンに「私の国にはもう一度モントゴメリーの言うような「大成功」を
実現させる余裕はない」と語った。モントゴメリーはマーケット・ガーデン作戦の被害をアイゼンハワーに正確に報告しなかったが、
作戦の詳細が明らかになるにつれ彼を二度と信用しなくなった。彼はモントゴメリーに対して最低限の戦略目標であるスヘルデ川
河口域北岸のドイツ軍の排除とアントウェルペン港の解放のみを命じた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E4%BD%9C%E6%88%A6
2015/10/10(土) 07:15:55.86ID:MD/nM07a
コピペ気違い発生
2015/10/10(土) 07:27:33.96ID:IFLnIICR
>>554
>ビルマ戦線に全中国軍をサルウィン川の背後の安全地帯まで撤退させるとわめいた。

ルーズベルトは中国軍のビルマにおける「戦略的撤退」を許さなかった理由だが、
イギリス軍が曲がりなりにもインパールで日本軍に勝利したのとは違って、
中国軍は脆弱すぎて情けないくらいに日本軍に連戦連敗だったからではないか。
2015/10/10(土) 07:38:46.24ID:nZZobp4P
>>555
イギリスは本命のヨーロッパでも米ソのような輝かしい勝利を収めることができず、
軍功を焦った結果、「マーケットガーデン作戦」の失敗を招いた。
2015/10/10(土) 07:48:26.13ID:hLQDy8I7
>>554
>ビルマ戦線に全中国軍をサルウィン川の背後の安全地帯まで撤退させるとわめいた。

1944年以降にもなって「戦略的撤退」なんてふざけんなってとこ。だから米国としては、
役立たずの中国を捨て、日本を同盟国に選ぶことを、真剣に考えなければいけなくなった。
ヨーロッパでは米国は何もせずともソ連は勝利しており、あとはナチの敗残兵を片付けるだけ。
だがアジアでは米国がいくら支援しても中国軍は日本軍に連戦連敗で、「同盟の逆転」は当然。
2015/10/10(土) 08:04:24.35ID:BMQv3FhU
>>554
>ビルマ戦線に全中国軍をサルウィン川の背後の安全地帯まで撤退させるとわめいた。

イギリスの場合は、コヒマでの敗北を認め、シェンノートの第14空軍からの緊急支援が来た。
561名無し三等兵
垢版 |
2015/10/10(土) 08:10:39.72ID:jlu2lR0+
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

米軍主力がヨーロッパへ向けられている間、皇軍は大陸打通作戦でチンピラゴロツキを殺戮しまくってた。
だから大陸打通作戦が遂行できたのはドイツのおかげ。大陸打通作戦の輝く栄光の3000キロ勝利行軍の裏には、
ドイツの悲しい犠牲があったわけで、ドイツの犠牲によって、大陸打通作戦をやらせて頂いた。ありがとうドイツ。
「ドイツ打倒優先」で米軍主力はヨーロッパへ向けられ、ドイツは体を張って米軍に奮戦して、
皇軍の大陸打通作戦を支援してくれた。身を殺して仁を為すとは、まさにこのことだった。
562名無し三等兵
垢版 |
2015/10/10(土) 08:25:06.54ID:Z5gqb2Ay
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

米軍だって「ドイツ打倒優先」だけど、1944年以降の「戦略的撤退」はありえませんでw
2015/10/10(土) 09:56:03.28ID:YHLJ+9J+
>>561
1944年の東部戦線ではミンスクで48万のドイツ中央軍団が壊滅するとか奮戦どころかフルボッコされてね?
564だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/10(土) 15:49:16.99ID:4i74zwAt
「隼の損害、戦果ともに筆者の調査で確認できたものだけで、実際にはもっと多いはずだ。調査には限界があり、完全ではないが、
昭和19年の後半から終戦まで、日本陸海軍の航空部隊が各地で目を覆いたくなるような惨敗を喫していた中で、主戦場から外れた
ビルマとさらに南東の辺境では、最後の最後まで、隼が信じられないような健闘をつづけていたのは確かである」
? 梅本弘 『第二次大戦の隼のエース』 2010年8月
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E9%9A%BC%E6%88%A6%E9%97%98%E9%9A%8A

>主戦場から外れたビルマとさらに南東の辺境では

それは専ら弱体なイギリス空軍が相手だったからだ。
565だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/10(土) 16:03:15.10ID:4i74zwAt
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

1942年6月、独ソ戦のドイツ軍は171個師団、北アフリカのドイツ軍は3個師団。

Location Of German Divisions In June Of Each Year
Country      1941   1942   1943  1944
USSR        34     171   179   157
France, Belgium
& Holland      38     27    42    56
Norway & Finland 13     16    16    16
Balkans       7       8     17    20
Italy          0       0     0     22
Denmark       1       1     2     3
North Africa     2       3     0     0
http://www.angelfire.com/ct/ww2europe/stats.html

2 ヒトラーの日本観
 他にもヒトラーが日本に対してあまり良い感情をいだいていない様子がうかがえる資料がほかにもあります。
ドイツ宣伝相で側近だったゲッペルスの日記には
「日本の勝利を感嘆かんたんする一方で、『白人』が東アジアでこうむった重大な損失をなげいていた」
ドイツの外交官ハッセルの遺稿いこう集には
「ヒトラーは日本軍の偉業(シンガポール陥落)に感心せず、もう一度あの黄色い奴等を追い返すために、
ドイツからイギリスに20個師団の援軍を送りたい気持ちだ」
http://ehatov1896-rekishi.doorblog.jp/archives/2161567.html 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:f2c519fe5384e767e1c9e99abdcfc293)
566だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/10(土) 16:07:49.70ID:4i74zwAt
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

ならノモンハンでの日本軍敗退も、支那戦線に重きを置いていた日本軍の「戦略的撤退」なのか?

ちなみに沖縄戦では55万の米軍を、7万7千の日本軍が迎え撃っている。従って優先順位が低いから、
戦線が小規模だからといって、手抜きをしてよい理由にはならない。
567名無し三等兵
垢版 |
2015/10/10(土) 16:11:53.50ID:6ZW6u1kc
アメリカ軍の公式戦史によれば、全戦死傷者数は 4 万 9,133 人(うち死者・行方不明者が
1 万 2,520 人)に上った。別の戦史によれば、地上戦における全戦死傷者数は 3 万 9,262 人
(うち死者 6,319 人)で、それに加え「非戦闘死傷者」が 3 万 3,096 人に上ったという。
フランクは次のように述べる。「このように、アメリカの全死傷者は 7 万 7,358 人にも達した。
訓練を受けた[沖縄の:引用者注]防衛部隊の総兵力が 7 万 6 千人であったことを考慮すれば、
これは、日本本土上陸作戦を準備しているさなか、とてつもなく不吉な指標である」39。
トルーマン大統領は、本土侵攻作戦に関するブリーフィングのために召集した会議において、
「日本本土のいずれにおいても、沖縄が再現されないことを望む」と述べていた40。
日本本土侵攻作戦の見通しそのものが明るかったと断言することは困難であろう。
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/16672/1/fujita_2014_bun.pdf

ハーバード大学卒業、冷戦下にモスクワ大学に留学歴があり、世界史の著作を多数執筆している歴史家
ジョージ・ファイファーは、アメリカ側の沖縄戦書籍としては、最も詳細なものの一つとなる著書Tennozan:
The Battle of Okinawa and the Atomic Bombの中で「前年の夏にノルマンディを防御した一部のドイツ軍部隊は、
極めて多い死傷者にも関わらず、持ち堪え、逆襲すら行って、連合軍指揮官に強い感銘を与えた。しかし、
ドイツ軍の兵器の多くは日本軍のものと違って、対抗する連合軍の兵器より優れていた。暗い見通しに関わらず、
優れた戦術と忍耐で戦ったドイツ機甲師団も、沖縄で日本軍が示した離れ業には匹敵できなかった(中略)
このような状況にくじけることなく、多くの死傷者が出ると言う悲劇にも耐える事ができたのが日本陸軍だけであったろう。」
とノルマンディー上陸作戦のドイツ軍と沖縄戦の日本陸軍を対比している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88%A6
568名無し三等兵
垢版 |
2015/10/10(土) 16:27:41.33ID:XsbCIQ7y
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

マッカーサー「アイシャルリターン(敵前逃亡)」 [転載禁止]©2ch.net
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1437932670/
569名無し三等兵
垢版 |
2015/10/10(土) 16:29:40.76ID:XsbCIQ7y
>>553
>コヒマ陥落については日本軍の補給を伸ばすための戦略的撤退と第31師団による奇襲成功

 六月二十二日の“威力偵察”にはじまり、二十三日にソ連軍攻勢作戦『バグラティオン』が本格化してみると、
独ソ両軍の優劣の差は、ソ連軍の推算以上に大きかった。
<中略>
 とくに空軍戦力の差は、ひどかった。
 第六航空軍は、約六百八十機を保有していることになっていた。
 ところが、ソ連機をむかえて飛びたったのは、わずか四十機―。
 残りは整備不十分または燃料不足で飛べず、舞い上がった四十機にしても、
ガソリンが無いために三回以上の出撃はできない有様であった。
<児島襄「ヒトラーの戦い 6」の464頁>

 東部では中央軍団の破局的消滅はほとんど完全だった。一九四四年七月六日の正午の会議で、
総統は北方軍団に撤退を命じることで、そこから四個師団引き出せるとのモーデルの見解を再び拒否し、
救えると思うのは幻想にすぎない、どういうことが起るかといえば、軍団は要塞化陣地と重砲と装備を
失うということだといった。ホイジンガーの方を向いてヒトラーは、この災厄でこれまで中央軍団にどれだけ
損害があったか、静かに訊ね、「一二から一五師団が包囲されていますが、全般的損害は二八個師団
に上るでしょう」と告げられた。
 なんと二八個師団である。六月二二日以降わずか二週間で、ヒトラーは三五万の訓練済みのドイツ兵
をロシア側に奪われたのだった。
「ヒトラーの戦争 下」(デイヴィッド・アーヴィング 早川書房 P238、239 )
570名無し三等兵
垢版 |
2015/10/10(土) 16:37:34.53ID:GQ8yZQX2
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

日本軍は「マリアナ作戦」「大陸打通作戦」「インパール作戦」の、三正面作戦だが?
571だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/10(土) 17:47:45.50ID:4i74zwAt
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

米軍もソ連軍も勝利に向かって快進撃を続けている中で、イギリスだけが「戦略的撤退」だぁ?
572だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/10(土) 17:51:36.99ID:4i74zwAt
>>553
>コヒマ陥落については日本軍の補給を伸ばすための戦略的撤退

 大陸打通作戦の第一次作戦(河南作戦)/昭和一九年(一九四四)四〜五月・・・・・・戦車第三師団、
戦車総数二五五両が参加。師団全体の踏破距離一四〇〇キロ、日数は三〇日(一日あたり四六・六キロ)。
師団捜索隊は約二〇〇〇キロ、三〇日(一日あたり約六七キロ)。
<中略>
 ここに示した日本戦車隊の長駆進撃も、連合軍側を大いに混乱させ急速な勝利をもたらした
典型例なのである。ちなみに、「電撃戦」と称賛される独ソ戦初期(一九四一年六〜七月頃)のドイツ
機甲部隊の場合と比較してみると、グデーリアンが率いる第二装甲集団が踏破距離約六五〇キロ、
日数二五日(一日あたり二六キロ)、マンシュタイン上級大将の第五六装甲軍団が約三三〇キロ、
四日(ドヴィンスク急襲時、一日あたり八〇キロ)で、日本戦車隊の"快速ぶり"はこれらに劣る
どころか優れた成果を上げているといえる。
<「陸軍機甲部隊」(学研)158頁  文・古是三春>
573だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/10(土) 17:56:08.67ID:4i74zwAt
>>553
>第31師団による奇襲成功

イギリス側は、偵察機さえまともに飛ばせられなかったのか?
2015/10/10(土) 22:55:08.67ID:LmL/B4MI
>>573
英軍が一個連隊しか通れないと判断してた山を第31師団が一個師団で通過して不意打ちしたらしい
575名無し三等兵
垢版 |
2015/10/12(月) 01:44:38.61ID:gWp3Dn7b
>>553
>日本軍の補給を伸ばすための戦略的撤退

≪児島襄「参謀(下)」のジョゼフ・スチルウェル編より引用≫
「“ピーナッツ”は偏屈で恩知らずの小さなガラガラヘビだ・・・・ (中国政府は)
自分たちだけのことしか考えないならず者の集団だ。指導者たちの興味は、
ただ金、権力、そして地位だけだ・・・・。手に入るものには何でも頭を下げ、
自分は戦わないように心がける・・・・。“インテリ”と金持ちは子どもを米国に送り、
農民の子どもが戦争に かりだされる。しかも注意も訓練も指示も与えられずに死んでいる。
 われわれは、この腐敗した政府を支持し、その偉大なる愛国者兼戦士
“ピーナッツ”に栄光を与えるために、戦おうとしているのだ?おお神よ!! 」
≪中略≫
当時の米軍は、日本軍と同じく、行軍距離単位は四キロであったが、
その米式訓練をうけたはずの、いやボートナー准将自身がその訓練をした孫部隊は、
一キロ歩いては休み、次に一キロ進んではごろりと道端に寝転がる。
 しかも、頭上に英軍機が飛来して補給物資を投下すると、隊列を
乱してむらがり、悲鳴をあげつつ、下着に利用するパラシュートを奪い合う。
≪中略≫
孫部隊は狂喜した。中国大陸で負けつづけ、日本軍といえばかなわないものと信じていたのに、
その日本軍がひきあげたのである。勝った、勝ったと小銃を空に乱射しておどりあがった。
 ところが、勝ちに乗じた勢いで快進撃するものと期待していた孫部隊は、
たしかに前進は開始したものの、そのスピードは以前にもおとる低速であった。
そして、昭和十九年一月二十九日、孫部隊はついに完全停止した。
 ボートナー准将の急報によってかけつけたスチルウェル参謀長は、にこやかに迎える
孫少将の顔をぼう然と眺めながら、考えこんだ・・・・なぜ、前進しないのか?
≪中略≫
スチルウェル参謀長は、孫少将にかみついた。
「明らかに命令違反である。よろしいか。貴下の第三十八師団は、 全中国軍のなかで
とびぬけて優良な兵器、弾薬、糧食の補給を受けている。 足りないというのなら、
迎撃砲も、火炎放射器も、米兵だってさしあげる。 だが、命令に従うのが条件だ・・・・
もし自分の使命が達せられないようなら、辞職してワシントンに報告せざるをえない」
2015/10/12(月) 02:10:15.78ID:aBQTsRwf
>>574
アラカン山越えだけで力尽きてもおかしくないのにw
577名無し三等兵
垢版 |
2015/10/12(月) 13:06:00.43ID:Lowv1RmT
誰だ!
どのクソだ!
アカの手先のおフェラ豚め!ぶっ殺されたいか!?
答え無し?
魔法使いのババアか!
上出来だ、
頭が死ぬほどファックするまでシゴいてやる!
ケツの穴でミルクを飲むようになるまでシゴき倒す!
2015/10/12(月) 15:04:54.73ID:p+BtXedh
>>548
コヒマって陥落してるって言えるの?

ディマプール防衛のためにコヒマの防衛軍が回されて1500人まで減らされて
攻める31師団は15000以上。
これでもイギリス軍陣地が落せず、戦線は膠着
4月18日にイギリス軍の増援が来て以来は負け決定だぞ。
2015/10/12(月) 15:08:41.01ID:p+BtXedh
>>574
そもそも、イギリス軍の航空機に昼間は常時攻撃されるため
日本軍は夜間に移動してたから。
日本軍はせっかく分捕ったイギリスの補給品を、ハリケーンに空爆されて失っている。
これもビルマ航空隊が全く航空支援ができなかったため。

隼の編隊でハリケーンを警戒しようと飛び立つと
たちまちにスピットファイアマーク[に襲われて撃墜されまくるからな
2015/10/12(月) 15:18:27.91ID:p+BtXedh
>>576
アラカンはマラリア、赤痢、チフスが大流行するやばい土地
イギリス軍で、兵の7割がマラリアにかかっていたくらいやばい土地だからな
ウィリアム・スリムは、キニーネが十分備蓄できるまで、攻勢に出なかった。
一方、日本軍はそんなのお構いなしに進軍。

コヒマでの戦死戦傷での損害は、イギリス4064人、日本5764人だが
イギリスが病死がほとんどなかったのに対し、31師団の死者14845人にのぼる。
イギリス軍は、戦傷病者を輸送機でカルカッタに送って治療してたが
日本軍機は一切妨害できなかった。
一方日本軍は航空支援が一切なく、傷病者は徒歩で帰還させられたため
途中で力尽きて白骨街道に・・・
2015/10/12(月) 15:18:30.58ID:gxHiFBZL
>>575
この文章何十回みてる
2015/10/12(月) 15:25:11.34ID:p+BtXedh
同じコピペばかりだよね
だつおロボはいったい何年前からいるんだよ?
2015/10/12(月) 15:36:21.81ID:gxHiFBZL
10年ぐらい前
584名無し三等兵
垢版 |
2015/10/12(月) 20:24:45.08ID:Lowv1RmT
昔のだつおは結構えらいひと達が持ち回りでやってたから
レベルの高いだつおもいたんだけどなぁ
2015/10/12(月) 22:23:50.78ID:Y2/gAqRj
仮にロボットじゃないとしても夜となく昼となく10年間毎日同じコピペを書き込むとか
想像するだけで怖いんだがw
586名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 02:12:47.24ID:jYu7peBW
???

>>578
>ディマプール防衛のためにコヒマの防衛軍が回されて1500人まで減らされて

>>580
>コヒマでの戦死戦傷での損害は、イギリス4064人、
587名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 02:14:54.91ID:jYu7peBW
>>579
>日本軍は夜間に移動してたから。

たった一夜でコヒマを落としたのか?
588名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 02:17:14.65ID:jYu7peBW
>>578
>4月18日にイギリス軍の増援が来て以来は負け決定だぞ。

 このとき(四月三十日)、第14航空軍は五〇〇機を保有していたが、使用できたのは四〇〇機であった。
 このうち二〇〇機をビルマ作戦にもっていかれ、残りの二〇〇機で、ヒマラヤ越え空輸の防護と、
中国軍への航空支援を行わなければならなかった。>>525
589名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 02:23:02.36ID:9o+thggY
???

>>578
>ディマプール防衛のためにコヒマの防衛軍が回されて1500人まで減らされて

>>578
>4月18日にイギリス軍の増援が来て以来は負け決定だぞ。
590名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 02:38:45.33ID:ocItJ3V/
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

地上に生き残るための戦い
 なぜ対戦相手、参戦国、または戦争地域のことを示唆しない、大祖国戦争という名称がロシアで使われているのだろうか。
ロシア人やソ連諸国の人民にとっ て、この戦争は祖国の戦争以外の何物でもなかった。自由と祖国の独立を求めた戦争であり、
生き残るための戦争だった。
 ではなぜ頭に大がついているのだろうか。それはこの戦争の勝利には多くの国が貢献しているものの、ソ連がドイツ国防軍を
倒した中心国で、その役割を強調しているからだ。ドイツ軍はソ連軍との戦いで、1340万人中74%にあたる1000万人を喪失した。
 アメリカのルーズベルト大統領は第二次世界大戦の最中の1942年5月、ソ連軍の活動とそ の影響を評価してこう記した。
「ロシア軍が連合国25ヶ国の軍隊よりも、対戦国の厖大な兵士と兵器に打撃を与えているという明白な事実を無視することはでき ない」。
 ロシア人がこの勝利を誇りに思い、多くの戦線のひとつととらえたがらないのは当然のことだ。そしてドイツとその同盟国であるイタリア、
ルーマニア、クロアチアが84万人を喪失したスターリングラード攻防戦と、ドイツとイタリアが3万人を喪失したエル・アラメインの戦い
が同レベルの戦いと見なされることを理解できないでいる。ヨーロッパ諸国の多くの歴史教科書では、第二次世界大戦としてこの2つの
戦いが同等に扱われている。
http://jp.rbth.com/society/2013/05/09/42899.html

■ フランスはすぐに降伏した。イギリスは全期間を通してひどかった。
  アメリカは間違いなく勝てるという確信を持てるまで様子見してた。
  勝利はすべてソビエトのおかげと言っても過言じゃない。 +5 ロシア
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-1451.html
591名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 02:43:16.91ID:ocItJ3V/
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

1973年、第二次世界大戦を詳述するイギリスのテレビ・ドキュメンタリー・シリーズが放映された。
28編のエピソード中、わずか第3編と、第4編の一部しかロシア参戦に触れていなかった。
イギリスの視点からすれば、勝利は英米の勝利なのだ。
これはソ連政府には納得しがたかった。ソ連は自らのフィルム・アーカイブを欧米に提供した。
1978年に、一編48分、20編のシリーズがアメリカのドキュメンタリー・テレビ・シリーズとして、
バート・ランカスターのナレーションで放映された。ドキュメンタリーの題は“Unknown War”だ。
確かにプロパガンダ版で育った大半のアメリカ人にとっては知られざる戦争だった。
Unknown Warは、第二次世界大戦で、ナチス・ドイツはロシア戦線に敗北したことを全く疑いが
ないほど明らかに示していたので、アメリカ人にとって驚きだった。エピソード20編中、
“連合国”つまり英米と自由フランスが特集されているのは唯一第17編のみ。20編中の1編というのが、
ナチス・ドイツ打倒に対する欧米参戦貢献のほぼ正確な比率だ。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/the-unknown-war.html
592名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 02:55:04.12ID:Bv/PK3la
>>415
そんなの幼稚園児でもわかる社交辞令だしw
そんなの真に受けるおめでたい馬鹿にしちゃっていいの?ロシア人をさw
4日でとかwクソ笑った。
それまでの3年9カ月があるから尻馬に乗れたクセしてよく言うわ
しかもアメリカは欧州と太平洋二正面作戦だっってのよ
その間日ソ中立で胡坐かいておいてマジでよく言えたもんだわアホらしい。
真珠湾まで巻き戻して最初からヨーイドーンでやりゃ
同じくらいかかるわボンクラw
マジで4日で終わらせられたら誰も苦労せんわ、本気で思ってんのかよw
593名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 03:00:26.46ID:+uQeLTEs
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

第二次世界大戦
1941年 開戦
1944年 米軍、欧州に上陸
1945年 終戦
■ソ連は常に9割以上のドイツ軍と戦った
■死傷、捕虜になった全ドイツ兵の7割はソ連軍によるもの
■米軍が戦ったのはわずか1割未満のドイツ軍だった
http://www.ashisuto.co.jp/corporate/information/bill-totten/__icsFiles/afieldfile/2015/06/19/2015_syunki_slides_3.pdf

戦争末期、国家の地上戦力の約 30% にあたる180 万人の日本軍が中国および満州に駐留していた。
サリー・ペイン( Sally Paine )は、「アメリカは、展開可能な日本軍の 3 分の 1を中国が足止めしていなかったら、
許容範囲内の損害で太平洋戦争に勝利することはできなかっただろう」と結論付けている。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2014/10.pdf
594名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 03:07:27.83ID:gxmTBppe
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

もしもドイツ空軍が本当に西高東低型の対応を取っていたのであれば、彼らはソ連軍をなめており、
その代償を支払わされたと言うしかない話だ。結局のところ、ドイツの戦争はソ連軍にベルリンへ突入
されたことで終わったのだから…
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/nastuplenie2.0.html

こうなると敵を恐れる必要はなく、私らは自ら戦いを求め、これでもか!とばかりに喰らわせてやったのさ。
クルスク・ベルゴロド作戦以降は怖いものなしの状態だった。皆すでに勝利を確信し、搭乗員たちの士気
は非常に高かった。出撃する度ごとに戦果を挙げられたよ。空中戦では負け知らずだった。逆にドイツ軍の方も、
モスクワの頃とは、それどころかスターリングラードの頃とも違っていた。我々と遭遇するや否やすぐに
逃げてしまい、戦いを挑んでくる気配がない。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/gorelov6.html
595名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 03:43:53.42ID:BOIOht5B
>>579
>日本軍は夜間に移動してたから。

イギリス空軍お得意の夜間爆撃は?
596だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/13(火) 04:50:37.16ID:DXBqM1Rb
>>579
>隼の編隊でハリケーンを警戒しようと飛び立つと
>たちまちにスピットファイアマーク[に襲われて撃墜されまくるからな

>>578
>4月18日にイギリス軍の増援が来て以来は負け決定だぞ。

コヒマへの攻勢作戦とその空輸によって輸送機が負う多大な負担とウインゲートの第
二次チンデット作戦(「木曜日作戦」)の補給支援、さらにはインパールの戦力増強のた
めに F・W・メサービー大将の第 7 インド師団の一部をアラカンから空輸する決定とい
った、これら様々な空輸作戦を行うためにはより多くの輸送機が必要である ことは明白
であった。そこで、3 月 25 日にマウントバッテンは、さらに 70 機のダコタを送るよう、
また、「ヒマラヤ山脈」ルート空輸任務から抽出している輸送部隊への指揮権を与えるよ
う統合参謀本部に要請した。3 月 29 日、統合参謀本部は地中海と中東から米軍のダコタ
64 機と英空軍のダコタ 25 機をマウントバッテンの指揮下に一時的に移すことに同意し、
「ヒマラヤ山脈」ルート輸送機の指揮権も与えた。しかし、4 月 28 日、米軍は中東から
回した輸送機を 5 月中旬まで戻すよう要求した。米軍輸送機の支援が得られなくなると、

ビルマでの作戦に多大な影響が出ることになり、マウントバッテンは、輸送機の確保に
関して極めて困難な状況に直面した。ワシントンはその代わりに米本土からダコタを送
ることを申し出たが、それらのダコタの操縦士たちは戦闘の経験がなく、モンスーンや
山岳気象の中での飛行に必要な航法訓練も受けていないため、役に立たないことをマウ
ントバッテンは十分に承知していた。マウントバッテンは輸送機を中東に戻すことを拒
否し、結局、ワシントンが譲歩して当初は 5 月 31 日まで、最終的には 6 月 16 日までマ
ウントバッテンが中東の輸送機を指揮することを認めた。それでも 、プロバートが指摘
したようにインパールへの空輸はぎりぎりの状態で継続された 38。インパールとコヒマの戦いは、
英陸軍が地上の連絡線を回復し、この地域の日本陸軍を打ち破って 6 月 22 日に終了した。

http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2002/forum_j2002_12.pdf
2015/10/13(火) 06:47:42.02ID:eGdKadDz
こいつ生きてる人間じゃねえっ!
598名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 15:47:45.69ID:lIW2M7GJ
コピペうざい
2015/10/13(火) 17:29:53.66ID:ZYjlv1zP
よくある廃墟掲示板って延々とコピペ貼られてるよね
2015/10/13(火) 19:41:17.88ID:4UIJIlXn
>>587
インパールの体験者の戦記を見てみろよ。
昼間はイギリスの戦闘機に襲われるから、行軍や移動は常時夜間だぞ。
制空権を取られるからこんなことになる。
2015/10/13(火) 20:35:33.04ID:swRvCvPf
>>449の刑事フォイルでスピットファイアが飛行しているシーンがあったよ。
2015/09/18(日)の午後4時すぎ頃にBSプレミアムで 再放送するよ。
602名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 20:52:18.69ID:id0aeEqL
>>600
>昼間はイギリスの戦闘機に襲われるから、行軍や移動は常時夜間だぞ。

たった一夜で、コヒマ陥落?
2015/10/13(火) 20:55:58.48ID:Db5qH0V9
>>602
一夜でアラカン山越えとコヒマ占領だろw
2015/10/13(火) 21:02:49.06ID:FfnsMR1L
>>600
史実はその逆で、イギリス空軍では日本空軍に勝ち切れず、その間にコヒマを取られた。
2015/10/13(火) 21:56:17.09ID:Wkp/fUvF
アラカン山越えとコヒマ占領、イギリス空軍何やってんのw
2015/10/13(火) 22:27:02.14ID:MsNNJ7sO
イギリスは輸送機補給成功してるんだから
インパールの制空権は日本に無いだろ

爆撃機どころかもっと脆弱な輸送機が任務遂行できるんだから
2015/10/13(火) 22:30:21.95ID:+qG+gCO7
>>604
インパールへの補給が輸送機で賄えちゃった時点で察しが付く論をありがとう
2015/10/14(水) 00:55:54.68ID:t9dZ3rPU
ビルマ方面戦線スレ的に
2015/10/14(水) 01:35:29.08ID:rIfAg2Iq
>>607
>インパールへの補給が輸送機で賄えちゃった時点で

コヒマは?
2015/10/14(水) 01:46:34.09ID:aBmXx90G
>>606
>イギリスは輸送機補給成功してるんだから

>>578
>4月18日にイギリス軍の増援が来て以来は負け決定だぞ。

なら空挺降下でコヒマ奪回?

「マーケットガーデン作戦」ってすごいねw
2015/10/14(水) 01:49:14.63ID:ZZkdCqaf
>>609
コヒマは、イギリス空軍の輸送機による空挺降下で奪回されている。
2015/10/14(水) 01:51:28.67ID:svFUDUU1
>>610
弱体な日本軍は空挺降下で簡単に潰れたが、強力なドイツ軍には全く通じなかった。
2015/10/14(水) 02:10:50.69ID:7xk0gmlx
>>610
マーケットガーデン作戦が失敗したのは、強力なドイツ空軍が待ち構えていたから。
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