印度方面に向かうのも有力な選択肢だった。
ドイツからも強力に要請され続けていた。
印度から英軍を駆逐してスエズに向かいドイツと合流&貿易ができれば
国力増強にもなる。問題は船舶数が不足したから補給かな。
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『第二次大戦回顧録』 ウィンストン・チャーチル

4月5日、復活祭、日曜日の朝8時少し前に約80機の急降下爆撃機隊が、コロンボを攻撃した。
わが方の準備は出来ていた。
壮烈な空中戦が行われた。敵の損失は21機、わが方は戦闘機19機と、艦載機のソードフィッシュ6機を失った。
午前9時30分、戦闘は終わった。
この時、「ドーセットシャー」と「コーンウォール」は、ソマビル提督と合流するために航海中だったが、
午前11時、突然現れた敵の編隊がわが二艦に攻撃をしかけてきた。その激しさは強さを加えてきた。
3機編成の急降下爆撃機の波は、2、3秒の間隔で襲いかかった。
15分あまりで両艦は沈没した。
ソマビル提督は、敵艦船の兵力が自分よりはるかに優勢であることを知った。
われわれは真珠湾攻撃を敢行した南雲提督が、航空母艦5隻、高速戦艦4隻、巡洋艦、駆逐艦、油槽船数隻を指揮していたことを知った。

翌日、さらに大きな不運がセイロンでわれわれを訪れた。
朝早く、敵の猛空襲が突如としてトリンコマリーに加えられた。
戦闘機に護衛された54の敵爆撃機が、海軍工廠、工場、飛行場を爆撃した。
わが航空機はこれを迎えて勇敢に戦い、敵15機を撃破し、わが損害は11機だった。
軽空母「ハーミーズ」と駆逐艦「ヴァンパイア」は、前夜安全を求めてトリンコマリーを去っていたが、共に敵機によって沈められた。
海と空を自由に駆け巡る日本軍は、船舶9万3000トンを沈めた。
私はルーズベルト大統領に救援要請の電報を送った。

日本の海軍航空隊の成功と威力は、恐るべきものだった。
マレー沖ではわが第一級戦艦2隻が航空機からの魚雷攻撃を受けて、わずか数分間で沈められた。
今また、2隻の貴重な巡洋艦が急降下爆撃という、全然別個の空襲によって沈められた。
ドイツとイタリアの空軍を相手にしたわが地中海の戦争中には、こんなことはただの一度もなかった。