『一次史料にみる関が原の戦い(改訂版)』いま一生懸命読んでいますが、いやあすごい本ですね。
関ヶ原認識がどんどんぶっ壊されてます。特に石田三成に対する認識が完全に変わる!
https://twitter.com/1059kanri/status/877483108135600128

石田三成は「戦下手な官僚で西軍の首謀者」などでは全然ないですね。読めば読むほど、
「三成はその気もなかったのに西軍に巻き込まれた人だ」という理解に成ってきました。
彼がたまたま、その戦術眼を見込まれて「美濃方面司令官」を引き受けてしまったがために、西軍首謀者とされてしまったようでw

「毛利は関ヶ原の決戦前日の9月14日に既に家康に事実上の降参をし、以降自身を『東軍』と認識していた。」と
いうのはつくづく驚愕の内容で、総大将が見方に内緒で敵に寝返っていた、という、
応仁の乱もびっくりのアクロバティックな政治ショーが起きていたという事で、やはり何もかんも輝元が悪いw

関ヶ原では肝心の「奉行衆」も、どうも官位の高い増田長盛がリーダー格だったようで、三成…( ;∀;)


徳川家康と石田三成とはむしろ極めて良好な関係で、例の七将襲撃事件で三成を助けたのも本当に好意から。
そんな三成だが、豊臣奉行衆の中ではトップクラスの戦術眼を持っていたために、毛利+奉行衆の挙兵に巻き込まれ、
その能力故に美濃方面の司令官を任され、そのため戦後首謀者扱いされたという悲劇