>>502
超大馬鹿

中国は宋代に鉄器技術の質こそあったかもしれないし、技術水準は古来から高かった
しかし中国は決定的に製鉄の実情は遅れた日本やインド、欧米その他すべての国に劣った

中国は鉄の量産化がまともに機能しなかった。軍事手段の制限(反乱抑止)と税収イニシアチブのために
鉄の国有化と価格=税のために生産数を低くして、値段を高くした

この結果が足軽槍すら揃わないほどの鉄価高騰でこのため秦国で早く鉄器文化化したのに、武帝以後鉄器時代以前の社会水準に退化したんだ

軍においては足軽鉄武具兵が標準化せず、原子農具兵団に回帰して、普通なら逆なのに、万里の長城建造コスト、孥の生産コストよりも鉄武具が高くなる矛盾がきたから
足軽、鎧兵がなかなか標準化しなかった

また産業面では鉄が高くなりすぎて、人口1000万前後の頃鉄桑が数十万ほどあったとしたら、武帝の鉄制限で桑すら増やせない状況になった
このため簡単な農地開拓すらできないようになって、黄巾の乱→董卓インフラを招き、鉄が変えないから曹操が国策でわざわざ鉄農具を増やして国家手動開墾しなければいけないほど、社会の殖産、開拓能力は脆弱化してた

でこの曹操の一次制作以後、国家は鉄桑を供給するようにはなったが、鉄鋼国有化で武器含むなにもかもの鉄器を金以上にイニシアチブのために生産も供給も渋ったままだった
だから漢代に2000万に到達した人口はそこから1500年低いペースでしか増えなかった
ようは開墾能力=鉄桑が少ないから

でこの退化して非鉄器文化になった中国にたいして、極世界標準的な鉄器文化を作ったのがモンゴルで
このため中国ー金は惨敗した。
そして明になってモンゴル鉄器革命の影響で、鉄器量産の産業と軍事上のの重要性がやっと理解できたから
国策で鉄の量産化→それを使って万里の拡大を→鉄の兵団をの時代になった
中国はどこよりも早く鉄器文化を身につけたのに、鉄軍団整備をまともにしたのは世界でも最も遅い方だった