俺は、グラマンの機銃掃射で撃ち殺された。
河原で遊んでいた俺は機銃掃射でずたずたにされ、駆けつけた兄が抱き上げると首がもげたそうです。
血の涙を流し復讐を誓った兄は大日本帝国空軍に志願した。
成績はいまいちらしかったが、面接で志願理由を問われ「○○を殺した憎き鬼畜米英を皆殺しにすることです」
絶叫し採用された。そして帝国空軍の猛訓練で鍛え上げられた。
しかし爆装離陸訓練のときに、引きおこしを早くしてしまい、離陸に失敗、瀕死の重傷を負い終戦を迎える。
戦後も周りの人間が資本主義、米帝万歳に手のひらを返す中、徹底した反米、共産主義者として公安の監視下に入り、
やがて事件を起こし逮捕され、配偶者も子も得られないまま牢獄で孤独な死を迎えた。