>>105
横からだが近いエピソードはある

1882年9月、壬午事変の戦後処理の際
李氏朝鮮の特命全権大使の朴泳孝が訪日した際のもの

朴泳孝の訪日日記「使和記略」によると
訪日する際の船舶内で国旗が出来ていないと
イギリス領事のW. G. アストンとイギリス人船長と会談
国旗の素案を見せたところ「他国が作りにくい」と助言を受け、
船中で複雑な部分を削り、宿泊していた神戸の西村屋で初めて掲げた

ただし日本国旗毀損してというのは誤り
英国人のアドバイスで素人がもとの図案から適当に各部削って作ったため
>>106の指摘のようにおかしなものとなった、とされていた

が、この前に国旗の図案が決定していた可能性のある資料が見つかったため
今は太極旗の制定経緯は不明になっているw