ワッチョイ無 1 インパール作戦 [無断転載禁止]©2ch.net
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インパール作戦総合スレッドです
ワッチョイは御座いません >>172
実際そんな感じだよ。戦車の生産台数も比べてごらんよ。
チハ約2100両、T34やシャーマン、それぞれ4万〜5万両以上。 軍事力だけに頼るのは
頭の悪いバカの考え。
それよりも大義に勝る力は無い。
インド、イラン、シベリアを独立国家にする。
この大義だけで日本は勝てたわ。 インドを独立させようとしてどうなっだか見れば一目瞭然。
時代は遡るが明確なビジョン無くシベリアに出兵してパルチザン相手にどうなったか。
イラン、はて。
荒唐無稽な絵空事でしかない。
結局どうやったところで何も変わらない。 >>171
日本陸軍「航空機超重点主義とか戦闘機超重点主義と当時言われたものがあってだな」
なお普通にそれやっている模様
つうか、wikiだと「日本軍の航空支援は皆無だった」なんて書いてあるけど実際のインパール作戦で日本陸軍第5飛行師団はかなり出撃しとるし、
地上部隊のインパール包囲が無いなら街道経由で輸送するから空襲だけじゃ第14軍は叩けんよ >>175
海軍さえ足を引っ張らなきゃ
すべて上手く行ってただろうな。
シベリア独立もイラン独立も
何をやられたら敵が困るか、考えればわかるはずだが
海軍がアホだから、全てが上手く行かなかったわ 日本の航空兵力は山本五十六のアホが
無駄なソロモン消耗戦で壊滅させた。 インド独立もかい?シベリア独立すら出来なかったのに >>176
実際にスピットファイアの「街道荒らし」に襲われまくった地上部隊からは
日本機はさっぱり見なかったと評されているがな。
地上攻撃を恐れて、航続距離が長いよを利用してタイから航空支援するから
一回の攻撃でほんの短い支援しかできない。出撃したと言う実績だけで中身なし。
一方イギリス空軍は近くにたくさん空港つくって、一日に何回も出撃して地上部隊を支援しまくった。
純粋な航空戦でも圧倒してたしな。 >>179
1942年8月にインドでは「インドを立ち去れ運動」という
反英運動が起きており、タイミング的にはこのときが好機。
欧州戦線は北アフリカ戦線、スターリングラード作戦で
独伊が攻勢に出ている時で、それに日本の艦隊を派遣すれば
インドだけでなくイランも同時に一気にアジア独立の
流を作ることができたはず。
実際にドイツからも矢のような催促が来ているし
インド国民も日本軍の進行に期待をしていたはず。 >>181
半年間も猛訓練してるんだが?
だから牛の半分を渡せたわけで、訓練してなきゃ全滅だろ。
この夜間渡河作戦は大成功で、連合軍は
まったく察知できなかった。 シベリアではシベリア出兵の時に極東共和国という
独立国家が誕生している。
日本軍が撤退したのは大失態で
それによって消滅している。
日本の撤退の判断は大馬鹿だな 80年前の愚行を悔やむ一方で、
80年後のための投票には行かない
あゝ日本人 >>183
雨の降らない季節に干上がった川で猛訓練したってわけだ。
牟田口の無能ぶりがよくわかる話だな。 >>186
あんたバカ?
作戦開始は乾季だが?
その時、河は干上がった状態だったと? >>187
渡河作戦大成功なら、弾薬にも食料にも困らなかったってわけだ。
牟田口以上の大バカ者がいたなwww >>180
>地上攻撃を恐れて、航続距離が長いよを利用してタイから航空支援するから
ビルマから出撃しとるけどタイからって一体何言っているんだ?
第五航空師団はほぼ毎日のように20〜50機前後で出撃で、基本的に飛行場攻撃で主にインパール上空の制空戦闘している
連日インパール上空は日本戦闘機に飛ばれており、相応の損害や苦戦をイギリス空軍食らってるが
日本側の航空作戦は5月末でさっぱり止まるが航空戦でイギリス空軍は圧倒なんてしてないよ >>189
>第五航空師団はほぼ毎日のように20〜50機前後で出撃で
地上で10万人以上戦ってる作戦で数十機の航空機って多いかな?
同時期のイギリス軍は何機くらい飛ばしてたの? >>187
あんたバカ?
補給が無い31師団でも作戦開始の3月15日から
5月一杯は物資に問題ない。
15軍が想定した作戦期間を大幅に超えてるが
この間問題なかったということは
15軍の補給計画は妥当だったと言う事 第五飛行師団も一応インパール作戦に参加してるが
こちらは南方軍が指揮しているため
まったく連携が取れていない。
敵飛行場攻撃都とウインゲート空挺団のほうに全て兵力を投入し
肝心要の地上部隊支援をまったくやってない。
とくに33師団が敵インド17師団を包囲した際、ここへ投入してれば
敵はガタガタになって降伏していたのは確実だった。
それより何より、無駄にソロモン方面で消耗戦をやったことが
日本の決定的な致命傷だな。 それから牟田口は飛行師団長に
支援を断ったと伝えられている。
渡河作戦だけ頼む。あとは支援はいらんと。
しかし、この話は捏造された嘘の話。
渡河作戦は夜間に実行しており
そもそもこれへの航空支援は必要ない。
とういか、せっかく敵に察知されないように隠密に渡河してるのに
ここで航空機が支援しいたのでは、敵に作戦がバレてしまって元も子もない。 前にも行ったが俺参謀は牟田口軍司令官に毒ガス攻撃を具申するッ! >>192
うむ。ソロモン方面では日本は、ガダルカナルで2000機、
ソロモン全体では一万機以上の航空機を損耗してるからな。
その一部でもインパールに持ってこれたら。 ソロモン方面で1万機以上の航空機消耗といえば
単純計算で飛行師団に換算すると
約100個近くの飛行師団が消滅したことになる。
・小隊:4機
・戦隊:36機(小隊×3 中隊×3)
・飛行師団:108機(戦隊×3)
これだけの航空機をソロモン方面ではなく
ビルマ方面に投入していればな
そもそもビルマに1飛行師団しか無いのがおかしい
(海軍はゼロ) >>172
>工作機械や特許料、技術など一切の金を惜しまずドイツなどから導入し
一方、ドイツは蒋介石を支援していたわけだが(苦笑 >>191
> 5月一杯は物資に問題ない。
それは糧食の話しで弾薬は不足だよ。土足くんw >>197
日本の川崎飛行機や愛知飛行機はドイツのハインケルなどの影響をよく受けていることなど知られた話だが…?
大和の戦艦主砲を作った旋盤もドイツ製
そんなん商売だから金さえ積めば売ってくれますがな
何ら反論になってない >>199
>金さえ積めば
っても限度があるんですが? >>200
コロッコロ変えんな
最初の話題に言うとだな、ドイツがどこに何を売ろうが知ったこっちゃねえんだよ
空軍はむしろかなりのソ連機とソ連の軍事顧問団や義援空軍を受け入れているがな それに日本との同盟で中独関係は下火になるしな
ドイツが中国支援してたからって何の反論にもならねぇ事に気づけ
噛み付くなら別のヤツにしろ >>201
いやいや、金の話しとなると予算措置が必要になるわけですよ。
帝国議会や大蔵省とどう話しをつけるのかな?
天皇陛下にどう奏上するの? >>203
いやいや、お前が最初ケラケラ笑ってたのは>>197だろ
何で指摘されるや予算の話に逃げてんだよ
戦費なら開戦後増えただろうが
あとはそれをどう航空兵力や艦隊・陸上兵力に振り分けるかの話であって、君のようにパイを語るのは的外れ
いいから早く>>197の続きをしようや >>204
わかった。友好関係は何の関係もないという話しならよく分かった。
では次の問題点。予算のの大半の使用についてはどうなのかな? >>205
それは最初から言ってるだろ、陸海戦力が弱くなってでも航空兵力に注力すべき
割りを食うのは陸上兵力と艦隊兵力と最初から割り切って回答しているよ
そこをダメだなあーだの言うのなら、うん君はそう思うんだねというだけで延々と争いを続けるのは不毛だよね 西亜作戦、インド洋作戦など
重要な書き込みをすると
海軍信者が出てきて自演で余計な書き込みを
大量にし、重大な事実を隠蔽しようとする。
戦後の薄汚い権力者と、その犬どもは
山本五十六と連合艦隊を、あらゆる詭弁で賛美し
日本を大敗させた海軍と、それを煽っていたマスゴミの
戦争責任を隠蔽し
大敗の責任を牟田口など陸軍になすりつけている。
いまだに山本五十六を賛美しているバカは
頭がおかしい、精神が腐った、出来損ないの欠陥人間しか
いないのでしょうw
(その代表格がバカ作家の半藤)
こいつらは救いようが無い。 >>206
いや、貴殿はそれが可能だと言っているんじゃないの?
出来ないけどこうすれば、って話しなの?
可能な話しというのはありえないとしか言えないし、
出来ないけど、という前提ならなんの意味もない話なんだが? >>207
アメリカとの戦争を始めたのは形式的にも実際的にも陸軍だよ。
海軍は「政府一任」としているのだから。 インパール作戦が失敗したのは
海軍よ、それを支持したアホのマスゴミが
妨害したから。
インパール作戦だけでなく
大東亜戦争は、こいつらバカの暴走によって
日本は勝てる戦いで大敗する結果となってしまった。
みなさん、これが事実です。
NHKや半藤などバカ作家の嘘の八百の宣伝には
くれぐれも、だまされませんようにw >>209
陸軍はアメリカとの戦争なんか
一切関わってないし、想定もしていない。
対米戦争は海軍の範疇だろが
陸軍には関係無い話しで
アメリカとの戦争は全て、海軍が独断で主導した戦争です >>208
いや、出来る出来ないの話だったらこれはあくまで「編成の意思決定の話」で、そう決まりさえすれば出来るでしょ?
こうすべきって話に「不可能」という概念は無いんだから出来る出来ないじゃなくて、「すべき」「すべきでは無い」の観念から君も言っているのだと思っていたけど?
例えば反対の立場を仮定して、別にイ式重爆を買った金(一説には満州産大豆)で戦車とか砲を買ったって何ら不可能ではないんだぜ?そういう事だろ
この場合出来る出来ないじゃなくてすべきすべきではないの話じゃないの? >>212
自演でどうでもいい書き込みを
しないでくれ >>213
では土足君、インパール作戦(ウ号作戦)話しをしようかw >>214
おまえには論戦の能力なんか無いだろ。
真面目にやれば
おまえがボコボコになるから
おまえには、ふざけた態度で1行スレを書くしかできない >>215
土足君は真面目にインパール作戦の話しをしたことがないだろうw
グルカ兵が警備員レベルとか戦史がデタラメだとかw 航空機は安い
ということで戦争中盤からは量産しているよ
それまではただ、一つの機種を毎月百機以上作ることができなかっただけ
でもって沢山完成したけど多くの兵器がそうだったように
前線へ到達するまでの輸送途上で海没してる ちなみに開戦当初までは
1機種・1工場・1日・1機
という生産体制が標準だから
20〜40機という1ヶ月あたりの供給機数というのが
昭和17年後半まで続くんだよね
例外的に隼だけは早期から増産体制がとれたけど >>216
アマゾンのレビューで反論してくれ
どうせ出来んだろw >>189
英空軍はアラカン戦でタイからの陸軍航空機も相手にしてたわけ。
タイならビルマと違って連合軍に地上撃破される心配がない。 >>193
田副飛行師団長も曲者なんだな。
結構嘘捏造が多いし >>195
>>196
ソロモンよりニューギニアの方がひどいだろ >>216
アマゾンのレビューは議論する場ではなく商品を評価する場所だよ。
あまり迷惑ばかりかけていると通報するよ。 >>219
ここにインパールスレッドがあるわけだが?土足くんw 歴群の最新号がインパール特集だが、あれを読むと3月から5月までは第五飛行師団は真面目にインパール作戦を支援している様に書かれている >>226
真面目に支援してもいかんせん数が足りない。
毎日20〜50機前後の出撃って、ミッドウェー海戦の空母一隻分にもならんではないか。 >>227
空母じゃあ5回も出撃したら燃料弾薬切れ。 この機数で輸送機も落とせ、対地支援もしろって無理ゾ インパールで地上部隊からは「味方機の姿なんぞ全然見なかった」って言われているが
そもそも絶対数が足りない、たまに飛んでてもシルエットだけじゃ敵か味方かなんて、よほどの
低空を飛んで無いと分からない
地上部隊は飛んでるのは敵機ばかりと思い込んでるから、たまに味方機が飛んでても敵機と思い込む
実際は少ない機数をやりくりして地上支援はしてたんだけど、そんな理由で「日本の飛行機なんて
全然見なかった」になってしまうんだろうな >>230
ワシの読んだ本では、
友軍機が物資を投下に来たが、敵機を恐れ低空には降りてこなかったので、味方陣営に落ちたのは1個だけだった。
なんてのがあったな。 日本軍機は地上部隊の周辺に殆ど行ってないから
見なくて当然。
日本機は敵の飛行場しか攻撃して無い。
あとウィンゲート の部隊への攻撃 牛と積み荷を半分も川に流したのが自軍の勢力圏でって所が度し難い無能
これだけで作戦の失敗は約束されたも同然 計算通りにいくならむしろ画期的発想なんだろうがなぁ…ジンギスカン作戦
川で流されるとか戦闘機に銃撃されるとか、敵制空権下で大変な地形踏破に使う戦術じゃないんだよな
戦争の優勢時別の戦場ならムッチーの評価も変わったんでねえの? 補給・偵察・攻撃と航空機を活用したイギリス軍に対して、日本軍の航空支援は皆無だった。
「制空権がなく航空作戦は無理」という陸軍第5飛行師団に対して、牟田口が「それならばチンドウィン渡河まででよい」と、
むしろ支援を断る結果になったためである。
しかし、作戦中補給を求めても、空返事しか返さない牟田口に業を煮やした各師団は、指揮命令系統を超えて第5飛行師団に
窮状を訴えた。第5飛行師団もそれに応じて、敵制空権下を突破して手持ちの食料医薬品を投下したが、襲撃機の武装を外して
も輸送できる物資はわずかであり、全くの焼け石に水だったという。
wikiより >>235
画期的発想ってのは前例の無い独創的な発想を言うんであって、牟田のジンギスカン作戦は単に
「大昔にはこんな事をしてたんだぞ、俺って物知りだろう(エヘン」
で、現地の実情も検討せず、ただの思い付きでやらせただけだから、画期的でもなんでも無いバカ案 ●ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍はインパール作戦で勝利出来た。というのが連合軍の一致した見解
★アーサー・スウィンソン大尉(英第二師団参謀 ディマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
★スチルウェル中佐(米支軍・フーコン方面軍作戦主任・北部ビルマ担当)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
★アーサー・パーカー中佐の書簡(第四軍団参謀・インパール担当)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
★マウントバッテン大将の報告書(連合軍・東南アジア戦域軍・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」
★スリム中将(第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残、,師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
★ストップフォード中将(第33軍団司令官・ディマプール担当)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」 >>239
こいつら全員、日本軍を自分ら基準で評価してるからな
現実、コヒマに到達した時点でどんな状態だったか知ったら絶句するだろう >>240
彼らはマウントバッテンに「日本軍は絶対ディマプールに来る」と報告してしまったからな。
こうでも言わないと恥ずかしいんだろう。
判断ミスだからな。 イギリス人の報告書っていつもこのパターン。
敵がずる賢く強かった。けどそれに勝った俺はもっと凄いぜってやつ。 >>239
それも今月の歴群を読むと、31師団がコヒマを落とした時点で、
ディマプールには英軍1個師団の増援がすでに到着してたから、
完全に無防備ではなかったようだ。 このとき英側の兵力はコヒマにほぼ無傷の1個連隊、ディマプールに1個師団。
なんで山越えで軽装備の31師団が単独でディマプールをつくのはムリゲーじゃないかな。 よく土足が引用してくる大田本の>>239なのだが下記の方面軍及び15軍の実施要綱を見ると
明らかに日本軍の作戦計画を知らないで語っているのが分かる。
ビルマ方面軍ウ号作戦準備要綱
一、主作戦方面
(1) 第15軍は英軍の反攻に対し努めて主作戦方面の兵備を整頓したる後
重点を「チンドウィン」河西方地区に保持しつつ一般方向を「インパール」に
向け攻勢を執り
成るべく我に近き地帯に於いて一挙に英軍の捕捉撃滅を図り
爾後
国境付近所在の英軍を撃破したる後「インパール」付近の策源を覆滅す
(4) 雨季明迄に「チンドウィン」河西岸地区「カレワ」正面に広く強固なる反撃
拠点を形成し爾後の攻勢を有利ならしむると共に作戦準備期間に於ける支拠
たらしむ
(5) 「インパール」付近の策源覆滅後は主力を以って同地付近の要域を又有力なる
一部を以って「コヒマ」付近の要域を占拠し持久態勢を確保す
15軍作戦計画骨子
(三) 第31師団は主力を先ず「インドウ」「ウントウ」「ピンポン」「ピンレブ」の地区に集中す
ると共に一部を「タマンティ」「ホマリン」「パウンピン」等「チンドウィン」河に推進す
攻撃部署は主力を以って「ホマリン」及び同上流域地区に於いて「チンドウィン」河を渡河し
「レイシ」「フォートケアリ」を経て「コヒマ」に有力なる一部を以って「ホマリン」付近に於いて
「チンドウィン」河を渡河し「ウクルル」−「マラン」道に沿う地区を「コヒマ」に突進し同地の
要域を占領して「アッサム」方面より予想する英印軍の増援を阻止す
状況に依り一部を「インパール」に転進せしめ「インパール」会戦に参加せしむ
これにはディマプールのデの字も無い。ディマプールは第二目標でも無ければ
佐藤師団長がどうとかいう物でもないのである。 >>245
連合軍側は(自分達基準で)「師団」規模の日本軍がコヒマに進出したって前提で語ってるからだ
中身なんてしったこちゃない >>247
まぁそれが本来まっとうな判断基準ではあるのだが、
判断は型どおりだと当たらないという自明の理でもある。 >>246
グルーシーか。
命令や事前計画どおりやったんだから、
負けても責任はないとか、戦争はそういうもんじゃない。
臨機の計画変更、独断専行はありうる。
もちろんそれで失敗したら責任重大だが。 正気にてはビルマ防衛は成らず。
ウ号作戦はシグルイなり。 >>249
ワーテルロー会戦の話しに例えるならば、問題はディマプールへの進撃ではなく、
インパールへの戦闘加入の是非の話しになると思うのだが?
31師団の任務はインパールへの英軍の増援の遮断にあるのだから、
コヒマ周辺での防御は当然の行動だと思う。 また、グルーシーはプロイセン軍の捕捉撃滅もできず、
ワーテルローへの合流阻止もできず、
自軍はワーテルローへの戦闘加入もできず、
というところが問題視されているのだが、
31師団は英軍の増援阻止という任務は果たしているのだから了とすべきだと考える。 佐藤は連合軍がもっとも頼りにした将軍
■第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』
日本軍指揮官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残置し、
師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝くことであった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
日本軍第三十一師団長佐藤陸軍中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
彼はコヒマを取って陣地を構築するよう命令されていた。
彼の頑固な頭はコヒマを取るという一つの考えで一杯であった。
全然コニマを取らずに彼が我々に大きい損害を与えられるとは
彼は思い及ばなかった。
少数の牽制部隊を残し、ニチェガードのウォーレン旅団の東方まで
道路によって前進した彼は、4月5日までに彼の師団の主力を持って
鉄道を攻撃できた。
しかし彼は全然洞察力を持たなかったので、彼の部隊が到着したとき彼はこれを
コヒマの小さな町の連続する 攻撃に投じた。
私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価
した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず
そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。
不幸にも当時私はこのことが与えられることも、あるいは非常な心配から
救われるべきことも知らなかった。
後になってそれが明らかになったとき、佐藤司令部への航空攻撃を計画している
熱心な英空軍の幾人かの将校を見出したことがあった。
彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人として考えていたので、
彼らにその計画を放棄すべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。 >>253
>彼はコヒマを取って陣地を構築するよう命令されていた。
>彼の頑固な頭はコヒマを取るという一つの考えで一杯であった。
命令だし作戦計画どおりだからそれでいいと思うんだがね土足君w
>全然コニマを取らずに彼が我々に大きい損害を与えられるとは
>彼は思い及ばなかった。
それは及ばないだろうね。そういう情報ではあれば話しは別だけどね。
そういう情報は31師団にもたらされたのかな?w 鬼畜無茶口は、周りと喧嘩しまくってて
作戦に反対したから、ということで飛行師団との連絡も絶ってしまったので
配下の師団長達は、こっそり(本来の軍指揮系統からすれば問題だし)航空支援を頼まないといけない窮状だったそうだね
そもそもインパール作戦の目的自体、インドまで侵略、なんて非現実な妄想のためじゃなくて
来るであろう連合軍の反撃の力を、先手を打って削いでおくのが目的
が、牟田口にはそこらへんが全く伝わってなかった…と大本営参謀が回想しとるよ
もう滅茶苦茶ですがな >>254
>そもそもインパール作戦の目的自体、インドまで侵略、なんて非現実な妄想のためじゃなくて
>来るであろう連合軍の反撃の力を、先手を打って削いでおくのが目的
わるいがインパール作戦の目的は、そのような小さなものではない。
そもそもの大東亜戦争の根幹となる最重要作戦。
それはインド独立支援によって、世界じゅうに
アジア解放と日本の正当性を示すことで、世論の大きな流れを
我が方に取り込む目的がある。
アメリカ国民の継戦意志を削ぐことが最重要。
この作戦が失敗するようでは、もはや大東亜戦争に勝ち目は無いので
全ての作戦を中止して日本は降伏するしかない。、
もし日本が大東亜戦争を諦めてないならば
日本はこの作戦に全てをかけるしかない。 >>256
だったら1年早く、海軍と協力してやるべきだったな。
まだチャンドラ・ボースがドイツだけど。
インパール作戦は再精鋭の兵士と師団長にキチガイ3名揃えて成功率10%程度の大博打。
師団長3人が揃ってマトモで作戦に正当な懸念を表明してるのでは最初から見込み無い。
が、インパール作戦無しでイラワジ会戦とか制空権制海権奪われて平原で機甲部隊に走り回られて勝率0%。
どっちにしてもビルマ防衛は詰んでる。 やはり結論は山本五十六の暴走が
日本を大敗させた原因。
海軍にこのバカさえいなけりゃなw だったら、山本にビルマ方面軍を指揮させて、牟田口に一航戦でも指揮
させてみる架空小説でも書いてみてはどうか? >>258
そんなつまらん架空小説など無意味。
やはりアメリカを攻撃せず開戦して
どうなるかが一番おもしろい。
アメリカは当然、挑発して日本軍を太平洋戦線に
引きずり込もうとするだろうが
それに乗ったらバカだわなw >>256
二十一号作戦の亡霊ですな。
当時牟田口はヒラの師団長だったので、まともな判断をしてこの作戦に反対したものだ。
しかし軍団長に出世して何個師団かを動かせるようになると、皇帝になってしまったんだね。
足元で連合軍のビルマ奪還作戦が始まっているのに、方面軍ではそれには目をつぶり、貴重な戦力をインパールへ
行かせてしまった。
この軍団を直接ビルマ防衛に使っていれば、一方的な負け戦にならず終戦を迎えていただろう。 >>256
ビルマ方面軍ウ号作戦準備要綱にも15軍作戦計画骨子にもそんなことは書いていないよ、土足君w
それは君の妄想だ。 >>258
あいかわらず海軍や陸軍の組織について理解していないようだね、土足君w
五十六はだたの現場のTOPにすぎないんだがw 土足ってバカは何年も掛かって牟田口のカスを擁護してるけど、ネタは軍研別冊の大田本だけで説得力がない。もっと新たなネタを出せよ!ただ執念だけはたいした馬鹿だわ! 土足君は8年間だたひたすら念仏を唱え続けている。
8年間もw >>259
MIは2対2(米軍側:ヨークタウン、ホーネット、日本側:加賀、蒼龍)の空母喪失ぐらいで終わらせておけば、まだ評価も違ったろう >>261
ビルマ奪還作戦が始まってるからこそ、牟田口は
内線作戦、各個撃破を狙ってインパールに攻め込んだ。
アラカン、インパール、フーコン、雲南の4方向で最も効果有りそうなのがインパール。
発想としては、アスターテのラインハルトばりというか、
その元ネタの1796北イタリアや
1813-1814のナポレオンばりというか。
ビルマで黙って待ってたら4方向からくる数倍の兵力に潰されて終わり。
負けを長引かせるだけ。 >>267
黙って待つどころか、ビルマの実情はすでにカチカチ山の状態になっていた。
モールに師団規模の要塞を作られ要地を襲われても、高々2000人のゲリラ部隊が侵入という認識しかなく、
小兵力の逐次投入で次々負けを重ねた。
さらにインパールへの補給部隊の活動も攪乱され、初めからインパール作戦は不吉な雰囲気に包まれていた。
フーコンでも、敵は米支軍(米式装備の支那兵)の大軍とは知らず、深いジャングルを越えてやってくるのはグルカ兵
くらいだろうと踏んでいた。
兵力差でも装備でもただ者ではない敵とわかっても、方面軍は守備隊を叱咤激励、督戦一方で援軍は送らなかった。
敵を知らず、己を知らず。
ここにきて裸の王様、日本軍に戦局の一発逆転の機会はもうなかった。 >>267
この頃には英軍の反抗計画は、フーコン・雲南・アラカン・アマンダン島上陸。
だが兵力不足のためアマンダン島上陸と雲南は中止になり、残ったのは
アラカンとフーコンの2方面と、ウィンゲートの後方攪乱だけ。
だからインパールがなかったらビルマは終戦まで日本が保持していた可能性は高い。 >>269
「ビルマ方面軍は、シナ方面を支えるため、陸路のビルマルートは1944年いっぱい、その後も可能な限り遮断すべし。
日本は1945年末まで保たないので、休戦交渉に資するよう、ビルマ方面軍は可能な限り戦力を保持しつつ、
1945年いっぱいタイに進入されないよう
ビルマの広大な平原と河を盾に遅滞作戦すべし。」
という任務が与えられたのであれば、インパール作戦は不要で、フーコンと雲南に増援してたでしょうが。 >>270
補給を度外視した無謀な作戦を行う理由にはならんだろう。 >>267みたいなことは
言おうと思えば太平洋戦争の全ての方面で同じようなことが言える。
圧倒的な国力を持つ連合国を相手にしてるのだから。 >>271
無茶をするしか無い局面ではあるけどな、まあ無茶して無駄に散ったのは事実だが座して死を
待つよりはなんぼかマシ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています