いまの地政学的見地からすると北京を攻めるのに
朝鮮〜陸路〜北京
は愚策で、
朝鮮〜遼東半島(旅順)〜山海関
という海路の進撃が効率的に見えるけれど、
そういう発想がなかったのは、清正があさってのオランカイの方向に行ってるのをみれば分かる。

あくまで陸路で行こうとしていたのだよ。