http://doi.org/10.15057/6519

この軍事的条件の一大変化とは、10月3日に決定された”対日戦略の修正”であった。
日米開戦以来陸軍首脳や中国現地のスチルウェル・シェンノー トらが構想して来た
中国東岸を基地 として対 日攻撃 を行 うとい う戦略は,この戦略修正によって破棄 され,
台湾,中国東岸への上陸は基本的には中止された。
代ってマ ッカーサ ー (DouglasMcArther)将軍の主張 を作戦の中軸 として採用し,
海軍 とくにキ ング (ErnestKing)海軍作戦部長の主張する作戦を側援的に遂行する
ことが決定 され,ル ソン島から沖縄へ上陸作戦 を敢行すると同時に,
マリアナ諸島から硫黄島を経 由 して沖縄へ進攻することになったのである。
この対 日戦略の修正は重大な結果をもた らすことになった。即ち(1)対 日政略
における中国の戦略的地位が低下 したこと。(2)1945年 8月の終戦時に強力なア
メリカ陸軍部隊が中国に存在 していなか ったことである。
対日政略において軍事的に貢献 してこそ,戦後における大国 としての地位が
保証 される訳であったが, この修正に よって, アメ リカの支援の下に軍事的貢
献 をする機会は減少 し,大国と しての地位 を要求 しうる根拠を失 って しまった
のである。又強力なア メリカ軍部隊が終戦時において中国に進駐 していなか っ
た為, ソ連軍,中共軍の軍事行動を牽制 しえなかったのであ った。