「朝鮮出兵」波乱に満ちた生け捕り奴隷の人生
『渡邊大門』 2019/07/19
https://ironna.jp/article/13016
 ここまで捕らえられた朝鮮人奴隷について述べてきたが、言うまでもなく日本人も朝鮮軍に生け捕りにされていた。
歴史学者の中村栄孝氏は、その中で福田勘介の供述を取り上げて、興味深い分析を加えている(「朝鮮軍の捕虜に
なった福田勘介の供述」『日本史の研究』61輯)。以下、中村氏の研究に基づき、勘介の供述を確認しておこう。
 慶長2年10月、一人の日本人が朝鮮軍の捕虜となったことが報告されている(『宣祖実録』)。その人物こそが、
勘介その人である。では、勘介はいかなる人物なのであろうか。勘介自身の供述によると、勘介は加藤清正配下の
部将であり、百余人の兵を率いて、全羅道に向かっていたという。
 朝鮮出兵中の同年7月に忠清道で捕虜となり、尋問を受けたのである。しかし、別の史料によって、清正軍に勘介が
加わっていたというものが見受けられないので、供述が嘘である可能性があると指摘されている。

 中村氏が指摘するように、勘介の供述は的確に重要なことを述べており、内容も十分に信用できるという。その重要
な供述として、日本軍がどのような理由によって、朝鮮人を日本に連行したかが記されている。
 普通に考えると、日本軍による朝鮮出兵は、占領を目的としたと考えるべきであろう。当初、秀吉が構想した通り、
やがては天皇、公家、大名らを移す計画もあった。しかし、慶長の役での目的は、決して占領だけにあるとは言えな
かったようである。
(続く)