日本と日本人には「政治主導」「官僚政治の打破」「決められる政治」などというカッコいいものは、まだ早すぎたのではないか。
国民が民主主義を支えるに相応しい意識や見識・責任倫理等があることがその暗黙の前提としてあるのだが、それらが欠落したままそれを求めた結果が安倍政権の無法ではないか。

私自身も日本の国民大衆の一人だから、エラそうに「民度」などという言葉はあまり使いたくないのだが。
民主主義の主権者として必要最低限度の知識や責任倫理すら忘れ(あるいは勉強せず)、時代劇の悪代官の如く無法や非常識行為、国政私物化を繰り返す腐敗政権を支える国民大衆も批判せざるをえない。

治安維持法の歴史知らずに共謀罪支持とか。改憲の発議を知らずに、自公に衆参で圧倒的多数の議席を持たせるとか。
私には今の日本人が、イソップ物語『燕と鳥たち』みたいに、知識や想像力、問題意識の欠落ゆえに破滅する鳥たちと同じに見える。