秀吉による朝鮮征伐の軍事分析part12©2ch.net
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むしろ秀次が粛清された時点で終わってる。
後継者を政府機能ごと粛清すれば、そら忠臣以外下剋上起こすわ
まして成り上がりで権威もないのに そういわれれば秀次死亡は野ブタだ死亡と同じくらいの重要事項なんだな 秀頼を三法師ポジションに見立てると確かにしっくりくる 秀勝も秀保も秀秋も重要だったんだな。
秀勝、秀康、秀家と血縁ない奴のほうが優秀そうなのが辛いが もし秀次が関白位を続けたら
秀吉の実子が三代目になれたかと言えば、難しかっただろうな
秀吉が生きている間に三代目への代替わりが出来たならともかく
さすがにそれは難しかっただろうし >実子
まさに実のところビミョーだけどな。
それでも豊臣政権が存続してることがが前提なら、、その辺は
五大老にでも言い残しておけばどうにでもなったんでないの。 秀頼の実父が秀吉ではない大野治長では無いとの俗説は、豊臣時代の当時から存在した
もっとも有力候補として大野治長が存在する。
秀吉の側室らは、ねねが面倒を見ていたから、不義など出来なかったとの説もあるけど
海外で女子受刑者が、その国の法律で、妊娠している受刑者は刑務所から出れるので
それを目当てに、精液をこっそり手に入れて受精した受刑者も存在したそうだし。
その気になれば、幾らでも可能だよね
淀君は、信長の命令と言っても、弟を秀吉に殺され
母親も自害に追いやられたのだし
妻にされたといっても、内心では秀吉を憎んでいても何も不思議はない
秀吉への復讐のためにも、秀吉が得た権力を奪いとってやるために子供を生みたかった
何て野望のために、どんな事でもやったかも知れないな。
まあ、想像の世界の話だけど。 >>135
秀次が殊勝な性格で、叔父であり義父である秀吉の命令を
彼の死後まで忠実に従うような、殊勝な性格であるなら
自身の跡継ぎを秀頼にする事もあったかも知れないけど
それより甥を密かに殺して、関白の座を守るって未来図の方が
ずっと現実感があるけど
五大老も豊臣政権が磐石であるなら、それを覆すような事はやるまい
ま、為政者としての秀次の技量がどれほどによるかにもかかってくることだが
秀次が秀吉亡き後も、政権をしっかりと守れる技量があるなら
少々、おかしなことがあっても、その程度のことは目をつぶるしかなかったのではないかね 『殺生関白』は誇張にしても、罪人の拷問や処刑を見るのが好みと、ルイス・フロイスの記録にもあったし、話半分でも人格者とは言えなかったのは確実だよ。
才能そのものはなかなかで、武芸や教養を身につけるのに熱心だったそうだけどね。 戦国武将には、少々、ネジが外れたのが多かった
信長が浅井親子の髑髏を金の盃にしたのは有名な話だし
秀吉を初め、他の戦国武将にもこうした残虐譚が残されている
まあ、罪人の処刑を鑑賞して喜ぶくらいなら、まだマシかも知れないな
摂政関白に関しては、江戸時代になって言われたことだし
あまりアテになる話ではないな でも義理堅い武将もいるから教育かな?
秀吉が秀次、秀勝、秀保を枕元に呼び毛利元就のようにサンフレッチェな教えを説いていれば歴史は変わったかもしれない。
初めからこの3人がいなかった方が安定したような気もするが 秀吉は織田家の内紛を利用して天下を獲ったから、同じ事を防ぐために一貫した
行動を取ってる。鶴松が生まれると秀長とその周辺を遠ざけ、秀長は病死だが生
きていたら殺されただろう、秀長と政務を執った千利休切腹はその余波だ。秀頼
が生まれると、今度は秀次とその一族と周辺を退けた。退けられた側に何か落ち
度があったのではなく、秀吉は後継者を一人に絞る事で豊臣家は安泰になると考
えていたに過ぎない。徳川はこれを見て反面教師にして長続きした。 大阪城も献上し。
豊臣家は十万石程度の国主大名の1人程度に落ち着ければ
あるいは豊臣家の存続を、家康は容認したかも知れないがね
家康は、宿敵だった武田家。それに織田家の存続も認めているし
もっとも両方とも、一万石や二万石程度の外様大名に転落したが >>141
魏の武帝
つまり曹操は、皇族が力を持てば皇族同士が争い
混乱が生じるだけと考え
皇帝以外の皇族には力を持たせないように国づくりをした
その結果、司馬仲達が容易に魏の政権をひっくり返した。
その反省から、司馬は皇族それぞれの力を強化する事にしたが
結果、晋だったかな?内紛続きだった
この辺のさじ加減は難しいのよ 実は家康は、豊臣方と事を構える前に、下克上にならないかと側近に相談し、その正当性を確かめたりしてるからね。
少なくとも秀吉のように、有力な後継者を滅ぼすようは事はしなかったろうし、それこそが人質と大阪城引き渡しの要求だったんだろ。
いくら恭順したところで転付は免れなかったろうし、それはイコール大阪城の引き渡しになるんだから。 素直に東国(安房・上総あたりか)への国替えをのんでいれば普通に安泰だったでしょう。 三代将軍家光の時代まで幕府は数多くの大名を取り潰した
幕藩体制を固めるためになりふり構わず
武断政治を実行に移してきたのだが
政権末期に起こった由井正雪の乱から、その方針が転換された
大名を潰して国中に溢れた浪人が反乱を狙ったのだ。
幕藩体制を固める事を目的として行った事が、かえって逆効果になりだしたと認識したわけで
コレ以降、幕府は大名の取り潰しを大きく減らすことになった。
豊臣恩顧の大名も、加賀藩前田家を除いて片っ端から潰されていったし
仙台藩の伊達家も取り潰す計画があったとの話もある
この時代になるまでは、豊臣家が存続したとしたら安泰といえなかったのは間違いないな 大名のままじゃ無理、公家にでもなってなきゃ豊臣は残れなかったよ。 >>149
秀次事件は文禄の役の失敗と関係がある。秀吉は朝鮮出兵が上手く進捗してたら
秀次に日本は任せて、秀頼を連れてシナ大陸に移動したはずだ。 秀次が東海、機内の大名を率いて渡海していれば平壌も脱退できていたはずだ >>151
ガスパルコェリョに似たような事を言ってるじゃないか。日本は秀長に任せて
自分は明へ行くって。 >>154
秀長と秀次じゃ扱いが全然違うだろうが。 日本は秀次、朝鮮は秀家、明が秀吉、快進撃が続けば印度は秀秋、ベトナムは秀勝とかなってたんだろう >>155
秀長は病死だが、一緒に政務を執った千利休は鶴松が生まれたら排除された、
秀頼が生まれて排除された秀次と立場は同じだったと考えていいだろう。 秀保が死んだとき断絶させて所領を直轄領化したのはその辺の流れも関係してるのか?
大和60万石を身内がついていれば関ヶ原で大きく違った牢に 秀長は功績と負い目があり過ぎてボケた秀吉でも排除できんだろ。
それこそ回りが全員で止める。 映画「鳴梁」が創始改名されて日本で販売されていたと今知った・・・
バトル・オーシャン/海上決戦
http://amzn.asia/dkdRV0S 邦画で朝鮮征伐関係が全くないのがつまらん。
アニメや漫画やラノベやゲームや萌えでもいいからもっと扱ってほしい。 >>163
日本軍が無双して、その後補給線の維持と現地病に苦しむ映画とか誰が見たいんだ?
明朝鮮側にライバルキャラどころかまともなネームド武将すらいねぇんだぞあの戦争。 むしろ強すぎて失敗したんだよな。
総大将は秀吉で秀吉が統括する予定だったから、総大将はおかなかった。
秀長がすでに死んでいたから軍を任せられる人が限られいたのもあるが、秀次はつかえんし、
そしたら、秀吉が上陸する前に首都を陥落させてしまった。
現地軍は朝鮮の属領化をはかる毛利などの一派は南進し、
明軍や朝鮮と早期決戦講和を図り、有利な条件で貿易利権ウハウハ狙いの小西などは北上して王族をおった。
朝鮮なんてどうでもいい、あくまで唐入り狙いでついでに王子とらえようとする加藤などは北東に向かった。
現地で軍が分散してしまう。おまけに別に中いいわけじゃないから、
明軍が何度も攻撃を仕掛けている小西の援軍要請を断る。まあ小西は最初は余裕で蹴散らしてて俺の手柄とるんじゃねーよみたいな事言っていたから、
自業自得だが。結局防ぎきれなくて首都に退却することになってしまった。
秀吉と本体は渡海したいのだが、現地の食糧が厳しいてんで受け入れ無理となり、
単独でいくといいだしたら、家康は利家がそれだけは勘弁と止めるし、
おまけに朝鮮もう落としたし、北京おとして遷都するぜといったら、朝廷からちょっとまったと言われて動けなくなったんだよなあ。
流石に秀吉も太閤としては朝廷は無視できんからね。
最初の秀吉の想定だと南部で苦戦しながら勢力圏を広げて、明軍と戦う、
そこに援軍として登場みたいなのを想定していただろうに。
予定通りにいかないもんだな。 あ、分派した中でもアレな一派忘れてた、略奪と乱捕りが目的の奴らがいたっけ。
九州で暴れるよりはよかったと言える。 いいじゃん、そのストーリーでメディアミックスとて量産化しようぜ。
コーエーテクモでPS4で無双化、京アニでアニメ化、
朝鮮では、脇坂・来島・中川が日本代表の名将みたてな扱いだから無名の奴を強敵扱いしてもいいんだよ。大河フィクションのノリでさ。
ゲームは奴隷争奪ミニゲームとかスコア競いの人間狩りしてもいいな。 朝鮮の貧しさに負けたかな。現代でも中緯度の地域で唯一、餓死者が出る土地。 実際に負けっぱなしだったのは朝鮮の方だろ
日本を実力で半島から追い出す事が最後までできずに国土を蹂躙され続けたんだからな
助っ人の明も「秀吉が病死してくれたおかげで負けを免れた」って書き残してる 韓半島も沿海州も台湾もルソンも樺太も日本領だったのにな >>171
そんな土地が欲しくて必死こいて戦ったけど寸土も盗れずに逃げ帰ってきたな ×:そんな土地が欲しくて
○:明への進軍ルートが欲しくて
×:寸土も盗れずに逃げ帰って
○:寸土も盗らずに帰って
新春なんで親切に間違い直しといたから勉強し直すように >>175
一回目、唐・天竺の征服を目指して攻めるが一城もとれずに敗退
二回目、せめて半島南部だけでもと攻めるがあえなく敗退
このスレに書き込むには勉強が足りませんな 唐入りどころか秀吉が半島に一歩も踏み入れていないから、
完全敗北UCだなwwwww >>176
一回目、唐・天竺の征服を目指して攻め、朝鮮を撃破して複数の城を取り明と対峙、膠着状態
二回目、一回目の状況から再開するが、秀吉死去で計画白紙
勉強が足りないのは176の方
>>178
部下に戦闘やらせてるんだから秀吉本人が直接半島に行く必要はない
明朝鮮は秀吉死去で日本軍が帰ったから運良く完全敗北確定を紙一重で回避できただけ >>179
なんでや?
秀吉は自身が唐入りして三国を支配するつもりだったんだぞ。
それができず、つま先すら日ノ本から出られなかった秀吉の完全敗北だろwww
単に部下に戦闘をやらせているなら、秀吉自身がわざわざ名護屋城に出向く必要は無い。 >>180
秀吉の渡海は天候が悪かったり天皇に制止されたりして
延期を繰り返した結果実現しなかったわけで
政治的な要素もあり勝敗とは別の問題 >>181
つまり、秀吉の大敗北と言うことでFA? >>182
武田信玄の西上作戦も信玄の大敗北になるのかな?
そもそも君の言う大敗北というのは戦略レベルの話なの?作戦・戦術レベルなの?
どうも話の流れを見てると作戦・戦術レベルの話のように見えるんだけど >>183
他人だが戦略的な目的を果たしていない点では似たようなものだね
西上作戦では徳川の東海道上の支城攻略や主力の壊滅もできていないし そもそも、秀吉自身が唐入りして天皇を北京に移し云々という有名な構想は
当の後陽成天皇に拒否され、秀吉自身の渡海にも難色を示されてる
要するに朝鮮に派兵したその年の時点で早々に破綻してるんだよね
これをもって明・朝鮮側の大勝利の根拠とするには相当厳しいものがある >>185
大勝利と呼べる勝者はいないが、大敗北と言える敗者が豊臣秀吉。 言うてもサルが負けたんは高齢ゆえの病気であって朝鮮でも明でもないし >>187
文禄の役のときに死んだのですかそうですか >>188
いや、まさに慶長の役での春目前の反転攻勢の前に死んだんだが。
まぁ、南朝鮮では教えてないだろうけど。 >>188
では、文禄の役のときに撤退したのはなぜ?
日本の圧倒的有利だったのに
つまり文禄の役ですら、つま先一寸も日本から出られなった秀吉の完全敗北www アンカー間違えたorz
>>188 → >>189 まぁ朝鮮が服属という前提が違う時点で、そのまま侵攻した時点で日本軍が阿呆なのは異論の余地も無い訳で 秀吉が日本から出られない時点で終わってるというのは実際チョン君の言う通りなんだよなぁ
現場と秀吉の間で情報のやり取りするのに一月かかる上
秀吉の指示が追いつかない時に現場の将がフレキシブルに対応したら命令違反扱いになるとかもうね 独自判断で行動して処罰の例ってどんなん?
大友さんは仕方ないと思うけど… そもそもボケ老人が現場に来ても邪魔なだけだと思うが
だから回りも止めたんだろうし つまり、ボケ老人の妄想が引き起こした不幸な戦争ということか
秀吉自身は妄想が一欠けらも実現できずに完全敗北だし、朝鮮は倭寇を撃退
できたが国土は荒廃、明は領土を寸土も侵されなかったが威信が失墜した。
勝者は家康ただ一人だなwww 勝者はあれだけ散々ド派手なことやらかして何故か生き残った伊達家ということで。 >176
1回目は、割と本気で明との国境まで攻めたけど
補給も現地調達(略奪)もうまくいかず(半島はもともと貧しいため)
2回目は、みんな本気で戦わず、補給の楽なプサン港にこもっていたため
秀吉が死んだので、結局、全軍撤退したんだよね 本気で戦わない日本軍に連戦連敗する明・朝鮮軍ってどんだけ弱いんだよw 適当なことゆーな。
朝鮮軍は、居ない方がマシなレベルでも「一応」正規軍だし
明軍は北部戦線から引き抜いてきたバリバリの精鋭だぞ。 ボケ老人ボケ老人と言われてるけど1592年の段階で秀吉はまだ50代じゃないか?
享年62歳って数え年では?
だとすると満60歳で死んだことになる。 それどころか秀吉による唐入り構想の史料上の初見は1585年だろ
さらに秀吉より前に信長が1582年の段階で構想している
唐入りが秀吉のボケのせいでで始まったとか言ってるやつのほうがよっぽどボケてる ろくな事前計画もなしにおっぱじめたのはボケじゃないかなぁ 前提として従属国家や奴隷はチャンスがあれば立ち上がる、と思ってたんじゃないの?
日本の服属大名や奴隷とは根性が違った。 >>206
流れから外れた話になるけど、確か大阪遷都のアイディアも秀吉より先に信長が思いついたんだっけか? http://www4.plala.or.jp/kawa-k/kyoukasyo/3-7.htm
このサイトによると文禄の役での被害は
>第1軍小西軍の被害は甚大で軍兵の実に60%が死んでいる。
>第2軍の加藤清正軍は被害が37%、鍋島軍も36%であった。
>3軍の黒田軍は被害が54%、4軍島津軍は60%。5軍も40%、6軍は44%。
>最もしんがりを務めた7軍の毛利軍で43%であった。
とのことですが先陣を切って朝鮮や明の正規軍と戦った隊の被害が大きいのはともかく
島津や毛利はどこで戦力を削られたんでしょうか この時代の遠征時の死因って大体病死だから
戦闘での被害が皆無でも半分死亡とかザラ。 何の数字をひっぱて損耗率出してんのか知らんけど、
そもそも動員定数と実際に出した実数は別だし、
実数は判ってる方が少ないでしょ。 オランカイまで攻めたのにもかかわらず被害を37%前後で抑えた二番隊が優秀だったってことですかね… 鍋島隊とか本格戦闘はやってないよな
黒田隊もどこで消耗したのか? >>210
左翼の作り話は酷いね、出陣した諸将が大損害を受けていたら関が原の戦いなんか
起きないよ。 >>210
それ、過去に総員の2割から3割くらいを占める
水夫のことが考慮されてないと指摘されてたよ
普通に考えれば水夫は内陸までついて行かないから
点呼の数には含まれていないと思われる >>210
病気や負傷数も全部死亡にしてしまってる雑な思考回路 >>215
その話の出所は参本本だけどなー。
指令数と限定された地域での点呼数の差を戦闘損失だけに特定した推論だから明らかに間違い。
五人役だとだいたい一人役分は水夫。
元々、動員の戦闘員内訳は四割から六割。
手繰りで補給していたのだから後置された部隊や人夫が点呼した地点に居なくても不思議はない。
更にいうなら、元々定員割れしていた大名がいるのも事実。 >>210
いろいろトンデモなサイトだな。秀吉が出兵した朝鮮でトウモロコシだの馬鹿じゃないか。 より重要なのは明軍の惨憺たる状況
そこを語らず日本軍側が大損害を被っていたように言ってるやつはインチキとみてよい >>221
まるで日本側が大損害を被っていなかったような言い草だな。
もし事実なら、家康は天下を取れなかったはず。 >>222
日本側が本当に大損害を受けていたら、関ヶ原が起こらなかったよ。
渡海した大名達は、関ヶ原やそれに付随する戦いに東西で参戦してるのだから、2年で回復できるぐらいの損害でしょう。 影響がないとは言わんが
ボケた秀吉のせいで豊臣政権がガタガタになった方がよほど影響大きいだろうな 関ヶ原の参戦大名て東西ともに朝鮮出兵を経験した連中が主力だしなw >>222
お前の脳味噌では関ヶ原の西軍が朝鮮役渡海大名で東軍が残留大名になってるんだなw つまり、東西ともに大損害を受けた残りカス同士で戦ってたと 小田原の役の壮大さから見ると、確かに関が原の戦いは残りカスだなw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています