>>2つづき
この件が報道されると、「そういうものならうちにもある」「長年放置していた」との通報が神社から相次いだ。県警が先月31日付の文書で県神社庁に砲弾が見つかれば相談するよう呼びかけたところ、さらに通報が増えた。
通報は一般住民からもあるが、神社が6割以上を占めている。

神社関係者の多くは「なぜここにあるのか分からない」と口をそろえるが、年配の住民の中には「砲弾は昔から神社にあり、持ち上げて力比べをしていた」などと記憶している人たちがいる。

そもそも「発見」された砲弾はいつのものなのか。
日本の大砲研究の第一人者とされる埼玉県飯能市の佐山二郎さん(69)は「日露戦争に勝った当時、政府が戦勝記念として、ロシア軍から接収した砲弾を安全処理した後で全国の神社や仏閣、一部の学校に展示するように配った。それではないか」と推測する。
戦前・戦中は、慰霊碑や石碑と同様のものに砲弾を見立てて、戦死した兵士を弔ったともいう。

しかし中には危険な砲弾もある。
別府大学の段上達雄教授(民俗学)は「武運長久のお礼として、兵士が個人的に持ち帰った砲弾を神社に奉納したケースがあった」と話す。この場合は安全処理をしていない可能性があり、県警などは注意を呼びかけている。

砲弾はかつて住民に身近なものだったが、太平洋戦争中に金属供出で回収されたり、戦後は連合国によって破棄されたりした。
残った一部が長い年月の中で持ち込まれた経緯が分からなくなり、今回の騒動に至った可能性がある。

今月に入り、各県で通報による「発見」が続出している。
毎日新聞の集計で▽山口県5個▽福岡県18個▽佐賀県15個▽長崎県3個▽熊本県4個▽宮崎県3個
−−を確認。
大分の件が影響しているとみられ、神社からの通報が目立っていた。

佐山さんは「すぐに処分せず、安全で歴史的に意味あるものは展示することも検討してほしい」と語る。【尾形有菜、柳瀬成一郎】