愚痴ってばっかりいると、これ幸いとあの界隈連呼なのとかが騒ぎ始めるからタイトルにのっとった話を戻そうか


旧軍の中支那方面、揚子江(長江)での権益保護に重宝された河用砲艦、いわゆる下駄船は三峡より先に行くためには浅喫水かつ14ノット級の速力が欲しいという相反条件をクリアするためいろいろな工夫が知られている所
それでも急流での湾曲部となると、海図は作っても直前の増水渇水で微妙に流路は変わるし堆積物によって浅瀬ができるので座礁してしまうのはやむを得ない所
日本のある砲艦も急流に伴う逆流に舵をとられて座礁してしまい満潮干潮を利用した自力離洲もできずに立往生

ところが、船が乗っかっていると目ざとく見つける人間がいるもので、人里離れた田舎なのにワラワラと暇そうなのが集まってきてボーっと船を見続ける
物取りの様相でもなく、物売りを始めるでもなくなので、艦長は下手に緊張させる必要もないと陸戦隊での威嚇行為もとれない状態

さて、ここで暇を見つけては古文や現地の漢詩を読み漁っていた主計長が閃いた
ちょっと恰幅のよい人間を捕まえて筆談すると見込み通り、その地区の親分格で、事情を聴いたら

「 遡 行 で き な い 船 を 引 っ 張 る バ イ ト が で き た と 見 込 ん で み ん な 集 ま っ て い た 」

ここまで意思疎通ができれば話は早い。彼らにとっては時々来るボーナスみたいなものなので、綱でも小舟でもそれなりに集まって、船の引き下ろしどころかちょっと上流の水深のあるところまでエンヤコラやと引っ張り続ける

これはヴォルガの船曳きか、それとも保津川の船上げかとばかりに、他国の砲艦に見つからないように強行軍で突破し事なきをえた

しかし、当の主計長の回想としては、艦長機密費を使い切ったのは初めてだ、だったそうである