参謀本部陸地測量部作成地図は語る「尖閣は戦利品だ」 [無断転載禁止]©2ch.net

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1浅見真規 ◆Xy1SDuGQ6I
垢版 |
2016/10/22(土) 15:04:27.73ID:IgcWZZOm
旧・陸軍参謀本部陸地測量部 (現・国土地理院の前身) が作成した
5万分の1地形図『吐ロ葛喇及尖閣群島』は尖閣諸島が日清戦争で
台湾の附属島嶼として「割譲」されたとの認識で作成されている。
(要するに日清戦争で勝って手に入れた「戦利品」との認識を
していたのだと思われる。)

旧・陸軍参謀本部陸地測量部が尖閣諸島が「割譲」によって
日本領になったという認識をしていた証拠に「久場島」は
中国名「黄尾嶼」と表示され、また、右下の「一般図」では
沖縄県と鹿児島県の県境には境界線が引かれているのに、
沖縄県と台湾の間には境界線が無いからだ。

詳細は下記の私のブログ記事を御覧いただきたい。

[ 尖閣諸島が台湾の附属島嶼である事を示す地形図 ]
http://blog.livedoor.jp/masanori_asami-board/archives/12045169.html

*****
ちなみに、国際法上、領土を取得する場合に権原として「無主地
先占」や「割譲」等があり、旧・陸軍参謀本部陸地測量部の見解は
現在の日本の外務省の見解である「無主地先占」とは見解が異なる。
尚、日本は第二次世界大戦で負けたので旧陸軍参謀本部陸地量部の
見解である「割譲」を前提にすれば、尖閣諸島は台湾の附属島嶼
として尖閣諸島は中国に返還する義務が生じる。
2016/10/22(土) 15:17:41.30ID:+JRKtmQS
>>1

また、尖閣諸島は、1885年(明治18年)に沖縄県が調査し、その回航報告書にアホウドリの大群の様子が詳しく記されているが、明治20年代には、多くの日本人がアホウドリの捕獲のために進出した。
1895年(明治28年)になって、寄留商人の古賀辰四郎が島の借地権を申請し、翌96年、政府は古賀に尖閣四島を貸与した。

 このように、鳥類がもたらす富を認識した日本人の海洋進出は早く、中国政府の主張する「尖閣諸島は、日清戦争時に日本にかすめ取られた」という時期以前に、多くの日本人が、既に同諸島に進出していたのである。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7780?page=2

はい論破

釣魚台に「釣魚島は間違った名前で尖閣諸島で日本領でした」と報告しなさい
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