桶狭間の戦いで織田信長は、今川義元を討ち取った家来でなく今川本陣の休憩状況、油断してる様子を伝えた梁田出羽守に一番の恩賞を与えた。
日本海海戦では、秋山参謀は「作戦の本旨をよく理解することが極めて重要」ということを各司令官はもとより一兵卒に至るまで徹底させようとした。
東郷は策敵作戦に非常に腐心し警戒艦を最大の努力をもって東シナ海に散らばらせた。
そうして会敵してからは、第二艦隊の司令官は「独断専行」と批判されることを恐れずに臨機応変の極みか、丁字戦法を見抜いたロシア艦隊が
第一艦隊の攻撃から逃れようとして方向転換していたところの鼻先を押さえて、完璧に作戦の成功を導いた。

それと反対なのがミッドウェー海戦での南雲だろうな。情報戦を軽んじ(情報管理が極めて温かった。)、臨機応変さに欠け、
(「拙速を尊ぶ、巧緻は拙速に如かず。」で、空母への雷撃は、とにかく艦爆で敵空母の甲板を破壊して護衛戦闘機が護衛できなくなった後に、
対空砲火の弾幕が低下した後でもいいのに。)兵装の転換に時間がかかって攻撃隊の発艦が遅れ米軍の急降下爆撃によって自滅といってよいように全滅した。

昨今の自衛隊、情報管理に温く、情報収集に倦んではいないかって心配する。