秀吉による朝鮮征伐の軍事分析part12©2ch.net
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>>109
十万石格なんてない。それは江戸時代の序列。
収穫が一万石で移入分の一万石と合わせて最大人口は二万人といったところ。 >>110
そう言われても、実際に宗氏は朝鮮役における九州の大名の軍役である
五人役(本役)を課されてるので、5000人から逆算して豊臣政権下から
10万石と見なされていたことに違いはないよ。 文禄の役の宗氏は軍役5000人だが人数書だと2000人ちょいやね
本島2万石、薩摩入地1万石、役米1万石の4万石の5人役で2千人だからこんなもんやろね 2000で総力戦って感じだな
>>89は相当盛ってると思う っていうか本島が2万石じゃ対馬のみじゃ1千名が精々だな
2千名なんてあり得ない話になるな。 2000人ちょいに小西からの増援200と浪人衆200が加わって文禄の役の宗氏兵力は2500人ほどとなってるな 対馬だけじゃなく壱岐の連中も加わってるぞ。
餘十四隻還來。七隻乃一岐州人, 已還本州, 七隻則我島人也。 壱岐は松浦さんとこのテリトリーなのに手伝いに行ってのか 私は元創価の会員でした。
すぐ隣に防衛省の背広組の官舎があるのですが、
自分の家の窓にUSB接続のwebカムを貼り付けて、そこの動画を撮影し続け、
学会本部に送っていました。
別に大したものは写っていません。ゴミだしとか奥さんが子供を遊ばせている所とか。
官舎が老朽化し使われなくなってから、
今まで法人税(うちは自営業です)をほぼ払わなくても済んでいたのが、
もう守ってやれないのでこれからは満額申告するように言われました。
納得がいかないと言うと、君は自業自得で餓鬼地獄へ落ちる、
朝夕南無妙法蓮華経と三千回ずつ唱えて心をきれいにしなさいと言われ
馬鹿らしくなって脱会しました。
それ以来、どこへ行くにもぞろ目ナンバーの車につけまわされたり大変な日々です。
全ては自分の出来心から起きた事で、どこに訴えると言う訳にもいかないのですが、
なんとかあの人たちと縁を切った上で新しい始まりを迎える方法はないんだろうか。 それなら関が原でも石田、小西を助けに5千ほど率いて助けに行けよ、と
勝敗も変わったかもしれん そうなの?
宗、松浦、有馬、大村とか第1軍のメンバーが朝鮮同様に戦ってれば東軍は容易に壊滅していたろうに 変わらんだろ
主力軍の毛利軍が分裂してる状況じゃ勝ち目はない
まぁ豊臣家を守る戦いなのに毛利家だよりな時点で西軍は終わってるんだが むしろ秀次が粛清された時点で終わってる。
後継者を政府機能ごと粛清すれば、そら忠臣以外下剋上起こすわ
まして成り上がりで権威もないのに そういわれれば秀次死亡は野ブタだ死亡と同じくらいの重要事項なんだな 秀頼を三法師ポジションに見立てると確かにしっくりくる 秀勝も秀保も秀秋も重要だったんだな。
秀勝、秀康、秀家と血縁ない奴のほうが優秀そうなのが辛いが もし秀次が関白位を続けたら
秀吉の実子が三代目になれたかと言えば、難しかっただろうな
秀吉が生きている間に三代目への代替わりが出来たならともかく
さすがにそれは難しかっただろうし >実子
まさに実のところビミョーだけどな。
それでも豊臣政権が存続してることがが前提なら、、その辺は
五大老にでも言い残しておけばどうにでもなったんでないの。 秀頼の実父が秀吉ではない大野治長では無いとの俗説は、豊臣時代の当時から存在した
もっとも有力候補として大野治長が存在する。
秀吉の側室らは、ねねが面倒を見ていたから、不義など出来なかったとの説もあるけど
海外で女子受刑者が、その国の法律で、妊娠している受刑者は刑務所から出れるので
それを目当てに、精液をこっそり手に入れて受精した受刑者も存在したそうだし。
その気になれば、幾らでも可能だよね
淀君は、信長の命令と言っても、弟を秀吉に殺され
母親も自害に追いやられたのだし
妻にされたといっても、内心では秀吉を憎んでいても何も不思議はない
秀吉への復讐のためにも、秀吉が得た権力を奪いとってやるために子供を生みたかった
何て野望のために、どんな事でもやったかも知れないな。
まあ、想像の世界の話だけど。 >>135
秀次が殊勝な性格で、叔父であり義父である秀吉の命令を
彼の死後まで忠実に従うような、殊勝な性格であるなら
自身の跡継ぎを秀頼にする事もあったかも知れないけど
それより甥を密かに殺して、関白の座を守るって未来図の方が
ずっと現実感があるけど
五大老も豊臣政権が磐石であるなら、それを覆すような事はやるまい
ま、為政者としての秀次の技量がどれほどによるかにもかかってくることだが
秀次が秀吉亡き後も、政権をしっかりと守れる技量があるなら
少々、おかしなことがあっても、その程度のことは目をつぶるしかなかったのではないかね 『殺生関白』は誇張にしても、罪人の拷問や処刑を見るのが好みと、ルイス・フロイスの記録にもあったし、話半分でも人格者とは言えなかったのは確実だよ。
才能そのものはなかなかで、武芸や教養を身につけるのに熱心だったそうだけどね。 戦国武将には、少々、ネジが外れたのが多かった
信長が浅井親子の髑髏を金の盃にしたのは有名な話だし
秀吉を初め、他の戦国武将にもこうした残虐譚が残されている
まあ、罪人の処刑を鑑賞して喜ぶくらいなら、まだマシかも知れないな
摂政関白に関しては、江戸時代になって言われたことだし
あまりアテになる話ではないな でも義理堅い武将もいるから教育かな?
秀吉が秀次、秀勝、秀保を枕元に呼び毛利元就のようにサンフレッチェな教えを説いていれば歴史は変わったかもしれない。
初めからこの3人がいなかった方が安定したような気もするが 秀吉は織田家の内紛を利用して天下を獲ったから、同じ事を防ぐために一貫した
行動を取ってる。鶴松が生まれると秀長とその周辺を遠ざけ、秀長は病死だが生
きていたら殺されただろう、秀長と政務を執った千利休切腹はその余波だ。秀頼
が生まれると、今度は秀次とその一族と周辺を退けた。退けられた側に何か落ち
度があったのではなく、秀吉は後継者を一人に絞る事で豊臣家は安泰になると考
えていたに過ぎない。徳川はこれを見て反面教師にして長続きした。 大阪城も献上し。
豊臣家は十万石程度の国主大名の1人程度に落ち着ければ
あるいは豊臣家の存続を、家康は容認したかも知れないがね
家康は、宿敵だった武田家。それに織田家の存続も認めているし
もっとも両方とも、一万石や二万石程度の外様大名に転落したが >>141
魏の武帝
つまり曹操は、皇族が力を持てば皇族同士が争い
混乱が生じるだけと考え
皇帝以外の皇族には力を持たせないように国づくりをした
その結果、司馬仲達が容易に魏の政権をひっくり返した。
その反省から、司馬は皇族それぞれの力を強化する事にしたが
結果、晋だったかな?内紛続きだった
この辺のさじ加減は難しいのよ 実は家康は、豊臣方と事を構える前に、下克上にならないかと側近に相談し、その正当性を確かめたりしてるからね。
少なくとも秀吉のように、有力な後継者を滅ぼすようは事はしなかったろうし、それこそが人質と大阪城引き渡しの要求だったんだろ。
いくら恭順したところで転付は免れなかったろうし、それはイコール大阪城の引き渡しになるんだから。 素直に東国(安房・上総あたりか)への国替えをのんでいれば普通に安泰だったでしょう。 三代将軍家光の時代まで幕府は数多くの大名を取り潰した
幕藩体制を固めるためになりふり構わず
武断政治を実行に移してきたのだが
政権末期に起こった由井正雪の乱から、その方針が転換された
大名を潰して国中に溢れた浪人が反乱を狙ったのだ。
幕藩体制を固める事を目的として行った事が、かえって逆効果になりだしたと認識したわけで
コレ以降、幕府は大名の取り潰しを大きく減らすことになった。
豊臣恩顧の大名も、加賀藩前田家を除いて片っ端から潰されていったし
仙台藩の伊達家も取り潰す計画があったとの話もある
この時代になるまでは、豊臣家が存続したとしたら安泰といえなかったのは間違いないな 大名のままじゃ無理、公家にでもなってなきゃ豊臣は残れなかったよ。 >>149
秀次事件は文禄の役の失敗と関係がある。秀吉は朝鮮出兵が上手く進捗してたら
秀次に日本は任せて、秀頼を連れてシナ大陸に移動したはずだ。 秀次が東海、機内の大名を率いて渡海していれば平壌も脱退できていたはずだ >>151
ガスパルコェリョに似たような事を言ってるじゃないか。日本は秀長に任せて
自分は明へ行くって。 >>154
秀長と秀次じゃ扱いが全然違うだろうが。 日本は秀次、朝鮮は秀家、明が秀吉、快進撃が続けば印度は秀秋、ベトナムは秀勝とかなってたんだろう >>155
秀長は病死だが、一緒に政務を執った千利休は鶴松が生まれたら排除された、
秀頼が生まれて排除された秀次と立場は同じだったと考えていいだろう。 秀保が死んだとき断絶させて所領を直轄領化したのはその辺の流れも関係してるのか?
大和60万石を身内がついていれば関ヶ原で大きく違った牢に 秀長は功績と負い目があり過ぎてボケた秀吉でも排除できんだろ。
それこそ回りが全員で止める。 映画「鳴梁」が創始改名されて日本で販売されていたと今知った・・・
バトル・オーシャン/海上決戦
http://amzn.asia/dkdRV0S 邦画で朝鮮征伐関係が全くないのがつまらん。
アニメや漫画やラノベやゲームや萌えでもいいからもっと扱ってほしい。 >>163
日本軍が無双して、その後補給線の維持と現地病に苦しむ映画とか誰が見たいんだ?
明朝鮮側にライバルキャラどころかまともなネームド武将すらいねぇんだぞあの戦争。 むしろ強すぎて失敗したんだよな。
総大将は秀吉で秀吉が統括する予定だったから、総大将はおかなかった。
秀長がすでに死んでいたから軍を任せられる人が限られいたのもあるが、秀次はつかえんし、
そしたら、秀吉が上陸する前に首都を陥落させてしまった。
現地軍は朝鮮の属領化をはかる毛利などの一派は南進し、
明軍や朝鮮と早期決戦講和を図り、有利な条件で貿易利権ウハウハ狙いの小西などは北上して王族をおった。
朝鮮なんてどうでもいい、あくまで唐入り狙いでついでに王子とらえようとする加藤などは北東に向かった。
現地で軍が分散してしまう。おまけに別に中いいわけじゃないから、
明軍が何度も攻撃を仕掛けている小西の援軍要請を断る。まあ小西は最初は余裕で蹴散らしてて俺の手柄とるんじゃねーよみたいな事言っていたから、
自業自得だが。結局防ぎきれなくて首都に退却することになってしまった。
秀吉と本体は渡海したいのだが、現地の食糧が厳しいてんで受け入れ無理となり、
単独でいくといいだしたら、家康は利家がそれだけは勘弁と止めるし、
おまけに朝鮮もう落としたし、北京おとして遷都するぜといったら、朝廷からちょっとまったと言われて動けなくなったんだよなあ。
流石に秀吉も太閤としては朝廷は無視できんからね。
最初の秀吉の想定だと南部で苦戦しながら勢力圏を広げて、明軍と戦う、
そこに援軍として登場みたいなのを想定していただろうに。
予定通りにいかないもんだな。 あ、分派した中でもアレな一派忘れてた、略奪と乱捕りが目的の奴らがいたっけ。
九州で暴れるよりはよかったと言える。 いいじゃん、そのストーリーでメディアミックスとて量産化しようぜ。
コーエーテクモでPS4で無双化、京アニでアニメ化、
朝鮮では、脇坂・来島・中川が日本代表の名将みたてな扱いだから無名の奴を強敵扱いしてもいいんだよ。大河フィクションのノリでさ。
ゲームは奴隷争奪ミニゲームとかスコア競いの人間狩りしてもいいな。 朝鮮の貧しさに負けたかな。現代でも中緯度の地域で唯一、餓死者が出る土地。 実際に負けっぱなしだったのは朝鮮の方だろ
日本を実力で半島から追い出す事が最後までできずに国土を蹂躙され続けたんだからな
助っ人の明も「秀吉が病死してくれたおかげで負けを免れた」って書き残してる 韓半島も沿海州も台湾もルソンも樺太も日本領だったのにな >>171
そんな土地が欲しくて必死こいて戦ったけど寸土も盗れずに逃げ帰ってきたな ×:そんな土地が欲しくて
○:明への進軍ルートが欲しくて
×:寸土も盗れずに逃げ帰って
○:寸土も盗らずに帰って
新春なんで親切に間違い直しといたから勉強し直すように >>175
一回目、唐・天竺の征服を目指して攻めるが一城もとれずに敗退
二回目、せめて半島南部だけでもと攻めるがあえなく敗退
このスレに書き込むには勉強が足りませんな 唐入りどころか秀吉が半島に一歩も踏み入れていないから、
完全敗北UCだなwwwww >>176
一回目、唐・天竺の征服を目指して攻め、朝鮮を撃破して複数の城を取り明と対峙、膠着状態
二回目、一回目の状況から再開するが、秀吉死去で計画白紙
勉強が足りないのは176の方
>>178
部下に戦闘やらせてるんだから秀吉本人が直接半島に行く必要はない
明朝鮮は秀吉死去で日本軍が帰ったから運良く完全敗北確定を紙一重で回避できただけ >>179
なんでや?
秀吉は自身が唐入りして三国を支配するつもりだったんだぞ。
それができず、つま先すら日ノ本から出られなかった秀吉の完全敗北だろwww
単に部下に戦闘をやらせているなら、秀吉自身がわざわざ名護屋城に出向く必要は無い。 >>180
秀吉の渡海は天候が悪かったり天皇に制止されたりして
延期を繰り返した結果実現しなかったわけで
政治的な要素もあり勝敗とは別の問題 >>181
つまり、秀吉の大敗北と言うことでFA? >>182
武田信玄の西上作戦も信玄の大敗北になるのかな?
そもそも君の言う大敗北というのは戦略レベルの話なの?作戦・戦術レベルなの?
どうも話の流れを見てると作戦・戦術レベルの話のように見えるんだけど >>183
他人だが戦略的な目的を果たしていない点では似たようなものだね
西上作戦では徳川の東海道上の支城攻略や主力の壊滅もできていないし そもそも、秀吉自身が唐入りして天皇を北京に移し云々という有名な構想は
当の後陽成天皇に拒否され、秀吉自身の渡海にも難色を示されてる
要するに朝鮮に派兵したその年の時点で早々に破綻してるんだよね
これをもって明・朝鮮側の大勝利の根拠とするには相当厳しいものがある >>185
大勝利と呼べる勝者はいないが、大敗北と言える敗者が豊臣秀吉。 言うてもサルが負けたんは高齢ゆえの病気であって朝鮮でも明でもないし >>187
文禄の役のときに死んだのですかそうですか >>188
いや、まさに慶長の役での春目前の反転攻勢の前に死んだんだが。
まぁ、南朝鮮では教えてないだろうけど。 >>188
では、文禄の役のときに撤退したのはなぜ?
日本の圧倒的有利だったのに
つまり文禄の役ですら、つま先一寸も日本から出られなった秀吉の完全敗北www アンカー間違えたorz
>>188 → >>189 まぁ朝鮮が服属という前提が違う時点で、そのまま侵攻した時点で日本軍が阿呆なのは異論の余地も無い訳で 秀吉が日本から出られない時点で終わってるというのは実際チョン君の言う通りなんだよなぁ
現場と秀吉の間で情報のやり取りするのに一月かかる上
秀吉の指示が追いつかない時に現場の将がフレキシブルに対応したら命令違反扱いになるとかもうね 独自判断で行動して処罰の例ってどんなん?
大友さんは仕方ないと思うけど… そもそもボケ老人が現場に来ても邪魔なだけだと思うが
だから回りも止めたんだろうし つまり、ボケ老人の妄想が引き起こした不幸な戦争ということか
秀吉自身は妄想が一欠けらも実現できずに完全敗北だし、朝鮮は倭寇を撃退
できたが国土は荒廃、明は領土を寸土も侵されなかったが威信が失墜した。
勝者は家康ただ一人だなwww 勝者はあれだけ散々ド派手なことやらかして何故か生き残った伊達家ということで。 >176
1回目は、割と本気で明との国境まで攻めたけど
補給も現地調達(略奪)もうまくいかず(半島はもともと貧しいため)
2回目は、みんな本気で戦わず、補給の楽なプサン港にこもっていたため
秀吉が死んだので、結局、全軍撤退したんだよね 本気で戦わない日本軍に連戦連敗する明・朝鮮軍ってどんだけ弱いんだよw 適当なことゆーな。
朝鮮軍は、居ない方がマシなレベルでも「一応」正規軍だし
明軍は北部戦線から引き抜いてきたバリバリの精鋭だぞ。 ボケ老人ボケ老人と言われてるけど1592年の段階で秀吉はまだ50代じゃないか?
享年62歳って数え年では?
だとすると満60歳で死んだことになる。 それどころか秀吉による唐入り構想の史料上の初見は1585年だろ
さらに秀吉より前に信長が1582年の段階で構想している
唐入りが秀吉のボケのせいでで始まったとか言ってるやつのほうがよっぽどボケてる ろくな事前計画もなしにおっぱじめたのはボケじゃないかなぁ 前提として従属国家や奴隷はチャンスがあれば立ち上がる、と思ってたんじゃないの?
日本の服属大名や奴隷とは根性が違った。 >>206
流れから外れた話になるけど、確か大阪遷都のアイディアも秀吉より先に信長が思いついたんだっけか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています