Compass Rose @hms_compassrose 2017/06/18 23:54:36
また運用の軽視は統一された艦隊行動の実施を難しくした。驚くことに幕府海軍は手旗や旗旒信号を(おそらくは)用いておらず、
連絡はいちいち小艇で指揮官が行き来して行っていたという。また指揮官にも艦隊行動の必要性自体が認識されていなかった節もあり、
数的な優勢を生かす場面も生まれなかった。
https://twitter.com/hms_compassrose/status/876588003560366080

しかし勝海舟が「外国とおおいに交易してその利益で海軍を建設する」という構想を早くから持っていたことは知られていると思うか、
それが「軍艦で交易する」というかなり素っ頓狂な前提を持っていたことはまったく知らなかった。たしかに商船と軍艦の区別が曖昧な時代はあったけれど…。


勝は「軍艦は大きくて荷をたくさん積める、堅固に作られているので難船もしない、だから交易に向く。
盛んに航海すれば訓練にもなり、またその活動で海軍の経費を賄えるのだから一石二鳥だ。」という理屈を唱えるんだけど、
もちろん経済性の前にはそんなもん通るはずもなく。

これは勝の「海軍と海運の一致」という構想と関係があるかは議論の余地があるところだけど、
幕府海軍は空いた船腹に商業貨物を載せて商人から運賃取っていたことは文書記録から確認できるんだそうだ。
ただ1回につき数十両程度だそうなのではした金にしかなっていないが。