南米は、いま一つあか抜けない、非先進国が大半を占めています。
理由はいろいろあるでしょう。そして原因の一つをご紹介します。

それは――議会の選挙制度です。「民主主義だったらなんでもいいんじゃないのかよ」
いえいえ、そんなことはありません。選挙制度いかんでは、民主主義は容易に衆愚政治(ポピュリズム)に陥ります。

単純に選挙をした場合、たとえば極端な例だと渋谷区と青森県を一つの選挙区にして渋谷区民と青森県に
それぞれ一人一票ずつ与えて単純合算したら、不適切な選挙結果になることは見え見えです。
なぜなら広尾や松濤、表参道のような高級住宅街を多数擁する平均年収(所得)770万円の渋谷区民と、
平均年収200〜400万円の青森県民とでは、判断力のレベルが極端に異なるからです。
そのため又吉イエス、釈量子、三宅洋平、犬丸勝子みたいな泡沫候補に票が集積し
議会に送り込まれる可能性が出てくるのです。こうして民主主義は、衆愚政治(ポピュリズム)に陥りうるのです。

したがって、選挙制度に工夫をして、一人一票でありながら衆愚政治に陥らないようにすることが必要なのです。

その工夫とは――1選挙区につき、1候補者のみを選定することです。
たとえば小選挙区制だったり、大選挙区制でも勝者総取り方式を採用したりすることです。
こうすることで、泡沫候補が議会に議席をもてないように促す効果が表れるのです。

「多様な民意の反映ガー」とか、「死に票ガー」とか発言する方がいらっしゃいますが、
そんな方々は、この100年間どんなときも圧倒的な超大国であり続けたアメリカや、
世界経済で急激に台頭したインド、韓国、オーストラリアがどれもこれも
小選挙区制をメインに使い続けていたという現実に、目を向けるべきなのです。

そして南米諸国の多くは議会選挙に比例代表制を使っているのです。

国家運営で重要な要素は三権分立であり、議会の選挙制度だけが重要なわけではありません。
だが、それでも、もし南米諸国がアメリカのように上院も下院も小選挙区制だけであったならば、
多少はマシな国家、多少はマシな大陸になっていたことでしょう。

・・・そしてそれができず、衆愚政治に陥ってしまうのが、南米の南米たるゆえんなのです。