当時、ハイオクガソリンは接触分解法でしか得られず、
そうしなくても90台のオクタン価ガソリンが生成できる原油の油田がアメリカ国内にあった
当然中島の社長は海軍士官として1916年までおり、海軍大学校も専科学生で卒業もしているので、
ロシア艦隊を打ち破った後の帝国海軍の敵となるのは、アメリカしかないのは知ってのとおり

でも、中島の発動機部門はそこまでアメリカを意識してなかったのも確かで、ライト社とべったり状態
海軍も海軍で「簡単に燃料問題も片付く」と考えていたフシがあり、
誉の製作にあたって空技廠のバカは設計時に「最高の材料・燃料・潤滑油を使用する前提で作れ」とほざいているが、
2年もしないうちに「100オクタン価ガソリンの供給は無理」と再通告しなおした(悲劇の発動機『誉』より