■隠蔽されてきた海軍の蛮行

洋上の日本人兵の最高の望みはアメリカ船に救助されることであり、
それはアメリカの戦争捕虜収容所での生命と安全を意味していた。
ミッドウェーの洋上でのアメリカ人水兵や飛行士にとっての悪夢は日本海軍に捕らえられることであり、
それは素早い尋問のあと首をはねられるか、重しをつけられて船外に投げ捨てられることを意味していた。

日本人の戦争捕虜の取り扱いはジュネーブ条約のすべての信条に違反していた。

日本軍の手中にあった戦争捕虜の死亡率は驚異的な27%(ドイツ軍の手中のは4%)であった。
日本軍が5万いくつかの戦争捕虜を船でひとつの地域から他の地域へ運んだときに、
アメリカ軍の飛行機や潜水艦の攻撃を受けやすいように意図的に何の印もつけてない船を使い; 
その結果、108,000人のアメリカ人捕虜が亡くなった。 

アメリカ人捕虜のいる日本軍の島をアメリカの軍隊が取って代わろうとするときいつも日本軍が実行することは、
捕虜が救助される前に彼らを殺すことだった。

ギルバート島では22人の捕虜が首をはねられた。
バラレ島では90人の捕虜が銃剣で刺殺され; ウェーク島では96人の捕虜がマシンガンで銃殺された。
フィリピンのパラワンでは150人のアメリカ人が防空壕に集められ、ガソリンをかけられ火をつけられた。

この残虐性はアメリカの戦争方針に影響を与えた。

アメリカがゆっくりとした過程で日本に侵攻するという方針に反して、原子爆弾を使ってすぐに日本に大打撃を与えて
ノックアウトした大きな理由は、収容所にいる31,617人のアメリカ人捕虜を日本軍が殺すのを防ぐためであった。