対独戦の「片手間」で粉砕された日本ww [転載禁止]©2ch.net

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1だつお ◆t0moyVbEXw
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2015/10/26(月) 21:16:19.39ID:ILtNuFcU
英国のウィンストン・チャーチル首相は、日本を降伏させたのは、米国の原子爆弾ではなく、ソ連の参戦であったと指摘した
ことがあった。ロシアなら小学生でも知っているこの見方は、欧米諸国では忘れ去られている。「核兵器に関する5つの神話」
の著者である英国の歴史家ウォード・ウィルソンが論文のなかで、「米国が4年かけて出来なかったことを、スターリンは
4日間でやってのけた。」と書いたとき、
http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2013_08_06/119189023/

スターリン元帥は、これらの条件が満たされない場合、自分とモロトフにとり、なぜロシアが対日戦争に参加しなければ
ならないのかソヴィエト国民に説明するのが困難となるのは明らかである旨述べた。彼らは、ソ連邦の存在そのものを
脅かしたドイツに対する戦争は明確に理解したが、何ら大きな問題を抱えている訳でもない国を相手になぜロシアが
戦争に入るのか理解しないであろう。他方、彼は、もし政治的諸条件が満たされれば、国民は右に関わる国益を理解し、
かかる決定を最高会議に説明することも格段に容易となろう、と述べた 」。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/1992.pdf

 「間違えると北海道までソ連に占領されていた」との発言は、全く歴史に反した、冷戦時代の悪質な
反ソ宣伝の焼き直しである。 そもそも、長崎原爆投下は、ソ連参戦の後に行われているので、
ソ連参戦を阻止するためでないことは、はっきりしている。広島原爆投下の後も、日本政府はポツダム宣言
を受諾していないが、ソ連が参戦すると、あわててポツダム宣言を受諾した。このことからも、
日本のポツダム宣言受諾に、ソ連参戦は決定的に重要だったことがわかる。
<中略>
イエナには世界最大の光学機器メーカー、カール・ツアイスの本部があった。イエナはチューリッヒ州にあるため、
ソ連占領地であることが合意されていた。ところが、ソ連の占領がもたついたため、カール・ツアイスの確保をもくろんだ米国は、
イエナをいち早く占領してしまった。しかし、ソ連の抗議によって、最終的には、イエナはソ連に引き渡された。結局、
実際の現場のドサクサ紛れの占領よりも、首脳間の合意が優先するという、当たり前の結末に至っている。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2007/07/01/1617254
2だつお ◆t0moyVbEXw
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2015/10/26(月) 21:21:14.07ID:ILtNuFcU
「対日戦おまけ論」だが、それをいうならソ連はナチスドイツとの戦いで2700万人を失った末にベルリンを攻め落とし、
その「片手間」で日本を粉砕して無条件降伏に追い込んだとも言えるはずだ。

>米国が4年かけて出来なかったことを、スターリンは4日間でやってのけた

まさにソ連にとっては「片手間」www
3だつお ◆t0moyVbEXw
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2015/10/26(月) 21:25:37.87ID:ILtNuFcU
>ソ連の抗議によって、最終的には、イエナはソ連に引き渡された。

本当は渡したくは無かったんだろうが、ナチスドイツ打倒に決定的な役割を果たしたのはソ連だから仕方ない。
のみならず米国はソ連の対日参戦を不可欠と考えていた。

1942年6月のドイツ軍は、北アフリカに3個師団、独ソ戦に171個師団。

Location Of German Divisions In June Of Each Year
Country      1941   1942   1943  1944
USSR        34     171   179   157
France, Belgium
& Holland      38     27    42    56
Norway & Finland 13     16    16    16
Balkans       7       8     17    20
Italy          0       0     0     22
Denmark       1       1     2     3
North Africa     2       3     0     0
http://www.angelfire.com/ct/ww2europe/stats.html

独ソ戦と比べたら、北アフリカなんてそれこそ『おまけの付けたし』でしかないwww
2015/10/27(火) 08:12:30.86ID:w4//DBs2
日本は自然災害との戦いの片手間でアメリカと戦争してたやろ
5名無し三等兵
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2015/10/27(火) 20:52:05.81ID:UfN1pLT1
>>1
> 米国が4年かけて出来なかったことを、スターリンは4日間でやってのけた。

4年もかかったのは本当に対日戦がおまけだったから。
第二次大戦の時のイギリス軍は、時間より人的被害を重視してる。

マレーでも、ビルマでも、準備ができるまでは攻勢にならなかった。
キチガイが攻めてきたから受けてきただけ。
対伊戦や対独戦でも、体制が整うまで攻勢にはなかなか出なかった。
対日戦がおまけだから、態勢が整うまでさらに時間がかかってるわけだ。
2015/10/27(火) 21:57:32.81ID:DTJJ6AaQ
ドイツは戦後賠償で破綻するしかないから一発逆転を狙って戦争を起こした、これは分かる
日本は別になんも問題はなかったのに領土欲に負けて暴走し孤立し滅亡への道を自ら進んだ
明治が神かがってただけに昭和の愚かさがなんとも
7名無し三等兵
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2015/10/27(火) 23:42:10.42ID:dFsKAS80
ドイツも日本も国内の農地じゃ到底食料を確保できないから
外国の農地に余剰人口を移住させようとしたのが第二次世界大戦の原因だよ
8名無し三等兵
垢版 |
2015/10/28(水) 02:10:35.85ID:rS4FGOW5
The break-down of German and Italian losses against American,
British, and French forces in the war in Europe follows:
      Battle dead Permanently disabled  Captured    Total
Tunisia     19,600      19,000          130,000    168,600
Sicily       5,000       2,000          7,100    14,100
Italy       86,000     15,000           357,089   458,089
Western Front 263,000   49,000       7,614,794   7,926,794
Total       373,600    85,000        8,108,983    8,567,583
1 Includes 3,404,949 disarmed enemy forces.

The break-down of Japanese losses in the Eastern battlefronts,
including China, since Pearl Harbor is as follows:
        Battle dead  Permanently disabled Captured   Total
Southern Pacific 684,000      69,000        19,806    772,806
Central Pacific   273,000      6,000        17,472     296,472
India-Burma    128,000      38,000        3,097     169,097
China        1,26,000     126,000       1,059      253,059
           [sic]                            [sic]
Aleutians      8,000      1,000         30       9,030
Total       1,219,000      240,000        41,464   1,500,464

Biennial Reports of the Chief of Staff of the United States Army
July 1, 1943, to June 30, 1945 to the Secretary of War
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/COS-Biennial/COS-Biennial-3.html
9名無し三等兵
垢版 |
2015/10/28(水) 02:34:09.83ID:rS4FGOW5
戦力の編成と犠牲者に関する統計が、アメリカのこうした戦略的選択を反映している。転出や部隊再建が
なされたことを考慮に入れると、太平洋戦争において連合国が対戦し、壊滅せしめた日本陸軍の師団の数
はわずか 28 個にとどまり、その半数は、フィリピンに配備され戦ったものであった。連合国の地上部隊は、
アメリカ陸軍 21 個師団と6つの海兵師団、オーストラリアあるいはニュージーランド軍の7個師団から
なるものであった。ビルマで戦い、インド、アフリカおよび英国の師団で編成された第十四軍も、
最終的には日本の 12 個師団と対峙し、その大半を破った。この他、日本軍は当時アジア北部にはおよそ 50、
本土に 50、そのほかフォルモサ島(台湾)に7、東南アジアに 12 の師団を派遣したが、1945 年 8 月の
ソビエト連邦の短い軍事行動を除き、連合国は日本陸軍とは殆ど交戦していないと言える。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2007/forum_j2007_05.pdf
10名無し三等兵
垢版 |
2015/10/28(水) 06:12:04.18ID:XaQVxVdZ
 開いた口がふさがらないほどの驚きを体験したのは、ヒトラー自身も同様だった。
 翌日、八月十六日午前四時二十五分、外務次官ヴァイツゼッカーは駐ソ大使シュレンブルグ
の「大至急極秘電」を受理した。
 前夜午後八時(モスクワ時間)にソ連外相V・モロトフに面会して、外相リベントロップの
訪ソ申し入れを伝えた報告である。
 外相モロトフの反応は予想外に好意的で、申し入れを「最大の関心」をもって受け取り、
わざわざ外相リベントロップが来るからにはそれなりの成果が必要だろう、と次の三項を提案した。
 @独ソ不可侵条約の締結、A日ソ関係を改善し国境紛争(ノモンハン事件)を終熄させるために
ドイツが日本に影響力を駆使する、Bバルト海諸国の共同保障。
 そして、外相モロトフは、とくに不可侵条約についてドイツ側が賛成なら、ドイツ外相はたんなる
話しあいではなく具体的決定を用意して訪ソしてほしい、と強調したというのである。
 外相補佐官E・コルトは、午前六時四十分、電報内容を電話でザルツブルク市郊外の別荘に
いる外相リベントロップに伝え、外相は直ちにヒトラー山荘に急行した。 
 ヒトラーは、驚き喜んだ。
 なんとソ連側から不可侵条約を提議してくるとは・・・・・・。
<児島襄「ヒトラーの戦い2」>
11名無し三等兵
垢版 |
2015/10/28(水) 19:54:02.24ID:n4/ijLWE
>>1
>米国が4年かけて出来なかったことを、スターリンは4日間でやってのけた。

イギリスは、対日戦はオナザリもいいとこ
イギリスの航空機の増強についてはビルマ、マレーは最下位
対独戦や対伊戦どころか、ソ連へのレンドリースより下位
スピットファイアなんか、1943年にチュニジアでドイツとイタリアが降伏してから
不要になった砂漠仕様の旧式XCがやっと回ってきたくらい後回し。

しかしブレニムに撃墜される、日本のエースパイロットって情けない
せめてボーファイターにしろよ
12名無し三等兵
垢版 |
2015/10/28(水) 20:08:31.19ID:sDlcNvTg
イギリスは、対日戦はオナザリもいいとこ
イギリスの航空機の増強についてはビルマ、マレーは最下位
対独戦や対伊戦どころか、ソ連へのレンドリースより下位
スピットファイアなんか、1943年にチュニジアでドイツとイタリアが降伏してから
不要になった砂漠仕様の旧式XCがやっと回ってきたくらい後回し。

しかしブレニムに撃墜される、日本のエースパイロットって情けない
せめてボーファイターにしろよ
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