冷戦時代の欧米世界では、旧ナチスドイツ国防軍を讃えるプロパガンダが強かった。
そういうわけで旧ナチスドイツ国防軍のホイジンガーがNATOの指導者になってた。

1955年11月、テオドール・ホイス大統領より中将に任命され、新生ドイツ連邦軍最初の将官となる。
1957年、部隊局長。同年大将に昇進し初代の連邦軍総監(米国の統合参謀本部議長に相当)に就任。
同年発生した徴兵兵士の遭難事件を受け、兵士援助基金を設立。1961年、北大西洋条約機構軍事
委員会委員長に就任。東西冷戦中の軍事戦略策定にかかわる。これに応じて同年ソビエト連邦は
ホイジンガーを戦争犯罪容疑者としてアメリカ合衆国に引き渡しを要求したが、拒絶された。
1963年、ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字星大綬章を受章。
1964年に退役。1967年、連邦軍の功労者に毎年授与されるアドルフ・ホイジンガー賞のため基金を設立。
1982年にケルンで死去。1986年にハンメルブルク歩兵学校の兵舎の一つがホイジンガーと改称された。
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ソ連は決して「冷戦の敗者」ではなく、戦後一貫して欧米世界における旧ナチスドイツ国防軍の復権に反対し続け、
西ドイツの国連加盟は1973年にまで遅れることになった。実は西ドイツの「脱ナチ化」は、ソ連の功績だった。