スピットファイア MkT

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
1名無し三等兵
垢版 |
2014/09/29(月) 21:36:43.19ID:EpcX1BC4
戦歴、戦術、その他雑談もあり。
588名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 02:17:14.65ID:jYu7peBW
>>578
>4月18日にイギリス軍の増援が来て以来は負け決定だぞ。

 このとき(四月三十日)、第14航空軍は五〇〇機を保有していたが、使用できたのは四〇〇機であった。
 このうち二〇〇機をビルマ作戦にもっていかれ、残りの二〇〇機で、ヒマラヤ越え空輸の防護と、
中国軍への航空支援を行わなければならなかった。>>525
589名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 02:23:02.36ID:9o+thggY
???

>>578
>ディマプール防衛のためにコヒマの防衛軍が回されて1500人まで減らされて

>>578
>4月18日にイギリス軍の増援が来て以来は負け決定だぞ。
590名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 02:38:45.33ID:ocItJ3V/
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

地上に生き残るための戦い
 なぜ対戦相手、参戦国、または戦争地域のことを示唆しない、大祖国戦争という名称がロシアで使われているのだろうか。
ロシア人やソ連諸国の人民にとっ て、この戦争は祖国の戦争以外の何物でもなかった。自由と祖国の独立を求めた戦争であり、
生き残るための戦争だった。
 ではなぜ頭に大がついているのだろうか。それはこの戦争の勝利には多くの国が貢献しているものの、ソ連がドイツ国防軍を
倒した中心国で、その役割を強調しているからだ。ドイツ軍はソ連軍との戦いで、1340万人中74%にあたる1000万人を喪失した。
 アメリカのルーズベルト大統領は第二次世界大戦の最中の1942年5月、ソ連軍の活動とそ の影響を評価してこう記した。
「ロシア軍が連合国25ヶ国の軍隊よりも、対戦国の厖大な兵士と兵器に打撃を与えているという明白な事実を無視することはでき ない」。
 ロシア人がこの勝利を誇りに思い、多くの戦線のひとつととらえたがらないのは当然のことだ。そしてドイツとその同盟国であるイタリア、
ルーマニア、クロアチアが84万人を喪失したスターリングラード攻防戦と、ドイツとイタリアが3万人を喪失したエル・アラメインの戦い
が同レベルの戦いと見なされることを理解できないでいる。ヨーロッパ諸国の多くの歴史教科書では、第二次世界大戦としてこの2つの
戦いが同等に扱われている。
http://jp.rbth.com/society/2013/05/09/42899.html

■ フランスはすぐに降伏した。イギリスは全期間を通してひどかった。
  アメリカは間違いなく勝てるという確信を持てるまで様子見してた。
  勝利はすべてソビエトのおかげと言っても過言じゃない。 +5 ロシア
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-1451.html
591名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 02:43:16.91ID:ocItJ3V/
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

1973年、第二次世界大戦を詳述するイギリスのテレビ・ドキュメンタリー・シリーズが放映された。
28編のエピソード中、わずか第3編と、第4編の一部しかロシア参戦に触れていなかった。
イギリスの視点からすれば、勝利は英米の勝利なのだ。
これはソ連政府には納得しがたかった。ソ連は自らのフィルム・アーカイブを欧米に提供した。
1978年に、一編48分、20編のシリーズがアメリカのドキュメンタリー・テレビ・シリーズとして、
バート・ランカスターのナレーションで放映された。ドキュメンタリーの題は“Unknown War”だ。
確かにプロパガンダ版で育った大半のアメリカ人にとっては知られざる戦争だった。
Unknown Warは、第二次世界大戦で、ナチス・ドイツはロシア戦線に敗北したことを全く疑いが
ないほど明らかに示していたので、アメリカ人にとって驚きだった。エピソード20編中、
“連合国”つまり英米と自由フランスが特集されているのは唯一第17編のみ。20編中の1編というのが、
ナチス・ドイツ打倒に対する欧米参戦貢献のほぼ正確な比率だ。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/the-unknown-war.html
592名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 02:55:04.12ID:Bv/PK3la
>>415
そんなの幼稚園児でもわかる社交辞令だしw
そんなの真に受けるおめでたい馬鹿にしちゃっていいの?ロシア人をさw
4日でとかwクソ笑った。
それまでの3年9カ月があるから尻馬に乗れたクセしてよく言うわ
しかもアメリカは欧州と太平洋二正面作戦だっってのよ
その間日ソ中立で胡坐かいておいてマジでよく言えたもんだわアホらしい。
真珠湾まで巻き戻して最初からヨーイドーンでやりゃ
同じくらいかかるわボンクラw
マジで4日で終わらせられたら誰も苦労せんわ、本気で思ってんのかよw
593名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 03:00:26.46ID:+uQeLTEs
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

第二次世界大戦
1941年 開戦
1944年 米軍、欧州に上陸
1945年 終戦
■ソ連は常に9割以上のドイツ軍と戦った
■死傷、捕虜になった全ドイツ兵の7割はソ連軍によるもの
■米軍が戦ったのはわずか1割未満のドイツ軍だった
http://www.ashisuto.co.jp/corporate/information/bill-totten/__icsFiles/afieldfile/2015/06/19/2015_syunki_slides_3.pdf

戦争末期、国家の地上戦力の約 30% にあたる180 万人の日本軍が中国および満州に駐留していた。
サリー・ペイン( Sally Paine )は、「アメリカは、展開可能な日本軍の 3 分の 1を中国が足止めしていなかったら、
許容範囲内の損害で太平洋戦争に勝利することはできなかっただろう」と結論付けている。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2014/10.pdf
594名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 03:07:27.83ID:gxmTBppe
>>553
>戦略的撤退に関しては欧州戦線に重きを置いていた英軍が

もしもドイツ空軍が本当に西高東低型の対応を取っていたのであれば、彼らはソ連軍をなめており、
その代償を支払わされたと言うしかない話だ。結局のところ、ドイツの戦争はソ連軍にベルリンへ突入
されたことで終わったのだから…
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/nastuplenie2.0.html

こうなると敵を恐れる必要はなく、私らは自ら戦いを求め、これでもか!とばかりに喰らわせてやったのさ。
クルスク・ベルゴロド作戦以降は怖いものなしの状態だった。皆すでに勝利を確信し、搭乗員たちの士気
は非常に高かった。出撃する度ごとに戦果を挙げられたよ。空中戦では負け知らずだった。逆にドイツ軍の方も、
モスクワの頃とは、それどころかスターリングラードの頃とも違っていた。我々と遭遇するや否やすぐに
逃げてしまい、戦いを挑んでくる気配がない。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/gorelov6.html
595名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 03:43:53.42ID:BOIOht5B
>>579
>日本軍は夜間に移動してたから。

イギリス空軍お得意の夜間爆撃は?
596だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/13(火) 04:50:37.16ID:DXBqM1Rb
>>579
>隼の編隊でハリケーンを警戒しようと飛び立つと
>たちまちにスピットファイアマーク[に襲われて撃墜されまくるからな

>>578
>4月18日にイギリス軍の増援が来て以来は負け決定だぞ。

コヒマへの攻勢作戦とその空輸によって輸送機が負う多大な負担とウインゲートの第
二次チンデット作戦(「木曜日作戦」)の補給支援、さらにはインパールの戦力増強のた
めに F・W・メサービー大将の第 7 インド師団の一部をアラカンから空輸する決定とい
った、これら様々な空輸作戦を行うためにはより多くの輸送機が必要である ことは明白
であった。そこで、3 月 25 日にマウントバッテンは、さらに 70 機のダコタを送るよう、
また、「ヒマラヤ山脈」ルート空輸任務から抽出している輸送部隊への指揮権を与えるよ
う統合参謀本部に要請した。3 月 29 日、統合参謀本部は地中海と中東から米軍のダコタ
64 機と英空軍のダコタ 25 機をマウントバッテンの指揮下に一時的に移すことに同意し、
「ヒマラヤ山脈」ルート輸送機の指揮権も与えた。しかし、4 月 28 日、米軍は中東から
回した輸送機を 5 月中旬まで戻すよう要求した。米軍輸送機の支援が得られなくなると、

ビルマでの作戦に多大な影響が出ることになり、マウントバッテンは、輸送機の確保に
関して極めて困難な状況に直面した。ワシントンはその代わりに米本土からダコタを送
ることを申し出たが、それらのダコタの操縦士たちは戦闘の経験がなく、モンスーンや
山岳気象の中での飛行に必要な航法訓練も受けていないため、役に立たないことをマウ
ントバッテンは十分に承知していた。マウントバッテンは輸送機を中東に戻すことを拒
否し、結局、ワシントンが譲歩して当初は 5 月 31 日まで、最終的には 6 月 16 日までマ
ウントバッテンが中東の輸送機を指揮することを認めた。それでも 、プロバートが指摘
したようにインパールへの空輸はぎりぎりの状態で継続された 38。インパールとコヒマの戦いは、
英陸軍が地上の連絡線を回復し、この地域の日本陸軍を打ち破って 6 月 22 日に終了した。

http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2002/forum_j2002_12.pdf
2015/10/13(火) 06:47:42.02ID:eGdKadDz
こいつ生きてる人間じゃねえっ!
598名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 15:47:45.69ID:lIW2M7GJ
コピペうざい
2015/10/13(火) 17:29:53.66ID:ZYjlv1zP
よくある廃墟掲示板って延々とコピペ貼られてるよね
2015/10/13(火) 19:41:17.88ID:4UIJIlXn
>>587
インパールの体験者の戦記を見てみろよ。
昼間はイギリスの戦闘機に襲われるから、行軍や移動は常時夜間だぞ。
制空権を取られるからこんなことになる。
2015/10/13(火) 20:35:33.04ID:swRvCvPf
>>449の刑事フォイルでスピットファイアが飛行しているシーンがあったよ。
2015/09/18(日)の午後4時すぎ頃にBSプレミアムで 再放送するよ。
602名無し三等兵
垢版 |
2015/10/13(火) 20:52:18.69ID:id0aeEqL
>>600
>昼間はイギリスの戦闘機に襲われるから、行軍や移動は常時夜間だぞ。

たった一夜で、コヒマ陥落?
2015/10/13(火) 20:55:58.48ID:Db5qH0V9
>>602
一夜でアラカン山越えとコヒマ占領だろw
2015/10/13(火) 21:02:49.06ID:FfnsMR1L
>>600
史実はその逆で、イギリス空軍では日本空軍に勝ち切れず、その間にコヒマを取られた。
2015/10/13(火) 21:56:17.09ID:Wkp/fUvF
アラカン山越えとコヒマ占領、イギリス空軍何やってんのw
2015/10/13(火) 22:27:02.14ID:MsNNJ7sO
イギリスは輸送機補給成功してるんだから
インパールの制空権は日本に無いだろ

爆撃機どころかもっと脆弱な輸送機が任務遂行できるんだから
2015/10/13(火) 22:30:21.95ID:+qG+gCO7
>>604
インパールへの補給が輸送機で賄えちゃった時点で察しが付く論をありがとう
2015/10/14(水) 00:55:54.68ID:t9dZ3rPU
ビルマ方面戦線スレ的に
2015/10/14(水) 01:35:29.08ID:rIfAg2Iq
>>607
>インパールへの補給が輸送機で賄えちゃった時点で

コヒマは?
2015/10/14(水) 01:46:34.09ID:aBmXx90G
>>606
>イギリスは輸送機補給成功してるんだから

>>578
>4月18日にイギリス軍の増援が来て以来は負け決定だぞ。

なら空挺降下でコヒマ奪回?

「マーケットガーデン作戦」ってすごいねw
2015/10/14(水) 01:49:14.63ID:ZZkdCqaf
>>609
コヒマは、イギリス空軍の輸送機による空挺降下で奪回されている。
2015/10/14(水) 01:51:28.67ID:svFUDUU1
>>610
弱体な日本軍は空挺降下で簡単に潰れたが、強力なドイツ軍には全く通じなかった。
2015/10/14(水) 02:10:50.69ID:7xk0gmlx
>>610
マーケットガーデン作戦が失敗したのは、強力なドイツ空軍が待ち構えていたから。
2015/10/14(水) 02:23:29.48ID:qnokxP+U
>>612
それでもJAPの義烈空挺隊よりはマシな成果だった。
2015/10/14(水) 02:46:46.73ID:h+C/2SE6
(空挺部隊にとっても)遠すぎた橋
616だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/14(水) 06:57:52.79ID:4m4jFDba
>>578
>4月18日にイギリス軍の増援が来て以来は負け決定だぞ。
>>600
>インパールの体験者の戦記を見てみろよ。

佐藤は補給要請に全精力を注いでいたが、ついに物資不足を危惧し撤退を進言するに至った。補給を軽視した司令部
は佐藤に作戦継続を強要したが、師団はすでに武器弾薬や食料の不足から著しく苦戦しており、これ以上の進撃は
不可能な状況だった。そこで直接の上官ではなく第5飛行師団の田副登師団長宛にまで直接補給を要請したが、
それでも佐藤はこのままでは全滅は不可避と判断していた。
そのような中、5月31日、コヒマ西方で58連隊が守備していた5120高地が英印第7師団の猛攻を受け、5月末日に陣地
にて紛戦状態となった。この時玉砕を決意した守備隊長白石大佐の告別電により佐藤はコヒマ放棄と主力の撤退を独自に決断し、
病兵1500名の後送を指示、部下の宮崎繁三郎少将に遅滞戦闘を命じた[7]。そして、
「善戦敢闘六十日におよび人間に許されたる最大の忍耐を経てしかも刀折れ矢尽きたり。いずれの日にか再び来たって
英霊に託びん。これを見て泣かざるものは人にあらず」(原文は漢字・カタカナ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%B9%B8%E5%BE%B3
617名無し三等兵
垢版 |
2015/10/14(水) 19:50:14.18ID:azF5Rvk6
だつおスレ違いにも程がある
2015/10/14(水) 20:31:40.90ID:zK1mbi+W
そりゃインパール作戦に、スピットファイアは関係ないからなw
2015/10/14(水) 20:42:55.31ID:FcbCRNvq
>>612
本当に、日本航空隊って、脆弱だよな。
陸軍がいくら頑張っても、航空隊が虚弱すぎるから、イギリスに逆転されてしまうなんてい
2015/10/14(水) 20:45:54.88ID:FcbCRNvq
>>618
一応、スピットファイアはインパール作戦中にも
極めてたまに来る日本軍機を撃退していたらしい。
でも第二次アギャブですでに完勝してビルマ航空隊が致命傷を負っていたから
ほとんど出番がなかっただろな。
イギリス空軍は制空権とってまさにやりたい放題だった。
621だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/15(木) 01:17:13.35ID:H7vefe5t
>>620
>一応、スピットファイアはインパール作戦中にも
>極めてたまに来る日本軍機を撃退していたらしい。
>でも第二次アギャブですでに完勝してビルマ航空隊が致命傷を負っていたから

3月15日、インパール作戦が発動し各地上部隊は侵攻を開始。翌朝には呼応した第50戦隊・第64戦隊・第204戦隊の一式戦が
インパール飛行場を攻撃し、第136飛行隊のスピットファイアと交戦するも戦果なく第204戦隊が1機を喪失、第64戦隊のエース
伊藤直之中尉も重傷を負った[108]。17日午後、第204戦隊はモーニン飛行場を攻撃し第81飛行隊と交戦、1機を喪失するも
指揮官機かつエースであるスピットファイア1機を撃墜し(第81飛行隊長ホワイタモア少佐機)、離陸態勢の1機を撃滅(クール
ーター大尉機、炎上)、さらに2機を地上破壊した[109]。
4月4日、第50戦隊が駐屯するサモンカン飛行場を対地ロケット弾を装備した第1特任航空群のP-51が襲撃、一式戦15機
を地上破壊し第3中隊は戦力を喪失。17日、第64戦隊はインパールで米英軍機の波状攻撃を受け戦果無く一方的に5機を、
第50戦隊もP-38迎撃時に1機を喪失した[110]。なお、当時の一式戦は制空・直掩・迎撃のみならず、積極的に爆装して
の対地攻撃や威力偵察・物料投下など様々な任務に多用されている[111]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%BC%8F%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F

>一式戦15機を地上破壊し第3中隊は戦力を喪失

航空戦の勝敗は、地上撃破されたほうが負け。飛んでいる飛行機を空で撃墜するなんて、非効率極まりない。
622だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/15(木) 05:11:58.29ID:H7vefe5t
>>619
>本当に、日本航空隊って、脆弱だよな。
>陸軍がいくら頑張っても、航空隊が虚弱すぎるから、

なら大陸打通作戦はどうなる? 敵機が来襲する戦域で、どうやって進軍する?

ちなみに東京大空襲は夜間爆撃。
623だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/15(木) 11:05:35.04ID:H7vefe5t
>>619
>本当に、日本航空隊って、脆弱だよな。
>陸軍がいくら頑張っても、航空隊が虚弱すぎるから、

なら大陸打通作戦の日本軍は、敵機が来襲するのを逃げ回りながら、目にもとまらぬ速さで進軍し、
目にもとまらぬ速さでチンピラゴロツキを殺戮しまくったってか?

おい、なんとかいえよ、おい!
624名無し三等兵
垢版 |
2015/10/17(土) 13:46:27.83ID:zC7WUyiP
関係ないネタでスレッド伸ばすなよ

コルセアスレみたいに常駐者がいるスレと違って次スレあるかどうかわからないんだぞ
625だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/17(土) 16:43:30.06ID:+LsIhdzr
>>619
>本当に、日本航空隊って、脆弱だよな。
>陸軍がいくら頑張っても、航空隊が虚弱すぎるから、

 十九年春〜二十年初めに実行された一号作戦は、国軍に前例のない大規模
のものであり、陸上戦略指導としては大成功と感じられるものである。しかし
B−29の本土空襲は阻止できず、太平洋方面における我が主作戦の敗勢を救う
べくもなかった。この間における中國航空作戦は、数質ともに次等の戦力で
よく靭軟な奮闘を続けた。中國方面に有力な米陸空軍部隊を吸引牽制し、
しかも彼我主力の決戦方面に対し、その決定的な攻撃威力を及ぼさせなか
ったことは、わが中國方面空地作戦の隠れた戦略的成果と評価すべきである。
 しかし問題は、中國方面にあった陸軍戦力を、国軍主力の決戦作戦方面に対し、
より有効に直接参加させる戦略方策の有無であり、それは更に深刻な別途の研究
にまたねばならない。
 これを要するに、陸軍航空の基本的体質に大きな影響を与えた中國航空作戦は、
支那事変間と大東亞戦争間とにおいて、その様相が著しく変化した。前者は敵が
弱体な中國空軍であり、後者は敵が強力な米陸空軍であり、航空撃滅戦、
制空権の獲得に最大の努力を傾注しなければならなかった。
<中国方面陸軍航空作戦 / 防衛庁防衛研修所戦史室‖著 /朝雲新聞社 , 1974 ( 戦史叢書 ; [74] )>
626名無し三等兵
垢版 |
2015/10/17(土) 21:15:21.44ID:AAoPGsbh
荒らしは放置の方向で。
2015/10/17(土) 23:02:03.09ID:BJZj/qe0
インパール方面は他にも
1944年半ばから
英軍にレンドリースされたP47約800機は
ほとんどインド配備で対ビルマの日本軍用に使用されたので
どう転んでも日本軍に制空権はない
2015/10/18(日) 19:15:08.95ID:KI6WyllB
日本軍航空隊は第二次アキャブ以後壊滅してたので
本来戦闘機のスピットファイアが
改造されて爆撃任務に回されたりしてた。
2015/10/18(日) 20:16:41.08ID:KI6WyllB
>>627
インパールの時点で、日本軍に一切制空権がなかったのに
その後さらにP-47が増備されてるのかよ。
弱いはず英印軍に精強な日本陸軍が一方的に虐殺されるわけだなあ。
630名無し三等兵
垢版 |
2015/10/19(月) 03:06:52.55ID:yPPVV9Kt
>>627
まさにイギリスが勝って当たり前の戦場で、コヒマを取られただけでも痛いw
631名無し三等兵
垢版 |
2015/10/19(月) 20:48:17.50ID:5ae+mC6G
>>630
まあでも英国はインパールで勝ったわけだし、チャンコロみたいな生きてて恥ずかしい存在じゃなかった。
632名無し三等兵
垢版 |
2015/10/19(月) 20:59:41.55ID:5ae+mC6G
シェンノートの在支14空軍は、日本軍に中国人を殺戮する口実を与えただけだったのか?
2015/10/20(火) 01:51:26.03ID:QsBHgbR/
>>630
ぶっちゃけコヒマ取られてもイギリスはそんなに痛くない。
精々インパールの滑走路の整備に追われるくらいしか目立った害は無い
2015/10/20(火) 09:22:38.87ID:lSwCKPSZ
>>632
ゴミのような中国人がいくら日本軍に虐殺されても、米英にとっては大きな問題にはならないが?
2015/10/20(火) 09:25:13.76ID:sAaukqM9
>>633
でも米ソが快進撃を続ける中で、英国だけが遅れを取ったら少し恥ずかしい。
2015/10/20(火) 09:27:20.11ID:sAaukqM9
>>634
英国も遅ればせながらインパールで勝利、ひとり中国だけが連戦連敗w
2015/10/20(火) 11:15:20.09ID:g5BG/G3h
イタリア「私も連合軍として何ら恥ずべき所はない」
638だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/20(火) 17:58:24.25ID:NFbzyq0J
第二次世界大戦におけるイギリスの役割が取るに足らなかったのは、「マーケットガーデン作戦」で証明済み。
そもそもこの作戦自体が、存在感の薄いイギリスが背伸びをして軍功を挙げてやろうというもの。
イギリスは軍功をあせってマーケットガーデン作戦を発動したが、成果を出せないままで終わった。
2015/10/20(火) 18:04:59.04ID:I10w6NzA
ここじゃなくてキモイブリテンスレいけよ
2015/10/20(火) 18:10:49.49ID:s9I5CA2Y
第二次大戦でイギリスが果たした最大の功績は、英本土航空戦を耐え抜いて戦争を終わらせなかったことだろう。
2015/10/20(火) 18:13:39.89ID:mXI0qidU
マーリンエンジンの性能向上。
2015/10/20(火) 20:28:03.28ID:I10w6NzA
その前にチャーチルがヒトラーの和平講和を鼻にも引っかけずガン無視
643名無し三等兵
垢版 |
2015/10/23(金) 02:23:00.92ID:LmSOQkYf
 昭和19年最初の月の空戦では、7機の一式戦が撃墜されて7名が戦死、その他、
各1機が不時着、あるいは胴体着陸し、司偵1機(戦死2名)も撃墜された。一方、
連合軍の損害記録と一致する一式戦の撃墜戦果は、スピットファイア4機(戦死3名)、
ハリケーン3機、ボーファイター1機(戦死2名)、F5写真偵察機1機(戦死1名)、
C47輸送機4機の計13機であった。
 1月のビルマ方面の連合軍航空兵力は、英空軍532機、米陸軍航空隊287機
の計819機。その内訳は戦闘機576機、中型爆撃機70機、重爆撃機79機、
偵察機10機、輸送機84機であった。連合軍は、同時期の日本陸軍航空部隊の兵力
を約250機、うち戦闘機100機と見積もっていた。
 1月末の第5飛行師団の兵力は、50戦隊一式戦保有37機(可動27機)、操縦者
45名。64戦隊一式戦保有35機(可動20機)、81戦隊司偵保有20機(可動13機)の
計168機であった。教飛204戦隊の兵力は不明だが、他戦隊の例から推して
一式戦30機前後と思われるので、合算しても200機以下。連合軍による総兵力
250機の評価は過大だったが、戦闘機100機という見積もりは、概ね正確であっ
たということになる。一方、第5飛行師団も連合軍の航空兵力を約1000機と見積
もっていた。双方とも、相手側兵力をちょうど2割ほど過大に評価していたことになる。

梅本弘「ビルマ航空戦 下」より
644名無し三等兵
垢版 |
2015/10/25(日) 08:13:42.02ID:RBQ282dU
>>643
それ英軍側は戦闘以外の損傷がやたら多い。

砂漠仕様のスピットファイアXは、性能が高温多湿環境では発揮できず苦戦
南太平洋では、ゼロ戦相手に劣勢だった。
それでも隼相手には互角以上に優勢で、終戦まで使用されてたんだな。

スピットファイア[と\になると、まさに圧勝になる。
損害が少なく、戦闘以外で損傷した例が圧倒的に多い。

モスキートに至っては、撃墜記録がさっぱりない。
2015/10/25(日) 08:30:35.98ID:fawIrQkW
我に追いつくジャップなし、といったところか
2015/10/25(日) 10:07:52.27ID:8K7scxnu
>>592
>4日でとかwクソ笑った。
>それまでの3年9カ月があるから尻馬に乗れたクセしてよく言うわ
>しかもアメリカは欧州と太平洋二正面作戦だっってのよ

でも「米軍にとって太平洋戦争は片手間」ってのが、あんたの頑迷な信念なわけだろ?
2015/10/25(日) 13:07:44.13ID:RBQ282dU
>>633
そもそもコヒマの英軍陣地は陥落していない。
1500人の守備隊の英軍に、日本軍1師団丸々で寄せてたかっても跳ね返された。

日本軍はコヒマのナガ族の部落で稲のもみを略奪したってだけ
これを陥落と詭弁とは、ネトウヨのホルホルも大概だな。
648名無し三等兵
垢版 |
2015/10/25(日) 14:06:31.67ID:Fmsy6V0W
>>647
>日本軍はコヒマのナガ族の部落で稲のもみを略奪したってだけ

 戦後、ベルナルド・オランダ皇太子は、高名な戦史家で、本作戦を描いた名著『A Bridge too far
(邦題:遥かなる橋)』の著者でもあるコーネリアス・ライアン氏に次のように語った。ちなみに皇太子は当時、
亡命オランダ軍司令官で、作戦立案段階でモンティと会見、同国内の抵抗組織からの正確な情報などを提供
し作戦成功に役立てようとしたが、すげなく黙殺された経緯がある。「我が祖国は金輪際“モントゴメリーの成功”
などという愚にもつかぬわがままを許すことはできない」。
(しらいしひかる・戦史研究家)
学研「ノルマンディー上陸作戦」

結局モントゴメリーはマーケット・ガーデン作戦を90%成功したとし、「私の偏見的な見方では、もし作戦が当初から援護され、
十分な航空機、地上兵力、そして遂行するのに十分な資材が与えられていたなら、私の失敗や悪天候、アーネム地域に存在した
第2SS装甲軍団にもかかわらず成功していたであろう。私はマーケット・ガーデン作戦を擁護することを後悔していない。」と語った。
しかし、オランダのベルンハルト王子はコーネリアス・ライアンに「私の国にはもう一度モントゴメリーの言うような「大成功」を
実現させる余裕はない」と語った。モントゴメリーはマーケット・ガーデン作戦の被害をアイゼンハワーに正確に報告しなかったが、
作戦の詳細が明らかになるにつれ彼を二度と信用しなくなった。彼はモントゴメリーに対して最低限の戦略目標であるスヘルデ川
河口域北岸のドイツ軍の排除とアントウェルペン港の解放のみを命じた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3%E4%BD%9C%E6%88%A6
649名無し三等兵
垢版 |
2015/10/25(日) 14:08:55.19ID:Fmsy6V0W
>>647
>日本軍はコヒマのナガ族の部落で稲のもみを略奪したってだけ

 大陸打通作戦の第一次作戦(河南作戦)/昭和一九年(一九四四)四〜五月・・・・・・戦車第三師団、
戦車総数二五五両が参加。師団全体の踏破距離一四〇〇キロ、日数は三〇日(一日あたり四六・六キロ)。
師団捜索隊は約二〇〇〇キロ、三〇日(一日あたり約六七キロ)。
<中略>
 ここに示した日本戦車隊の長駆進撃も、連合軍側を大いに混乱させ急速な勝利をもたらした
典型例なのである。ちなみに、「電撃戦」と称賛される独ソ戦初期(一九四一年六〜七月頃)のドイツ
機甲部隊の場合と比較してみると、グデーリアンが率いる第二装甲集団が踏破距離約六五〇キロ、
日数二五日(一日あたり二六キロ)、マンシュタイン上級大将の第五六装甲軍団が約三三〇キロ、
四日(ドヴィンスク急襲時、一日あたり八〇キロ)で、日本戦車隊の"快速ぶり"はこれらに劣る
どころか優れた成果を上げているといえる。
<「陸軍機甲部隊」(学研)158頁  文・古是三春>
650名無し三等兵
垢版 |
2015/10/25(日) 14:11:58.26ID:8si/1/sg
>>647
>日本軍はコヒマのナガ族の部落で稲のもみを略奪したってだけ

「第二の罪 ドイツ人であることの重荷」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P201
 西部方面においてと同様に、ドイツ指導部は東部においても電撃的な攻撃と勝利を見込んでいた。
そのため、それに対応する数の捕虜が生じることになった。東部経済本部部長だったヴィルヘルム・
シューベルト陸軍中将の報告からは、飢餓による捕虜の集団死亡が計画に入れられていたことが明らかになる。
各省の次官に宛てたこの報告は、征服されるべきソ連地域の農業搾取を扱ったものだった。その中には
一九四一年五月二日付けで次のように記されている。
 「戦争の三年目(一九四一年から一九四二年にかけて)において全国防軍をロシアからの食料で養いうる
場合のみ、戦争を継続しうる。この場合、われわれが必要とするものをロシアから持ち出せば数千万の人間
が餓死することは間違いない。最も必要なのは油種子・油粕の確保と搬出であり、穀物はその次だ。
現存する脂肪と肉は軍が消費すると推定される。」
2015/10/25(日) 14:30:46.00ID:eSeSoqB5
さすがにビルマでの日本軍の悲惨な負けを擁護するのは無理がある。
最後のシッタン作戦とか、やばすぎるぞ
イギリス軍の戦死95に対し、日本軍13000という

太平洋戦争のどんな戦線でも、ここまでのキルレートで日本軍が負けた例はない
イギリス恐るべし

イギリスが植民地を失ったのは
ナチス相手に力を使い果たして、借金がひどくなり赤字植民地を維持できなくなったから
2015/10/25(日) 14:36:59.08ID:c4LSoTks
>>642
チャーチルがどんなに頑張ろうとも、ダウディング云う所の「奇跡的な戦況の推移」を辿ることなく1940年秋までに戦闘機
軍団が瓦解していたら、翌41年冬にかけて港湾封鎖と通商破壊によって追い詰められる国民の厭戦気分を抑え込めないかも。
チャーチルは米国が可及的速やかに対独宣戦布告できるかどうかに自らと英国の運命を委ねるという事態になりかねない。
2015/10/25(日) 14:44:36.04ID:ZD589j/8
>>644
そりゃモスキートはキ43よりはるかに優速…
爆装してても速いんじゃないか…?
待機して反航とかじゃなきゃまず捕捉できないが、一瞬の機会で有効弾与えるには武装が…
キノコの菌糸に期待するしかないわなw
654名無し三等兵
垢版 |
2015/10/25(日) 14:51:38.38ID:2e5wtgXb
>>71
> イギリス軍の戦死95に対し、日本軍13000という

それいうなら、ソ連潜水艦はファシスト33000人を海没させる大戦果を挙げているぞ。

ヴィルヘルム・グストロフが投入された避難民輸送では、2月10日に客船シュトイベンがまたもS-13に撃沈され、
4月16日に客船ゴヤもそれぞれソ連潜水艦の雷撃を受けて沈没し、難民などに大勢の犠牲者(シュトイベンでは4,500名、
ゴヤでは6,666名)を出している。1945年4月はじめまでに、ドイツ海軍は東プロイセンからドイツ西部への250万人
の軍民を避難させることに成功したが、その過程で33,000人の難民や軍人が亡くなった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%95_(%E5%AE%A2%E8%88%B9)

>太平洋戦争のどんな戦線でも、ここまでのキルレートで日本軍が負けた例はない
イギリス恐るべし

ヨーロッパのどんな戦線でも、ここまでのキルレートでドイツ軍が負けた例はない
ソ連海軍恐るべし
2015/10/25(日) 15:07:38.66ID:3e9NphL3
>>654
ドイツの場合も日本の場合も、制空権を失った結果だろうに。
2015/10/25(日) 18:02:39.63ID:RBQ282dU
ドイツ空軍も、スピットファイアに敗北したしな。
2015/10/25(日) 18:11:46.04ID:RBQ282dU
>>653
ビルマ戦線でも、モスキートは歓迎されたんだよな。
1943年に気象テストのために6機モスキートが送られてきたが
搭乗員は目覚ましい性能に熱狂して実戦に使用してしまった。

デハビラント少佐がモスキートの運用状況調査のためにやってきたとき
熱帯性の気候のせいで接着剤がはげかけたり、キノコが主翼や胴体に生えたりしてたので
このまま飛行すると墜落の危険があるため、飛行をやめさせようとしたけど
高性能に酔っていた搭乗員が猛然と反対

業を煮やしたデハビラント少佐は、町からのこぎりを買ってくると
モスコートの主翼をノコギリで切り落とすという非常手段をとってしまったという。

その後熱帯仕様のモスキートが到着して事なきを得たらしい
658名無し三等兵
垢版 |
2015/10/25(日) 20:07:23.61ID:M1TmJGqS
>657 それってまさにデ・ハビラントJr?
659名無し三等兵
垢版 |
2015/10/25(日) 21:49:21.63ID:pdIQpOtV
>>647
>これを陥落と詭弁とは、ネトウヨのホルホルも大概だな。

コヒマの陥落で、またしてもDデイ(ノルマンディー上陸作戦)が遅れてしまったわけだが?
660名無し三等兵
垢版 |
2015/10/25(日) 21:50:38.97ID:pdIQpOtV
ステイムソンは6月19日,ボレロ計画を支持する理由をしたためたFDRへの手紙を,英米首脳会談が行われている
ハイドバークに届けさせた。マーシャルが「名作(a masterpiece)」とほめたこの手紙を読むと,陸軍長官の対独戦に
対する並々ならぬ覚悟が伝わってくる。
…着実かつ敏速にして容赦のないボレロ作戦の実行は,ヒトラーの対ソ戦をくじく意味でも,ドイツを敗北させ
戦争を終わらせる意味においても,最も確実な方法(the surest road)である。ボレロ計画は…敵の心臓の中心部
(the center of our chief enemy's heart)に届く一番容易な方法でもある。…ボレロ実施における最大の危険は,
太平洋における日本軍の存在であったが,…最近の太平洋中央部での(アメリカ軍の)勝利がこの懸念を
取り除いた。…戦争中に,より良いグリップを求めて手につばを吐きかける(筆者注:手をはずして握り直す
という意味か)ことは非常に危険である。
http://dspace.bunka.ac.jp/dspace/bitstream/10457/1356/1/001032220_03.pdf

他方、欧州と大西洋の戦域では、時に不調和も生じたが、英米両国の連合作戦が功を
奏した。とりわけ連合国の勝利に決定的に重要となったのは、大西洋よりも欧州において
であった。ニューファンドランドのプラセンタ湾で行われた第 1 回英米首脳会談で、両国首
脳と参謀たちは、アメリカ参戦後の「ドイツ第一主義」戦略に合意した 13。しかし現実には、
太平洋戦域での戦力強化が逼迫していたことから、「ドイツ第一主義」戦略の実行ははる
かに困難であることが判明した。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2014/07.pdf
661名無し三等兵
垢版 |
2015/10/25(日) 21:53:58.10ID:pdIQpOtV
発総統 総統司令部 一九四三年一一月三日 複写部数二七 <指令第五一号>
 この二年半、多大の犠牲を伴う厳しい対ボルシェヴィキ闘争は、東部正面 において我方の軍事力の
大半を注入することとなり、極度の努力が求められ てきた。危機の大きさと一般の情勢からそれが必要であった。
しかし状況は変わり、東部正面の危機は相変わらずであるか、それよりも大きな危機が 西部正面に出現している。
アングロ=サクソンの上陸作戦である! 東部正面では、広大な領土のおかげで、相当に土地を失っても、
ドイツの中枢部に致命的な打撃を与えることはない。
 西部正面ではまったく違うのである! ここで敵が我方の防衛線を突破すれば、当面の結果は予測がつかない。
すべてが示唆するのは只一つ、敵がヨーロッパの西部正面に攻勢をかけてくるということである。遅くとも春、
もっと早くなる可能性もある。ほかの戦場を優先して、西部正面をこれ以上弱体化させるようなことは、責任上できない。
そこで余は、特にイギリスへの長距離爆撃が始まる地を中心に、防衛を強化する方針をきめた。敵が攻撃して
くるところは必ずそこであり、すべての徴候を見誤まらなければ、上陸軍との決戦生起が、ここであるのは間違いない。
<ヒュー・R.トレヴァー=ローパー「ヒトラーの作戦指令書 電撃戦の恐怖」 >

>遅くとも春、もっと早くなる可能性もある。

コヒマ陥落で、夏にまで延期になったw
662名無し三等兵
垢版 |
2015/10/25(日) 21:55:42.00ID:pdIQpOtV
>…ボレロ実施における最大の危険は,太平洋における日本軍の存在であったが,

海外「日本デカ過ぎだろ」 大戦中の世界の領土の変遷が分かる地図動画
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-1451.html

1943年夏以降の赤軍は連戦連勝快進撃。もし何らかの理由でDデイが大きく延期されたら、
西ドイツはソ連圏に入ってたはずだ。例えばミッドウェー海戦で日本勝利とか、
米軍が日本軍の大陸打通作戦を阻止するために「ドイツ打倒優先」を放棄するとか。
663名無し三等兵
垢版 |
2015/10/25(日) 21:58:01.78ID:ywyejg+S
 一九四四年はじめ太平洋にあったアメリカの戦闘員は、対ドイツ戦を戦っていた兵員数とほぼ同じであり、
両方の戦域にそれぞれ約一八〇万人が展開していた。もちろん太平洋にはより多くの海軍と海兵隊が、
そしてイギリスと地中海には主として陸軍と空軍が展開していた。そして一九四四年から後半にかけては
上陸用舟艇の数が英米の戦略を支配する最重要の要因となった。なぜなら上陸用舟艇が地上軍部隊を
敵の保持する海岸に投入するために、欠くことのできない手段であったからである。ヨーロッパにおける
戦略的な戦力集中の頂点であった一九四四年六月までに、連合国は対ドイツ作戦のためにイギリスと
地中海に大型の上陸用舟艇(兵員・トラックないし戦車を海岸基地から上陸地点まで運ぶもの)
一六〇九隻を集中した。同じ種類の上陸用舟艇は太平洋では三七六隻が運用されていた。大型の輸送船
から兵員を海岸まで運搬する小型の上陸用舟艇は、ヨーロッパにおいて三〇二九隻が運用可能であり、
太平洋では三六〇九隻が運用されていた。ノルマンディー上陸作戦開始当日、連合軍はフランス海岸に
一五万の兵員を上陸させた。その直後太平洋ではほぼ同規模の兵力による上陸作戦が行われようとしていた。
マーシャル諸島からマリアナ諸島に進攻ため一千海里の太平洋を越えて、約十二万五千の兵員が
輸送されていたのである。決定的戦闘が双方の戦域で始まった。
<『第二次世界大戦の政治と戦略』  赤木完爾 >
664だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/26(月) 07:00:53.83ID:eSvAOlF/
>>647
>日本軍はコヒマのナガ族の部落で稲のもみを略奪したってだけ

つまりほんの二ヶ月であっても、コヒマは日本軍が占領していたのだと、あんたも認めるわけだよな?

>>647
>これを陥落と詭弁とは、ネトウヨのホルホルも大概だな。

アラカン超えだけで過労死してもおかしくない状況だったし、インパール作戦なんて日本軍が負けて当たり前で、
コヒマを取れただけでも「善戦敢闘」(佐藤幸徳)と言ってもよいのではないか。

インパール作戦は当初より第15軍司令部内部でも無謀さが指摘されており[2]、佐藤も作戦前から第15軍の
会議にて補給の困難を主張していた。佐藤は、第15軍司令部に作戦中の補給量の確約を求めた。佐藤は、
部下の師団の将校を集めて、諸君の大半はアラカン山中で餓死するだろうと訓示していた[3]。
作戦が始まったが、佐藤の予想通り、第31師団の前線には十分な糧秣・弾薬が補給されなかった。
第15軍司令部からは「これから物資を送るから進撃せよ」などの電報が来るばかりで、佐藤はその対応
に激怒していた。それでもなお3月15日にチドウィン川を渡り、4月6日に左突進隊とされた隷下の第58連隊
が要衝コヒマを占領したものの、佐藤は部下の損害を嫌って攻撃指示を出すことは控え、
コヒマ後方15kmの地点から自身は前進せずにいた[4]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%B9%B8%E5%BE%B3

日本軍を少しでも褒めるとネトウヨ呼ばわりするやつが多いが、大陸打通作戦だけはまったく非の打ち所が無い。
大陸打通作戦は、中国の国際的地位を貶め、中国人の嘘を暴き、中国人として生まれてきたことを後悔させ、
中国人として生きていることの恥ずかしさを思い知らせてやったのだ。

このすがすがしい大陸打通作戦の輝く栄光の3000キロ勝利行軍を、いつまでもいつまでもかみ締めていこう!
665名無し三等兵
垢版 |
2015/10/26(月) 07:13:31.81ID:UjX7gjyI
>>646
アメリカの総動員1660万人のうち、太平洋戦争では250万人を派遣してるから
ナチス優先させてたわりには、太平洋にもそこそこ戦力を割いていたというのが実情だろうな。

イギリスなんか対日戦はほんとに余興。
スピットファイアなんかソ連へのレンドリースの方が明らかに優先されてたし。
666名無し三等兵
垢版 |
2015/10/26(月) 07:19:03.23ID:UjX7gjyI
>>659
コヒマ陣地は陥落なんてどう見てもしてないわ。
イギリス陣地を突破してから言えよ。

コヒマなんて防御に易しく攻撃に困難な地形で
陥落してたらあんなに簡単に佐藤は撤退しなかったし
英印軍が南下してミッションで日本傷病兵を生きたまま焼いたりなんかしてないわ
667名無し三等兵
垢版 |
2015/10/26(月) 07:21:10.58ID:C+ofOrdW
>>665
というより、アメリカにとって、ヨーロッパ戦線は陸軍の戦争、
太平洋戦線は海軍の戦争、という感じでは?
キングはヨーロッパ戦線についてあまり興味を持っていたように思えない。
668名無し三等兵
垢版 |
2015/10/26(月) 07:29:13.84ID:UjX7gjyI
コヒマも第二次アキャブと同じで、航空優勢をとられて
10倍の兵で包囲してるのに、相手に空中補給を易々とされて敗北した。
ビルマ航空隊が情けなさ過ぎる。
669名無し三等兵
垢版 |
2015/10/26(月) 07:30:30.63ID:UjX7gjyI
>>667
大西洋と地中海はイギリス海軍が主力で十分勝ってたしね
670名無し三等兵
垢版 |
2015/10/26(月) 07:36:41.55ID:C+ofOrdW
>>669
しかしイギリス海軍は戦闘艦艇の建造・維持で手一杯で、
上陸用舟艇は全てアメリカ海軍に頼っていたがな。
そのことが、キングが米英連合参謀本部で、決定的に強い
発言力を持った原因。
キングがノーと言ったら、イギリスは何も出来なくなる。
671だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/26(月) 07:57:06.36ID:eSvAOlF/
>>666
>陥落してたらあんなに簡単に佐藤は撤退しなかったし



「善戦敢闘六十日におよび人間に許されたる最大の忍耐を経てしかも刀折れ矢尽きたり。いずれの日にか再び来たって
英霊に託びん。これを見て泣かざるものは人にあらず」(原文は漢字・カタカナ)>>616
672だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/26(月) 08:00:30.03ID:eSvAOlF/
>>669
>大西洋と地中海はイギリス海軍が主力で十分勝ってたしね



If the United States stopped sending war materials to England, do you think England would lose the war?
Yes................................ 85%
No................................ 8
No opinion......................... 7
http://ibiblio.org/pha/Gallup/Gallup%201941.htm

1941年1月4日の世論調査では、米国がイギリスへの戦争物資援助を止めればイギリスは敗北するというのが多数意見。
673だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/26(月) 08:06:04.43ID:eSvAOlF/
>>669
>大西洋と地中海はイギリス海軍が主力で十分勝ってたしね

ところでイギリス潜水艦はよくイタリア軍に撃沈されてるが、 イタリア海軍の対潜技術ってのは日本やドイツよりも優れていたのか?

         LOSS BY ENEMY
ROYAL NAVY
Warship types   German Italian Japanese French Other(a) Unknown Total
Capital ships       3    -      2     -    -      -     5
Carriers          8    -      1     -    1      -    10
Cruisers         20    6     5     -     3     -     34
Destroyers       114   15     8     1(b)   15     -    153
Submarines (c)     24    37     4      -     6      5     76
TOTALS        169    58     20     1    25     5     278

http://www.naval-history.net/WW2CampaignRoyalNavy.htm
674だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/26(月) 08:10:14.70ID:eSvAOlF/
>1941年1月4日の世論調査では、米国がイギリスへの戦争物資援助を止めればイギリスは敗北する

バトルオブブリテンでイギリス空軍がドイツ空軍に勝ったなんて妄言を信じる米国人は皆無に近かった。
675だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/26(月) 08:21:43.09ID:eSvAOlF/
>>665
>イギリスなんか対日戦はほんとに余興。

1942年6月のドイツ軍は、北アフリカに3個師団、独ソ戦に171個師団。

Location Of German Divisions In June Of Each Year
Country      1941   1942   1943  1944
USSR        34     171   179   157
France, Belgium
& Holland      38     27    42    56
Norway & Finland 13     16    16    16
Balkans       7       8     17    20
Italy          0       0     0     22
Denmark       1       1     2     3
North Africa     2       3     0     0
http://www.angelfire.com/ct/ww2europe/stats.html
676名無し三等兵
垢版 |
2015/10/26(月) 08:34:02.94ID:UtpCaFfa
>>665
>イギリスなんか対日戦はほんとに余興。

 大統領は直ちに会談するため私を呼んだ。彼はマーシャル将軍とリーヒ提督
を同席させた。このときまで、われわれは激烈な空襲と大部隊の侵攻によって
日本本土を攻撃するという考えを固めていた。まっとうな戦闘においてのみ
ならず、あらゆる穴や防空壕においても、サムライの捨身精神で死ぬまで戦う
日本軍の無謀な抵抗のことを、われわれは考えていた。私の心には沖縄の情景
が浮かんでいた。そこでは数千名の日本人が、指揮官たちがハラキリの儀式を
荘重に行った後、降伏を選ばずに一列になって手榴弾で自爆する光景であった。
日本軍の抵抗を一人ずつ押え、その国土を一歩ずつ征服するには、百万のアメリカ
兵の命とその半数のイギリス兵の生命を犠牲にする必要があるかもしれなかった。
もしイギリス兵を上陸させることができても、イギリスの犠牲はもっと多くな
るかもしれなかった。なぜなら、われわれは苦悩をともにする覚悟でいたのである。
いまやこの悪魔のような情景はすっかり消えてしまった。それに代わって、一、二
回の激烈な衝撃のうちに全戦争が終結する光景が浮かんだ。それは実際、快く輝か
しいものに思われた。私が瞬間に思い浮かべたのは、私が常に勇気に感嘆してきた
日本人が、このほとんど超自然的な兵器の出現のなかに彼らの名誉を救う口実を見
出し、最後の一兵まで戦って戦死するという義務から免れるだろうということだった。
「第二次世界大戦4」 (W・S・チャーチル 佐藤亮一 訳 河出文庫)432頁
677名無し三等兵
垢版 |
2015/10/26(月) 08:43:09.76ID:C+ofOrdW
>>676
余興というか、イギリスは、ヨーロッパ戦線へのアメリカ海軍供出の見返りとして、
キングに無理矢理、ビルマ戦線に引きずり出されている感じがする。
678名無し三等兵
垢版 |
2015/10/26(月) 20:35:24.77ID:ILtNuFcU
>>665
>イギリスなんか対日戦はほんとに余興。

「対日戦おまけ論」だが、それをいうなら日本だってノモンハンは支那事変のおまけということになる。
中国戦線に23個師団が向けられたのに対し、ノモンハンで戦ったのは僅か2個師団に過ぎなかった。
また対ソ予備兵力と考えられる満洲朝鮮全てを合わせても9個師団にすぎない。

 その後、武漢・広東攻略作戦が38年6月15日、大本営御前会議で決定され、同年7月31日に
広東攻略も含めた『戦争指導大綱』が策定された。同年10月27日、陸軍は武漢三鎮を占領し、
中国戦線に23個師団(約70万人)の兵力を投入していた。尾の時期から支那事変は戦略的
対峙の段階に入った。(陸軍兵力34個師団のうち、9個師団は満洲・朝鮮にあり、
残る近衛1個師団と11師団のみが内地にいた。)
http://www.kaikosha.or.jp/_userdata/kin-24.pdf

ちなみにソ連は独ソ開戦後でも、ソ連は対日戦向けにこれだけの戦力を用意していたとのこと。

邦訳者後書きには、ノモンハン停戦協定が締結された後も1941年、その7月1日現在のロシア側戦力は、
対独戦に振り向けられていた戦力より大きく、723119名の兵力、戦車4638両、航空機4777機、自動車6万余台、
トラクター1万余台、砲14062門などと、やたら記録をとる民族だけに詳しいのだが、
http://yhsvtex.blogspot.jp/2007/06/19417172311946384777614062-30003.html
679名無し三等兵
垢版 |
2015/10/26(月) 20:37:54.49ID:ILtNuFcU
>>675
地中海や北アフリカはイタリアの管轄で、ここを失うのは、イタリアの戦線離脱に繋がる。
弱い弱いと揶揄されるイタリアだが、戦線離脱してしまうと、ドイツにとっては痛手となる。
2015/10/26(月) 23:24:23.49ID:MwKPXRgi
>>677
確かに
チャーチルがビルマ戦線を後回しにしてるところだなあ。
航空機も、戦車も欧州で時代遅れになったものが主力になっている。

この状況で見事日本軍に勝利したウィリアム・スリムはやはり名将だな
2015/10/27(火) 00:06:25.74ID:gmOJHoi3
イギリスの対日戦の優先順位の低さはひどいものがある。
スピットファイアがようやく投入されたのが
リビアのドイツ軍が降伏して
不要になった砂漠仕様の旧式Xの流用ってのがなんとも。
ソ連には最新の\を何百機も供与してたのに。
682名無し三等兵
垢版 |
2015/10/27(火) 08:02:15.46ID:wKnsGiJQ
>>674
> バトルオブブリテンでイギリス空軍がドイツ空軍に勝ったなんて妄言を信じる米国人は皆無に近かった。

西部戦線なんて八百長みたいなもの、特にイギリスなんかはw

 加えて「ソ連がドイツと不可侵条約を結ばねばならなかったのは、英仏がドイツに譲歩してドイツ軍が
ロシアを攻めるように誘導したことに、ソ連としてやむを得ず対抗する必要があったからだ。ソ連はアジア
で日本とも対峙せねばならず、ドイツと戦争する余裕がなかった」とも主張した。プーチンはまた「英国が、
ドイツが攻めてきたら英国が対独宣戦布告してやるから頑張ってドイツに対抗せよとポーランドをそそのか
したのが大戦の一因だ」とも示唆した。
http://tanakanews.com/100611russia.php
683名無し三等兵
垢版 |
2015/10/27(火) 08:06:40.80ID:wh7T8M0F
>>681
>イギリスの対日戦の優先順位の低さはひどいものがある。

 イギリス軍の数字にも、驚くほど対照的なものがある。対日戦争における、
イギリス軍およびイギリス連邦諸国軍の損害は227,313人であったので、
ビルマにおける損害はこの3分の1になる。しかし極東における損害総数は
戦死者の数を増大させていることにはならない。この数字は公刊戦史の最終
巻の中で、「行方不明および捕虜となった者」とされている127,800人によって
さらに大きなものとなっている。もしイギリス本土の将兵に関する数字のみ
について見るときは、ビルマで戦死した本土の将兵の数は5,000人以下、
つまり、ビルマにおける戦死者総数の3分の1前後であり、インド軍の
戦死者数の3分の2に過ぎないことがわかる。イギリス本土においては、
この12倍の数の人々(60,595人)が空襲によって死んでおり、商船の乗組員
の戦死者もこの6倍(30,248人)に達しているのである。
<ビルマ 遠い戦場〈下〉―ビルマで戦った日本と英国1941‐45年 (ルイ・アレン)>
684だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/27(火) 09:19:56.19ID:WR3iOzsO
>>665
>イギリスなんか対日戦はほんとに余興。

もしイギリスが本当にそういうつもりだったら、イギリスは日本に和平を求めたはずだし、満州国をも承認してたはずだ。
ヒトラーだってイギリスに対しては和平を打診したこともあったのだから。

 新たに元帥に任命された人々が八月一四日、ヒトラーの手から宝石で豪華に飾られた元帥杖をもらいに首相官邸
に集まった時、彼は戦略的考えを明らかにした。 ・・・《中略》・・・ヒトラーは空軍がイギリスの決意を悪天候が始まるまでに
変えられるかどうか疑問であるといい、それが失敗すれば、侵略についての決定を一九四一年五月まで延期する、と語った。
 昼食の終り頃のヒトラーの興味深い政治的演説のレープによる記述は重要なので、詳しく引用しよう。
 イギリスが和平しないのには、おそらく二つの理由がある。
 第一は、イギリスは合衆国の援助を期待している。しかし合衆国は一九四一年までは大きな兵器引渡しは始められない。
 第二は、イギリスはロシアをドイツと闘わせようと望んでいる。だがドイツは軍事的にロシアよりはるかに優越している。
フィンランドにおけるロシアの戦闘のフィルムには、実に笑うべき光景があった。〔ロシアから〕石油が来なくなっても、
ルーマニアから容易に補える。
<ヒトラーの戦争 上巻 / デイヴィッド・アーヴィング/著 赤羽竜夫/訳 >

「対日戦おまけ論」だが、それをいうならソ連はナチスドイツとの戦いで2700万人を失った末にベルリンを攻め落とし、
その後の「片手間」で日本を粉砕して無条件降伏に追い込んだとも言えるはずだ。

>米国が4年かけて出来なかったことを、スターリンは4日間でやってのけた

まさにソ連にとっては「片手間」www
685だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/27(火) 11:06:33.73ID:WR3iOzsO
>>680
>航空機も、戦車も欧州で時代遅れになったものが主力になっている。

でもその頃の独ソ戦では、イギリス戦車なんてボロすぎてとっくに使われなくなってるがなww

―チャーチルの供与はもっと後からでしたよね。
 そうそう、後からだっけ。で、1943年以降になると、私たちはこれらの戦車を断ってしまった。やたらに欠点
が多かったからね。特に、1トンに対し12〜14馬力しか出せないのは問題だった。あの当時は、トンあたり
18〜20馬力は発揮するのがよい戦車だと思われていたものだ。3つの戦車のうちでは、カナダ製のヴァレンタイン
がベストだったな。装甲は流線型だったし、長砲身の57ミリ砲を持っていたのが大きかった。それから、私たちは
1943年末にはアメリカのシャーマンに乗り換えた。キシニョウ作戦の後で、我が軍団は第9親衛機械化軍団
と名前を変えたんだ。さっきは言い忘れたが、どの軍団も4個旅団で編成されていた。私たちの軍団は3つの
機械化旅団と1つの戦車旅団を抱えていて、私はそのうちの戦車旅団にいた。一方、戦車軍団は3個戦車旅団
と1個自動車化歩兵旅団で成り立っていた。そんなわけで、私たちの旅団には1943年の末からシャーマンが配備されていた。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/loza1.html
2015/10/27(火) 11:13:31.50ID:WR3iOzsO
>>681
>ソ連には最新の\を何百機も供与してたのに。



サフォーノフは2機を落とし、3機目に襲いかかったのですが、そこで雲の中から出てきたメッサーシュミット
の攻撃を受け、海へと落下したのです。友軍機はヴァエンガに駐留していました。ただ、飛行機と言っても
実情はどうでしょう?30機か40機がいただけです。その後になって、イギリスからハリケーンが供与される
ようになりました。けれども、本当に馬鹿みたいな飛行機だったよ!どうしてか分かるかね?ドイツのメッサー
シュミットBf109は、簡単にハリケーンを落としてしまったんだから。イギリス人は黄金と引き換えにハリケーン
を送ってきたのです。私たちは、イギリスで作られている他の飛行機を供与してもらうべく交渉を始めました。
しかし、チャーチルは結局それを断ったんですね。一方、ルーズベルトは私たちに「コブラ」を送ってくれました。
いい飛行機だったけれども、ベアリングの調子が今ひとつ思わしくなかった。私たちはこれを伝え、
アメリカ人も改修を施したので、それから我が国に供与されるようになりました。後に、ポクルィシキンも
コジェドゥープもこの機体でメッサーシュミットを落としたのです。エアラコブラというのは、あれは本当に
いい飛行機でしたよ。ルーズベルトはきちんとした人だった。アメリカ人の中でも、ハリマンとホプキンスは
とりわけよく私たちを助けてくれました。彼らは[ソ連に]やって来て、ロシアを支援すべきだと報告したわけです。
それで、ルーズベルトは支援を行った。たくさんの飛行機、戦車もたくさん送られてきました。一方のチャーチルは、
自分がいらないものをみんな送りつけてきただけです。私たちは80トン近い金を引き渡しました。けれどもこれ
らの金は、船で運ぶ途中にほとんどみな沈んでしまったのです。しかしその一部は送り届けられましたが、
一部は今でもバレンツ海の海底に横たわっています。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/beseda74.4.html
687だつお ◆t0moyVbEXw
垢版 |
2015/10/27(火) 11:20:08.62ID:WR3iOzsO
>>680
>航空機も、戦車も欧州で時代遅れになったものが主力になっている。

冬戦争でフォッカー D.XXIを装備し大きな戦果を挙げた第24戦闘機隊[2]に配属されたB-239は継続戦争序盤から奮戦、
21機の喪失(事故を含む)に対しソ連軍機を456機撃墜する約21対1の圧倒的な勝率により、35人[3]ものエースパイロット
を生み出し「タイバーン・ヘルミ(taivaan helmi、「空の真珠」の意)」と賞賛された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/F2A_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)

フィンランド空軍の撃墜記録がどこまで正確かはわからないが。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
5ちゃんねるの広告が気に入らない場合は、こちらをクリックしてください。

ニューススポーツなんでも実況