しかし、わが国では地下鉄建設の申請は数多く出されたが、東京の市民が利用できたのは、今の銀座線だけだった。
その銀座線も、250キロ爆弾が投下されればひとたまりもなく破壊され、その地下トンネルを爆風が走るとされていた。
だからこそ、陸軍は早川や五島に地表に近い地下道を払い下げたのだった。
だから、東京大空襲のとき銀座線に避難することはできなかった。
国をあげて秘かにつくられた地下道、地下鉄もあったはずだが、首相官邸裏の防空壕と同様、殺到する市民に対して
地下の扉は開けられることはなかった。もし扉を開けていれば、12万5000人といわれる死傷者の数を減らすことができたかもしれない。
こんな話がある。鉄道省をはじめとする官公庁の職員が、上野公園の地下にあった京成電車の車両をホテルがわりにして寝泊りしていた、
という。今なら、市民からクレームが殺到して、公務員のモラルが問われるところだが、当時は何も起こらなかった。
大空襲のときも東京の地下は、市民の生命を守るのには役立っていなかったようだ。