>>117
日本の場合は、初期には、放り投げて落下させ信管を作動させる
手榴弾を 日露戦争の頃には用いた。作動には信頼性がなかった。
次いで、安全ピンを抜いて、打撃して着火させ7秒ほどの時間を置き
爆発させる10年式手榴弾が開発され、それを更に改良して、91式手榴弾が出来た。
その後、この手榴弾を 投擲専用に4秒信管を付けた97式手榴弾をつくり、
更に軽量小型化した99式手榴弾となったが、
一部の例外を除き、基本的な構造は、打撃信管が使われた。

しかし当初から、寒気でゴムリングが緩んだ場合には撃針が抜け落ちることが指摘された。
さらに着発式の機構にも非常に問題が多く、落下の角度によって不発が起こり、
また湿地、沼沢地に投擲すると着弾時に衝撃が吸収されて不発を生じた。
この欠点に関し、1917年(大正6年)5月26日の書類では、
演習用手榴弾を用いて爆発試験を行った結果が報告されている。
極端な結果としては、やや湿潤している水田に30発を投げ、全て不発となった。
このほかにも高い頻度で不発を示したことから改良の必要が指摘された。
これを踏まえ、撃針をゴムリングで保持するものから、
バネによって保持するものへ改良、撃針の形状や木管、安全子の経始が変更された。
また戦時の供給の便を図って弾尾の木綿布を藁に改めたほか、炸薬も黄色薬から塩斗薬に変更した。
さらに弾体に筋目が入れられた。
これらは大正8年(1919年)9月27日の陸普第三六六九号により修正図が出され、部隊で改修を実施した

(教育総監部『手榴弾制式改正に関する件』/ 陸軍技術本部『手榴弾制式改正の件』大正8年12月〜大正9年4月)