>>896の続き
また、機密機動部隊命令作第三一号では、
事実上の作戦終了予定日であるF点(アンダマン海中央部)到達日を4月8日
(C日(セイロン島攻撃日4月5日予定)+3日)
としていますが、

実際には4月5日にコロンボを空襲した後、
さらに4月9日にツリンコマリを空襲してから帰投しています。

本来の同空襲計画では、敵情に応じて
1.ツリンコマリのみ空襲
2.コロンボのみ空襲
3.両方を“同時”に空襲
の何れかを選択(敵情に応じ翌日反復空襲あり)し、
事後はベンガル湾を捜索しつつ、F点に向かう。

というのが、機動部隊の作戦計画だったのですが、
南雲司令部は現に遂行中の作戦計画を大規模に変更した訳です。

少なくともこの時の南雲司令部は
「柔軟な作戦指揮を行っていた」
と言ってよいでしょう。
この辺も、同書戦史編纂官は明確な解説、考察を行ってはいません。