ああした来歴をもつ反共主義については事情はまったく違っていた。ゴーロ・マンは一九四五年五月のヒトラー・ドイツ
の降伏から四十周年にあたる一九八五年二月の「ツァイト」紙に寄せた文の中で、反共主義の狂気の投影がどれほど
深く戦後に入りこんでいるかについて次のように確認している。
「私に言い寄ろうとする、おそらくたいていは元ナチス党員だった人びとから、私はよく次のような問いを受けた。
<なぜ西側連合国は、ヒトラーの敗北がすでに確定していた一九四四年の晩冬に、“同盟の逆転”を実行し、
ヒトラーとその一味抜きのドイツ人と結んでロシア人と対決しなかったんですか>と。純粋に技術的に
はそのようなことは困難だったろうが、可能ではあった。というのはアメリカはかつてないほど無傷のままであり、
豊かであったし、ロシアは恐ろしいほど荒廃し疲弊しきっていたからだ。そのようなことを考えるのさえ不可能
だった原因は、心理的なもの、道徳的なものにあった。」
<「第二の罪」(ラルフ・ジョルダーノ 白水社)P230、231>

○池田国務大臣 それはそのときに、領土権はどうかという問題と、だれが支配しているかという
問題を区別しての御質問ならば、いまのようにはっきり答えます。だから、もしそういうように言って
おるとすれば、ここではっきり申し上げますが、台湾は中華民国政府が現に支配しておる、
そして日華条約はここに適用になる、こういう意味でございます。領土権はどうかといったら、これは、
日本が放棄しただけで、中華民国の領土権はカイロあるいはポツダム宣言にはそういうことを予定
してきめておりまするが、この規定は、われわれの調印したサンフランシスコ平和条約の規定とは違います。
われわれ平和条約によって日本の外交をやっていくのであります。これが私の考えであります。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/046/0514/04602290514017a.html

「カイロ宣言」は、サンフランシスコ平和条約で明確に取り消しにされた。米中軍事同盟は破綻し、
日米軍事同盟に変わった。敗戦間際のドイツ人が夢見た「同盟の逆転」が、日本では実現した。