Compass Rose @hms_compassrose 2017/06/18 23:16:28
金澤裕之『幕府海軍の興亡』読了。これまで政治史的分析において付属的に言及されるにとどまっていた幕府海軍について、
先行研究がほぼ存在しない軍事組織としての諸相を、存在は知られていつつも等閑視されてきた内閣文庫所蔵の海軍関係文書群を活用して明らかにする重厚な著作である。
https://twitter.com/hms_compassrose/status/876587888971993089

著者は幕府海軍の行政面の諸制度、とくに封建的伝統を大胆に無視する人事についてその先見性を高く評価し、
教育や造修といった分野で明治海軍との連続性を強調し、近代海軍の嚆矢と位置付ける。
また幕府海軍の最大の欠陥を「シーマンシップの欠如」と指摘するのは現役の海上自衛官らしい視点であろう。

「シーマンシップの欠如」については驚くべき話が紹介されている。
長崎海軍伝習所の学生は砲術や機関といったハード面は熱心に学習するものの、艦の運用そのものについての関心は総じて低く、
そのため咸臨丸の北米遠征の時点では、幕府海軍には「当直」や「配置」という概念が欠如していたのだという。

咸臨丸乗り組みの士官たちは気の向いたときに甲板に立つだけで、往路の大半は「当直」が存在しない状態で航海していた。
また艦内の組織も混沌としており、よく「艦長」とされる勝の地位もあいまいで、士官たちも大まかな配置は指定されていたが、
それぞれの役割や上下関係はなにも決められていなかった

米海軍の様子を視察したのちの復路ではきちんとシフトが組まれたが、
今度は当直をさぼったり途中で船室に引っ込んでしまうものが多く、
本来は当直に立たないのだが熱心な学生がいた蒸気方(機関科)や通訳官のはずの中浜万次郎が穴埋めとして何十回と立直したことが記録されている。

このように拡張する海軍の基幹要員として教育された伝習所の卒業生に
「艦を動かす」を軽視する傾向があったことは、その後の幕府海軍にたたったと著者は指摘する。
航海自体が不得手だった幕府海軍はあまりに多くの艦船を難破で失った。主力をあっさり難破させた榎本艦隊の運命はその典型といえる。