(長文過ぎて書き込めなかったので分割します・・・)

  以上   約2,600名
  玉砕将兵  2,638名(陸軍2,527名、海軍111名)
  捕虜       28名(陸軍   27名、海軍  1名)
  生存率・・・・・・・・・・・・ 1%

  ※生存者の殆どが仮死状態で救護されています。
   意識回復後、自決を試みる者多数・・・。内一名は、海上輸送中に投身し自決したと……。
  ※報告の為に残された参謀含む4名は、救出潜水艦(不明)が消息を絶った為脱出できず、以降消息不明。
   彼らの亡骸が発見されたのは、十年後の昭和28年7月、アッツ湾東岸ピバタワー岬の洞窟内でした・・・・・・。

  参考資料 :光人社NF文庫(相良俊輔著) 流氷の海
        PHP文庫(阿川弘之著) アッツ紀行
        日本広報社(中野五郎著) かくて玉砕せり(何故かwebに転がってました・・・・・・('ω'))
        北海支隊史(ttp://www.down.ne.jp/ish/ijn/hokkaido/force/hokkaib.html)
        日本刀考(ttp://ohmura-study.net/001.html#3)
         アッツ島玉砕・辰口信夫日記
        海軍の軍用犬史(ttps://ameblo.jp/wa500/theme-10012756536.html)

最初にアッツに上陸した北海守備隊穂積支隊(独立歩兵第301大隊・大隊長:穂積松年少佐)千百名は、
キスカ転進を命じられて、難を逃れることになりました・・・・・・それもあり、キスカ撤退後、穂積少佐は祝宴の席で大変なことをしでかします・・・

以上長々と、失礼しました……
上に資料として示したものは、誰も知らない事を個人的に調べられている方もいらっしゃいます。
大変参考になるので、どうか一度目を通してみて!!!!(でないと勝手に借用しただけになる!!・・・(''))

>>75
狸はもう力尽きました……ありがとうございます