柴田討伐戦で日本人の軍事組織は大規模歩兵突撃に徹底的な不信感を持ち、装甲を過剰な重視、とある一方、
立見の言う所によれば、大和民国の足軽たちはキューバで要塞攻撃にこっちの旅順並みやらかしてるみたいだし、その中間点が>>877なんだろか
(ただ、赤鷹太郎教授はじめ、北海州でのウタリ取り込みの悲惨な経験から大和民国での先住民取り込みは割とうまくいったみたいな話が出てるから、
「東部劇」(@モンゴルの残光)もそれほど酷い事にはなってないと思いたい…)