ワッチョイ無 1 インパール作戦 [無断転載禁止]©2ch.net
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インパール作戦総合スレッドです
ワッチョイは御座いません 東インド植民地兵が弱兵だったのは開戦当初だけ
頼れるオヤジと呼ばれるようになるまで現場に足を運んで兵隊と意識の共有に努めてきた結果が
円筒陣地が実用に耐える作戦になった原因
(シンガポールレベルの士気なら円筒陣地を作っても兵隊が勝手に降伏するので機能しない)
仕掛けるならスリムによる再教育が済む前だったのですよ
コンクリートが固まる時間を与えてから突撃させた馬鹿は牟田口 あとは敵にブレンガンが普及していた、これが痛い
誰が使ってもそこそこ強いからな ●ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍はインパール作戦で勝利出来た。というのが連合軍の一致した見解
★アーサー・スウィンソン大尉(英第二師団参謀 ディマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
★スチルウェル中佐(米支軍・フーコン方面軍作戦主任・北部ビルマ担当)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
★アーサー・パーカー中佐の書簡(第四軍団参謀・インパール担当)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
★マウントバッテン大将の報告書(連合軍・東南アジア戦域軍・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」
★スリム中将(第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残、,師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
★ストップフォード中将(第33軍団司令官・ディマプール担当)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」 あまり語られないがインパール作戦の原型は勿論
西亜作戦。
1942年7月、陸軍は西亜作戦を、海軍はインド洋作戦を
同時に奏上している。
これはとうぜん独伊の北アフリカ戦線とスターリングラード作戦に
呼応してやろうという、当然やるべき作戦であり
このときこれを実施していたなら、日独伊は確実にWW2に勝利できたのは
間違いない。 インパール作戦をいくら検証しても
それは木を見て森を見ずだな。
そもそも大東亜戦争で日本が大失敗した原因は何だ?
だれがどう見ても、山本五十六の暴走が原因じゃないか。
こんな明らかな歴史を、日本人は未だに直視せず
誤魔化して真剣な歴史検証から逃げてきた。
いつまでもそでで済むわけが無い。 >>308
往生際が悪いね土足君w
これが日本軍の作戦計画なのだよ。よく見るように。まぁ理解できないかw
ビルマ方面軍ウ号作戦準備要綱
一、主作戦方面
(1) 第15軍は英軍の反攻に対し努めて主作戦方面の兵備を整頓したる後
重点を「チンドウィン」河西方地区に保持しつつ一般方向を「インパール」に
向け攻勢を執り
成るべく我に近き地帯に於いて一挙に英軍の捕捉撃滅を図り
爾後
国境付近所在の英軍を撃破したる後「インパール」付近の策源を覆滅す
(4) 雨季明迄に「チンドウィン」河西岸地区「カレワ」正面に広く強固なる反撃
拠点を形成し爾後の攻勢を有利ならしむると共に作戦準備期間に於ける支拠
たらしむ
(5) 「インパール」付近の策源覆滅後は主力を以って同地付近の要域を又有力なる
一部を以って「コヒマ」付近の要域を占拠し持久態勢を確保す
15軍作戦計画骨子
(三) 第31師団は主力を先ず「インドウ」「ウントウ」「ピンポン」「ピンレブ」の地区に集中す
ると共に一部を「タマンティ」「ホマリン」「パウンピン」等「チンドウィン」河に推進す
攻撃部署は主力を以って「ホマリン」及び同上流域地区に於いて「チンドウィン」河を渡河し
「レイシ」「フォートケアリ」を経て「コヒマ」に有力なる一部を以って「ホマリン」付近に於いて
「チンドウィン」河を渡河し「ウクルル」−「マラン」道に沿う地区を「コヒマ」に突進し同地の
要域を占領して「アッサム」方面より予想する英印軍の増援を阻止す
状況に依り一部を「インパール」に転進せしめ「インパール」会戦に参加せしむ
これにはディマプールのデの字も無い。ディマプールは第二目標でも無ければ
佐藤師団長がどうとかいう物でもないのである。 >>309
西亜作戦なんて具体的なものは何も無いよね、土足君w 日本軍がインドを落とせなかったのは
21号作戦の時なら負け癖が抜けてない土人の寄せ集めと戦えばよかったのに
わざわざ根性を叩き直す時間を与えた馬鹿牟田口が全部悪い >>301
すまん、認識に間違いがあった。インド師団はインド兵のみでなく混成部隊だね。
インパール戦ではだいたい各師団に1/3くらいイギリス兵がいたようだ。訂正しとく。 昨日は東京上空で普段見かけない多数の軍用機が目撃され
いよいよ戦争勃発が近いのではないかと
噂が流れていた。
おれもヘリの編隊を目撃して不思議に思った。
と思ったら観閲式だったのか
https://www.youtube.com/watch?v=RdcOn0muCI8
しかし何でマスコミはまったく報道しないんだろうか?
首都圏の人間は観閲式があるなんて、だれも知らない。
そこへいっきなり首都圏上空に大型輸送機が飛来し
ヘリの編隊が続いて飛んできて
その後、戦闘機の編隊まで飛んできたのでは、いったい何事か?
と思ってしまう。
観閲式は誰も知らないところでこっそりやらず
国民の前で堂々とやってもらいたい >>311
悪いが、こっちの内容は
歴史的貴重な永遠に不偏の一次資料である。
おまえごとき、ただの軍事ヲタのぶんざいの戯言とは
わけが違う。
天土と地の差がある。
しかもおまえは頭が悪いので
おれと真面目に論戦する能力も無い。
五十六信者はなんでこうも、おまえみたいな
バカしかいないのか?w >>315
そりゃ、予行なんて報道しないだろ。
本番は14日だよ。 >>311
作戦通すためにディマプールを削ったんだが、
全く結果論だがディマプールを入れとくべきだった。
絶望のなか、死中に活を見いだすのがインパール。
狂ってなければ成功しない。 戦史にかかれる「日本軍一個師団/歩兵団の攻撃」って、実は師団や歩兵団の隷下の一個連隊の攻撃だったりするんだよな
宮崎支隊もそんな感じで、少将率いる歩兵団に見せかけた実態のところ歩兵第58連隊だった
>>302とか、「二個師団が二個大隊に負かされたワロスwww」みたいな感じだけど、実態のところ戦力差はそう無かったのかもしれないぞ >>316
軍ヲタでないなら君は何なのかね?土足君w 英軍の歩兵旅団
歩兵大隊X3 2または3インチ迫撃砲X24門
重火器大隊 機関銃×36丁 4.2インチ迫撃砲X4門
師団砲兵X72門
日本軍第15師団(インパール作戦時)
連隊 連隊砲X1門
歩兵大隊X3 機関銃X2 大隊砲X1
師団砲兵×10門
日本軍第31師団インパール作戦時)
連隊 連隊砲X1門
歩兵大隊X3 機関銃X4 大隊砲X2
師団砲兵×17門
英軍は機関銃や迫撃砲の火力で日本軍の何倍なんだ?!
というくらいの火力の差!!
師団砲兵を加えるとどうしようもない格差!!
日本軍は砲兵弾薬が乏しいので、1門あたりの携行砲弾も150−200発
1回本格的に戦闘したら弾切れ!!
一方英軍は1個中隊8門で1日3000発発射という恐ろしい火力。
本当にどうしようもないのだ。 やばいな、師団砲兵だけでドイツ軍の2倍…
しかも高性能な25ポンド野砲か?
教養人が不足していたであろうインド人に使えたんだろうか
勝負にならんな >>321
日本軍歩兵は迫撃砲で近接火力だけは互角だったのでは?
砲弾あればだけど。 第15師団はビルマ転戦前にかなり装備置いてきてる
編成も変わってるんだろう
野砲兵連隊なのに野砲を全て置いてきて代わりに寄せ集めた山砲で穴埋めしてた >>323
日本軍には迫撃砲は配属されなかったはず。
58連隊は鹵獲迫撃砲はありましたが、1-2回の戦闘で弾切れ。 >>324
しかも31年式という日露戦争時の砲(愕然 >>318
どのみち58連隊がサンジャック攻撃を始めた時点でディマプール進撃の目はないのだけれどね。 そもそも一個砲兵中隊って日本やドイツ、北朝鮮などは4門、アメリカやフランスは6門だったが
一個中隊8門というのは寡聞にして聞いたことがないぞ
一個師団あたり72門なら3個師団で沖縄戦の日本軍にも匹敵し得る筈だが
そんな重編成の師団をあんな地形に持っていけるのか? インパール作戦で戦ったインド師団ごときに負けるようでは
軍人を辞めるべきだな。
あんなのに負ける様では、勝てる相手が無い。
しかも奇襲は大成功したのだから
インパールの敵は3週間で粉砕しインパールを攻略なんぞ
やれて当たり前。
失敗することのほうが難しいし考えられない。
普通にやって負けるなんてことは、ありえんわw じゃあ3個師団全員解雇しろよw
武器の差で完敗しているんだからむしろ負けて当然の結果なんだがね もし宮崎が33師団で先陣の連隊を指揮していれば
シンゲルで得た武器でそのまま一気に突撃して
1個連隊で2週間でインパール攻略なんぞ終了していたと思う。
だれが指揮するかで結果は天と地の差がある。 敵から奪った武器のそのまた何倍もの武器とその予備兵力がなお控えていたってのは少しでも考えれば分かる事なんだがねぇ… >>332
★スチルウェル中佐(米支軍・フーコン方面軍作戦主任・北部ビルマ担当)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」 現にインパールで指揮していたジファード大将が
インパールから撤退して逃げる相談を
してるじゃないか。
日本は決定的に勝てる情況にあった何よりの証拠 >>309
つまり、どっちも失敗した時点でインパール作戦は無意味で牟田口はただの気違い >寡聞にして聞いたことがない
馬から落ちて落馬の類だナw >>319
実質兵力が少ないなら尚更、
英軍による想定の範囲内の襲撃なんで、壁に卵を投げつけるレベルの愚行じゃん。
しかも、それに必要な分の補給も届けられないって超絶無能牟田口伝説に新たな一ベージが(笑) >>337
コヒマに1個師団やってくるのは想定の範囲外だろう。 >>334
そいつの上司と筆者には虚仮威しと見抜かれてて駄目だしされてたのでアウト(笑)
内部の意見の相違で言うなら部下相手の図上演習さえマトモに出来ないムッチーの勝算の方が皆無(笑)
いや、そこでディマプール突貫をプレイして見せれば佐藤の選択肢に入ったかも知れないのに。 >>338
連隊レベルの火力しか持たせて無いんだから
虚仮威しがバレたら連隊でしかない。 ジイちゃん、虚仮威なんて言葉、オレら中年にはわからないわwww >>341
やだなーそんな馬鹿に「当時翻訳された」本が読める訳ないじゃんw
つまり、議論について行けないって自白しちゃったんだからさっさと退場してねw ●ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍はインパール作戦で勝利出来た。というのが連合軍の一致した見解
★アーサー・スウィンソン大尉(英第二師団参謀 ディマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。
★スチルウェル中佐(米支軍・フーコン方面軍作戦主任・北部ビルマ担当)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」
★アーサー・パーカー中佐の書簡(第四軍団参謀・インパール担当)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」
★マウントバッテン大将の報告書(連合軍・東南アジア戦域軍・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」
★スリム中将(第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残、,師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
★ストップフォード中将(第33軍団司令官・ディマプール担当)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」 成功はしたが徒労に終わった南方打通における過剰布陣から
少しでも多くの兵力をビルマ方面にシフトして
兵力を4進路12万で作戦していれば
ディマプール攻略は現実となっていたことを勘案すれば
作戦骨子からディマプールの字を消したというのは本当にまずかった >>344
そうなんだよなあ。
インパール作戦は常軌を逸したキチガイ作戦だが、
ビルマ方面軍の日本軍師団は、世界戦史上最強の歩兵部隊で、
キチガイ作戦を成功する一歩手前まで持って行ってしまった。
あと1〜2個師団後詰めで第二梯団にできれば、1個師団壊滅と引き換えに
英軍の反攻準備を破砕できたかもしれない。 インパール作戦は、あと一歩で成功していた作戦だった。
これはもう疑う余地が無い。
しかしそんな事はどうでもいい事。
1942年になぜ西亜作戦をやらなかったのか?
これが最大の問題。
やっていれば勝てていた。
戦犯は牟田口なのか、山本五十六なのか
ここが最大のポイント。
まあ答えは考えるまでも無いがw >>346
ムッチーが21号作戦を蹴ったのが悪い。
例え敵中で全滅同然にされようと突っ込むべき時が有ると佐藤を避難する資格はこの時点でムッチーには存在しないからな(笑) >>328
>一個中隊8門というのは寡聞にして聞いたことがないぞ
英軍の8門バッテリーはなんかの本に書いてあったと思う。すぐには思い出せないくてスマン。
>そんな重編成の師団をあんな地形に持っていけるのか?
72門とはいってもその運用は1コ大隊に1コ中隊(8門)を配属する形にするから
砲兵連隊がそろって行動するわけではないよ。 例えば佐藤が全滅覚悟で前進して他の部隊も後退考えずに突進して最終的にインパールを占領出来てたとする
で補給は?
結局アラカン山系を超えて補給する能力が日本軍にはない
3個師団分の空中給油なんか当時のビルマ派遣軍には100%無理
結果的には英軍の反撃で壊滅してたのは明白
俺は牟田口が悪いというよりこれを認可した上級司令部や陸軍参謀本部が悪いと思うよ
少なくとも牟田口は勝手にインパール作戦開始したわけではなく許可された正式な作戦だからね >>349
>俺は牟田口が悪いというよりこれを認可した上級司令部や陸軍参謀本部が悪いと思うよ
>少なくとも牟田口は勝手にインパール作戦開始したわけではなく許可された正式な作戦だからね
西欧ならごもっともな話しだがなんせ下克上上等の日本軍ですからね。
牟田口が作戦を認可されるためにいろいろと手を尽くしたのは巷間知られているところです。
牟田口が攻勢を言い出す前は方面軍でも南方軍でも攻勢を考えてなかった。
必要のない攻勢を出世のために牟田口が言い出したわけです。まぁかなり言葉が巧みなんですよ。
上官の琴線に触れるのがうまいというか。
しかも6月には失敗を自覚していながら、河辺に言い出せず、
「顔色で」とか「河辺司令官から言われれば」とか言い出す始末。 >>329
>インパール作戦で戦ったインド師団ごときに負けるようでは
>軍人を辞めるべきだな。
>あんなのに負ける様では、勝てる相手が無い。
ビルマではもっと弱かったインド師団を逃がしてしまった
牟田口のことを言っているのかね?土足君w
>しかも奇襲は大成功したのだから
>インパールの敵は3週間で粉砕しインパールを攻略なんぞ
>やれて当たり前。
>失敗することのほうが難しいし考えられない。
>普通にやって負けるなんてことは、ありえんわw
君の言う普通にやってというのはどういう戦闘ことかね? >>331
>もし宮崎が33師団で先陣の連隊を指揮していれば
>シンゲルで得た武器でそのまま一気に突撃して
> 1個連隊で2週間でインパール攻略なんぞ終了していたと思う。
一気に突撃ってシンゲルからインパールまで突撃するのかね?
突撃隊形でかねw
>だれが指揮するかで結果は天と地の差がある。
宮崎さんはサンジャックみたい他の師団戦区に行ってしまうのでは?(ジョーク >>343
いや、師団は作戦計画にしたがって任務を遂行しているのだよ、土足君w
ビルマ方面軍ウ号作戦準備要綱
一、主作戦方面
(1) 第15軍は英軍の反攻に対し努めて主作戦方面の兵備を整頓したる後
重点を「チンドウィン」河西方地区に保持しつつ一般方向を「インパール」に
向け攻勢を執り
成るべく我に近き地帯に於いて一挙に英軍の捕捉撃滅を図り
爾後
国境付近所在の英軍を撃破したる後「インパール」付近の策源を覆滅す
(4) 雨季明迄に「チンドウィン」河西岸地区「カレワ」正面に広く強固なる反撃
拠点を形成し爾後の攻勢を有利ならしむると共に作戦準備期間に於ける支拠
たらしむ
(5) 「インパール」付近の策源覆滅後は主力を以って同地付近の要域を又有力なる
一部を以って「コヒマ」付近の要域を占拠し持久態勢を確保す
15軍作戦計画骨子
(三) 第31師団は主力を先ず「インドウ」「ウントウ」「ピンポン」「ピンレブ」の地区に集中す
ると共に一部を「タマンティ」「ホマリン」「パウンピン」等「チンドウィン」河に推進す
攻撃部署は主力を以って「ホマリン」及び同上流域地区に於いて「チンドウィン」河を渡河し
「レイシ」「フォートケアリ」を経て「コヒマ」に有力なる一部を以って「ホマリン」付近に於いて
「チンドウィン」河を渡河し「ウクルル」−「マラン」道に沿う地区を
「コヒマ」に突進し同地の要域を占領して「アッサム」方面より予想する
英印軍の増援を阻止す ←これ重要、師団の任務の核ですから。
状況に依り一部を「インパール」に転進せしめ「インパール」会戦に参加せしむ >西欧ならごもっともな話しだがなんせ下克上上等の日本軍ですからね。
>牟田口が作戦を認可されるためにいろいろと手を尽くしたのは巷間知られているところです。
頭悪いから連投してるんだろうけどよ
手を尽くそうがそれを認可した上級司令部が悪いんだよ
お前みたいに社会に出たことない奴に何言っても時間の無駄だけどな >>354
いや、インパール作戦までの流れを見ての話しなんだが?
南方軍、方面軍、上級組織にも責任の一端はあるが、
「現場が出来る」と強く主張しているわけだがらね。
また南方軍、方面軍ともに作戦をもっと堅実にするとう指導もしているね。
それを無視したのが牟田口なんだよね。 >>354
だったらムッチーを21号作戦ですり潰せば損害は全滅でも2個師団で済むw
命令拒否で予備役とか銃殺とかなら最高ですけどね
で、常識人たちが敵前で挑発ダンス踊って
馬鹿ムッチーみたいに無駄に居座らずに足元の明るいうちに帰れば
21号作戦はインパールよりマシな結果になるのは疑いようもないw
そもそもムッチーは大隊さえまともに管理できない能無し故、佐藤の靴でも磨かぜときゃ良かったのに
下らない年功序列のせいでこんなバカに3個師団も預けた陸助には恩給を受け取る資格なんか無い(もう兵卒かペーペーの尉官しか残ってないんだから勘弁してやれ) >>349
そうだよね。他にもインパール、コヒマ、ディマプールのあるナガランド州は、
インドでは例外的に殆どの住民がキリスト教徒なんで占領後の住民の協力がえられるかも疑問だな。 インパール作戦の批判本は中身はみな、お決まりのほぼ同じ内容ですが、
定説化されたそれらは事実を歪曲しておりデタラメです。
1ヶ月程度でインパールを攻略するというこの作戦は、
さほど無謀な作戦ではなく、また作戦計画(補給を含めて)も十分に練られたものであり、
予定通りに普通に作戦を遂行していれば難なく成功していた作戦です。
このことは連合軍の司令官、参謀など当時の関係者の多くがそのような
見解の記録を残しており、日本での定説、評価とはまったく異なります。
連合軍側の見解では、師団を指揮した師団長(特に31師・佐藤、33師・柳田)らが
あまりにも消極的で進行を遅くさせ、そのために日本軍は勝てた作戦で負けに転じた
(わざと勝たせたとも)と評してます。
これは多数の連合軍関係者が同じ見解です。英国公刊戦史にも記載されてます。
その他にもインパール作戦では定説化された嘘が多数あります。
●補給を無視した、補給をしなかった、険しい道なき道を進行したという定説の嘘
補給が無かったのは参加した三個師団のうち、31佐藤師団だけです。
他の2個師団には補給されてます。
また33師団は連合軍の物資集積拠点をほぼ無血で確保し有り余る物資(武器、弾薬、車両、燃料、食料)
を得ており、もし補給なしでも物資を持て余しています。
(シンゲルで師団2か月分の物資を確保したとの記録があります)
15軍の作戦計画である期間の1ヶ月程度、長くても2ヶ月程度では補給はまったく問題ないです。
(作戦が延長され4ヶ月にも及んだのは、参謀本部、南方軍の判断で牟田口の判断ではありません) 補給が無かったのは31師・佐藤師団だけです。
しかしこの部隊は敵の背後へ回り込むという、日本軍がもっとも得意とした迂回、浸透戦術の部隊です。
こういった特殊な任務の部隊は、普通、作戦が終了するまで補給が無いのは当たり前です。
佐藤師団長も、そんなことは百も承知だったはずです。
実際に15軍の想定した1ヶ月は物資に何の問題もありませんし、
2ヶ月間は問題無かったわけですから、補給が尽きた責任は15軍・牟田口の責任ではありません。
作戦延長の判断は参謀本部によるものです。
(参謀本部の判断は中国からB29で日本本土を空爆するという連合軍のマッターホルン作戦を阻止すべく発令された
大陸打通作戦との兼ね合いから、ビルマに米支軍を引き付ける意味でインパール作戦がさらに重要となったため)
(またチャンドラボースも作戦中止に猛反対したため、日本軍のインパール作戦中止の判断が遅れました)
進行経路は険しい山岳地帯の道なき道を進行した、という話も嘘です。実際には道路が完備されています。
33師団、15師団の進行経路は全てトラックが通れる道路が整備されてますし、
もっとも険しいとされた佐藤31師団の進行経路でさえも、実は連合軍側によってジープ道が整備されており
それを利用し道なき道では無かったことが判明してます。
牟田口15軍はそれらを綿密に調査した上で作戦を立てています。
●参謀ら皆が無謀だと反対していたという嘘。
参謀らが反対したのは、以前の計画のウ号作戦です。
これはインド、アッサム州を攻略するという作戦であって、
それより遥か手前のインパールを攻略するインパール作戦とはぜんぜん別物です。
話がスリ変えられています。 ●白骨街道の嘘
撤退時に飢餓で苦しんだのは15師団(山内師団)だけです。
31師団(佐藤師団)と33師団は飢餓に苦しんでいません。
また餓死者が多数という話も嘘です。
飢餓に苦しんだ15師団でも、餓死という記録はまったくありません。
負傷兵が撤退をあきらめて自決したのがほとんどです。
撤退時に飢餓で苦しんだのは15師団の特に60連隊(松村連隊)だけです。
しかしこの白骨街道の話の当事者である60連隊の公式連隊記録(二つの河の戦い)は驚くべき内容です。
60連隊が悲惨な撤退を強いられた原因は、佐藤師団の抗命、無断撤退が原因であるとして、
佐藤師団を激しく非難した内容です。牟田口に対する批判は一つもありません。
60連隊が飢餓で苦しむ2ヶ月の撤退を強いられた要因は(白骨街道となった)
佐藤師団(烈師団)の無通告撤退、撤退時に集積所の食料を強奪したためだと明確に書かれ、
31師、烈師団を「劣師団」だと激しく非難しています。
インパール作戦の資料として日本で最も価値のある一次資料は
この60連隊の公式連隊記録(二つの河の戦い)で間違いありません。
連合軍側の資料では、スリム中将の「敗北から勝利へ」です。
全てのインパール作戦本は、この二つの資料をソースとして書かれているはずです。
奇しくも両資料とも、佐藤師団に対する激しい批判が共通しています。そこに重点が置かれています。
牟田口15軍に対する批判はまったくありません。
しかしどの書籍にも、この肝心要の両資料の一番言いたかったことが作為的に削除、改ざんされてきました。
(スリム中将の佐藤批判を、牟田口批判であるかのように改ざんされてます)
他にも定説化されたインパール作戦批判は、事実の歪曲が多数あり突っ込みどころが満載です。
とても書ききれません。
なおこれらの貴重な情報は歯科医師、軍事研究家であった故・大田 嘉弘氏の功績です。
氏が始めてその全貌を書籍で明らかにしました。 インパール作戦は国家方針「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」に沿った戦いです。
海軍の暴走によって時期は遅れ、規模を縮小し陸軍単独作戦となってしまいましたが、
太平洋戦線の劣勢な状況を海軍側から知らされて無い東条首相が
この作戦を支持したのは当然の流れといえます。
当初予定した独伊と連携したインド、中東方面の作戦を西亜作戦と言います。
海軍ではインド洋作戦です。
大儀はビルマ、インド、イランの大英帝国からの独立支援です。
アジア独立を旗印にしたこの方面の作戦は、英軍に打撃を与えるだけでなく、
それ以上にソ連軍が窮地に追い込まれます。
スターリングラードの戦いで、補給の要衝であるペルシア回廊とバクー油田を
ソ連が失えば、独ソ戦の展開は大きく変わっていたでしょう。
ソ連軍は実は補給路が非常に限定されており、決定的な弱点がありました。
さらに日本軍が日本海を封鎖してシベリア鉄道の補給路を遮断すれば
ソ連軍の敗北はもはや決定的です。
ソ連が停戦を申し出た場合、単独講和を認めない連合軍の規定によって、
アメリカの戦争継続は不可能になりますので、戦争はこれで終結です。
アメリカ国民を刺激さえしなければ
大東亜戦争で日独伊が勝つのは、さほど難しくありません。
「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」のとおりに
やっていれば良かったのです。
こういった主張を始めて行ったのは故佐藤晃氏です。
ハワイを攻撃した山本五十六を愚将だと評し、
インパール作戦で陸軍は勝てたという、その衝撃的な内容は、
当時はトンデモ本扱いされていましたが
徐々に認められ、今では保守派ではこの主張が完全に支持されています。 要するに日本が大東亜戦争で勝つためには
ドイツのスターリングラードの戦いに合わせて
インパール作戦のようなインド方面の作戦をやり
海軍はインド洋作戦を実施し、ペルシア回廊の遮断、ドイツはバクー油田の攻略
政略としてビルマ、インド、イランなどアジアの独立支援
さらには日本海の封鎖によりシベリア鉄道のソ連軍補給路の遮断。
これだけやってれば日本は勝てたのです。
これは当時の日本の主導者も、ちゃんとそれを理解してましたし
現に「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」でもそうなってます。(対ソ宣戦布告を除いて)
単独講和の禁止規定によって、ソ連またはイギリスの脱落でWW2は停戦に持ち込めます。
当然こういった日本側の意図をチャーチルもルーズベルトも
百も承知で、連合軍側は相当な危機感があったと思います。
連合軍側は負けることも想定していたと思います。
そこで米軍が打った手は、ドーリットル空襲とガダルカナル攻略です。
この作戦は米軍にとって戦略的な意味がまったく無く多大な犠牲を覚悟した
バカな作戦で、軍から相当な猛反対されたと思うます。
しかしルーズベルトは、迷うことなくこの大博打作戦を早期に打ってきました。
そして結果は、連合軍の思惑通り大成功しました。
日本の海軍は愚かにもこの餌に反応し、全軍でこの太平洋の陽動作戦に食いついてしまいました。 ということで戦後の日本人は、全てをわかったような態度で
特に陸軍や東条らに対し、バカだアホだと安易に批判しますが
ほんとうに当時の状況や戦略を理解してるとは到底思えません。
むしろ陸軍のほうこそが正しい認識でした。
アジア独立を旗印に、敵の補給路を寸断し
連合国の国民の戦争支持、継戦意思をそぐと。
その通りです。
連合軍は単独講和が出来ないという重大な事項が見落とされています
連合軍のどこの国が停戦したがるか、考えればわかるはずです。
アメリカとひたすら消耗戦では日本の負けは確実です。
中国軍は何十個もの師団を擁する大軍ですが
その補給路は、たった1本のインドアッサム鉄道という
ローカル鉄道が唯一の命綱です。
これは中国軍の決定的な弱点ですから牟田口でなくとも
その中国軍のアキレス腱であるアッサム鉄道を切りに行くべきだと
考えたのは当然です。
インパール作戦は補給を軽視した作戦というより、
むしろ広い意味で補給を理解した作戦とも言えます。
東条や参謀本部、牟田口らがインパール作戦を推したのは
当時としては、当然の結論です。
インパール作戦に反対した、海軍の支持者、マスコミの対米決戦派のほうこそが
間違った認識、妄想をしていました。 明日は観閲式
首都圏上空にF35戦闘機他
多数の軍用機が飛来します。
厳戒態勢になります。
首都圏のみなさん、
マスコミが報道しないので知らないでしょうが
戦争が勃発したと勘違いしないでくださいw 【サリンで死刑なら、放射能も死刑】 福島県ぐるみでインチキ米検査、南相馬市立総合病院のデータ流出
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1539395396/l50
無差別テロの容疑で自民党議員を逮捕せよ! >たった1本のインドアッサム鉄道というローカル鉄道が唯一の命綱です。
最近ダイエットにうるさいのがお気に入りなんだよローカル線 >>360
>なおこれらの貴重な情報は歯科医師、軍事研究家であった故・大田 嘉弘氏の功績です。
>氏が始めてその全貌を書籍で明らかにしました。
歯科医師なんですな、土足君w
たしかその著書でドイツ空軍のスツーカみたいに第31師団を近接航空支援しろ、
みたいな事を書いてしまうド素人ですがw >>368
どこが素人なのか
意味不明だが?
お前の書き込みは常に
中途半端、尻切れトンボ、結論不明 >>369
p294に
「なにより重要なことは、第31師団に欠けた砲兵力の代わりを、地上直協の空軍が行うこと
ができることにある。あたかも、ドイツ機甲師団の砲兵の替わりを急降下爆撃機が
つとめたように」
とド素人まるだしの記述のしているのだよ、土足君w >>370
何がどう素人なのか具体的に書いてくれ。
そうでなければ、論戦にならないだが? 少ない機数だと爆撃をどう引き伸ばしたって限界があるじゃん
砲兵みたいに味方が前進中に継続した射撃で敵兵の頭を下げさせられない >>372
べつに砲兵と航空攻撃が同じだとは書いて無いだろ。
砲兵が十分進出できないような地域では航空機がそれに代わって
支援するなんてことは普通だと思うが? >>373
いやそれじゃ砲兵の代わりが務まったという事にはならないだろ
「砲兵の代わりに支援する」と「砲兵の役が務まる」はごっちゃにしたらいかんでしょ そもそも日本陸軍にCAS出来るような航空機と前線部隊との無線連絡手段なんかないしな
ビルマ方面軍が動かせる襲撃機がそもそも何機あったんだか
制空権は英軍が握ってるし >>375
だれのせいでビルマの航空兵力が弱体化したんだ?
海軍のせいだろが >>371
土足君は論戦なんてする気はないだろw
まぁいい。
まず本家のドイツ空軍のスツーカは近接航空支援のために戦前から訓練していた。
一方、日本の陸軍航空は飛行場攻撃が主眼で近接航空支援は想定されていない。
そして、一線の地上部隊には空軍の幹部が攻撃目標を航空機に指示するために
派遣されていて、彼らが乗る車両には強力な通信機が装備されていた。
当然ながら通信連絡系統も事前に調整されている。
日本陸軍はそんなことはやったこともない。
それを突然やれ、といわれてもできるわけがないんだよ、土足君w
またそれを平気で書いてしまうド素人丸出しの歯科医さんにもあきれるw >>378
陸戦史集には、33師・柳田師団長のトンザン、トイトムでの作戦指導に対する批判の中で
航空部隊の直接支援を要請すべきだと指摘がある。
実際に3月25日に、遅すぎだが
わずかな航空機が短時間だけ支援に来ている。
大田インパール P182 P300 インパールの頃は敵の制空戦というか飛行場爆撃を避けるために
航続距離ギリギリの後方配備してたんでは。
一式戦の機銃掃射とか散発的な近接航空支援は可能だったろうが…
英軍輸送機の離発着スケジュールを抑えて輸送機を叩く方がいいような。
それも難しいか。 33師団がシンゲル、トイトムを確保したのは3月15日。
そこからインパールまではガラ空き状態で
1週間でインパールまで突撃できたじゃないか。
しかし33師団の総攻撃は、それから2ヶ月も後の5月
ビシェンプールで敵が強固な防衛陣地を構築するのを待って
そこへ総攻撃している。
バカじゃないか。
当然のごとく撃退された。
33師団は2ヶ月もの間、なにやってたんだ?
つー話だろ。 >>379
陸戦史集インパール作戦上巻 P190 の
>航空部隊の直接支援を要請すべきだと指摘がある。 と
大田本の p294にに書いてある
>あたかも、ドイツ機甲師団の砲兵の替わりを急降下爆撃機が つとめたように」
は、似てはいるが即時性と目標指示の方法に違いがある。
「ドイツ機甲師団の砲兵の替わりを急降下爆撃機が つとめたように」
するのは一般的には近接航空支援と呼ばれ現場の空軍士官が
直接上空にいる航空機に一線部隊に依頼された目標を攻撃する。
一方、陸戦史集の言う
>航空部隊の直接支援を要請すべきだと指摘がある。
は師団司令部→軍司令部→ビルマ方面軍→南方軍→第三航空航空軍→第5飛行師団
の指揮系統をたどって要請をする必要がある。
つ実際、3月24日のトンザン攻撃が失敗してから要請して、飛行師団から強力する
旨の電報があったのは25日だった。
つまり、ドイツ軍は機甲部隊の機動戦についていける直接支援なのであり、
陣地戦しか直接支援できない日本軍の直接支援とは意味合いが異なるのである。
違いがわかったかな?土足君w >>382
でも最後に欲しかったのは陣地戦やからええやん。 >>383
そんなもんかねぇ(苦笑
機動戦も陣地戦も近接航空支援もただの対地攻撃も区別が付かない人間が
ウソを書き散らしているんだよ。 >>381
>33師団がシンゲル、トイトムを確保したのは3月15日。
ついにウソまでついてしまうのか土足君w
まぁ藤原と同じでウソでもつかないと33師団に責任を転嫁できないからね。
シンゲルの確保は26日だよ。
>そこからインパールまではガラ空き状態で
> 1週間でインパールまで突撃できたじゃないか。
それは君の想像だよ。215連隊を攻撃した英軍の37旅団と戦車連隊が居るはずなんだが?
> 33師団は2ヶ月もの間、なにやってたんだ?
>つー話だろ。
そうだな。27日から再編制を開始して、3月28日、215連隊第一大隊、シンゲル付近を出発
3月28日、215連隊第二大隊、3299高地付近を出発
3月29日、215連隊第三大隊、サウカン東方高地を出発
4月10日、215連隊主力、ライマナイに到着、追撃終了
14日でシンゲルーライマナイ間、『直線距離』で100kmを越える
距離を踏破。
極めて迅速な前進であった。
統制前進は藤原のウソだよ。 >>384
日本軍のやり方だと、
敵陣地攻撃要請→写真撮影か地図準備→爆撃目標指定→攻撃日時決定→爆撃実施
になっちゃうかね。
そういうまどろっこしいのは近接航空支援ではないなあ。
日本軍に一番必要だったのは小型無線機かも。 要するに21号作戦をムッチーが拒否した時点で首にしてでも実行しないと日独連携による勝算は消えてなくなる。
やっぱりムッチーが悪い。 >>386
と、言うか重爆投入に必要な制空権が無いのに突っ込めと言うなら
ムッチーが味方を置き去りにして逃げるのに使う司偵で
百式機関銃と手投げ弾身体中に括り着けたムッチーをインパールに落とせば勝手にスリムの首でも取るんじゃね? >>385
>シンゲルの確保は26日だよ。
15軍司令部が33師団から「シンゲルで師団2ヵ月分の物資を確保」
との報告を受けたのは3月14日だが? (P167)
英印軍は最重要拠点であるシンゲルに、なんと正規軍をまったく配備しておらず
警備員しかいない状態で大失態。
このときシンゲルからインパールはガラ空きで正規の軍は配備されてない。
どんなに遅くとも3月中にインパールに突入きる。
それを5月にビシェンプールで総攻撃とか
まったく話がおかしいわ。
33師団は始めから、全くやる気が無い。 >>387
牟田口には21号作戦を拒否する権限なんぞ無い。
無期限延期となったのは、山本五十六のバカが
ガダルカナル、ニューギニアで敵の思惑通り
愚かにも消耗戦を開始したため
日本の方針は、これですべて狂わされた >>382
そもそもドイツの電撃戦と同じだとは
大田は一言も書いてない。
しかし補給など考えずに、一気に進撃して
敵の意表をついて攻略を完了するという考え方は
同じだな。
こういった短期決戦では航空攻撃が有効だという点も同じ。
補給がどうとか言ってる時点でバカ その時インド17軽師団はどこで何してたのか?
それを受けてインド23師団はどこへ行ったのか? >>393
17師団は3月14日にティディムからトンザン、トイトム方面に向けて撤退を開始している。
しかしその時すでに33師団はトイトム、シンゲルを確保している。
20師団はバレル、23師団はサンジャックだろ。 >>394
それだけ?
インド17軽師団は補給デポ取られた後、引き返して逆襲開始
33師は迂回して包囲するが、17軽師は壊滅的被害受けながらも空中補給受けながら粘ったとか
お前の頭の中じゃ無人になってんのなw >>395
インド17師団はトイトムでもシンゲルでも日本軍が引いたため
殆ど反撃を受けず素通りしインパールに戻った
そしてオンパールで大慌てで迎撃体制を構築して待ち構えた。
しかし待っても待っても柳田の師団はインパールに来ない。
そこで17師団は再び前進してビシェンプールに強固な陣地を構築した >>391
南太平洋は無関係だな、手持ちの2個師団が前に出るだけだからw
その時点でムッチーがインパール作戦で佐藤に要求した通りの事を自分でやって見せるだけで
印度人の蜂起と英軍の自滅は明らかだ(ドイツが欧州で本国を締め上げてて補充も不十分インド人部隊の負け癖が抜ける前 完璧である) トイトムもシンゲルも敵を見下ろす絶好の自然の要害にあり
ここで敵に抜かれるなんて、ありえんわな。
敵は戦車部隊じゃあるまいし、大量の家畜を伴う
たかだかインド軽師団。
こっちはシンゲルであり余る武器弾薬もある。
これだけ有利な条件が与えられて、それで負ける様では
世界中に勝てる相手は無い。 >>397
21号作戦は西亜作戦の一部で
2個師団だけでやるような作戦ではない。
陸海軍が総力でやるべき最も重大な天王山。
それを山本五十六のバカがぶち壊して日本はおわった >>396
マイルストーン109補給デポを巡っての戦闘続けられて3月25日には17軽師団が再占領
そして大部分の物資を持ち去るか破壊して26日に後退。
この戦闘では双方被害が大きく、33師は牟田口の督戦にも慎重にしか進めなかった。
イギリス側唯一の予備兵力といえたインド23師団は17軽師団の支援に派遣され、
インパールに戻るのは4月4日 >>390
> 15軍司令部が33師団から「シンゲルで師団2ヵ月分の物資を確保」
>との報告を受けたのは3月14日だが? (P167)
その後取り返されたことは大田本にも書いてあるよ、土足君w
>英印軍は最重要拠点であるシンゲルに、なんと正規軍をまったく配備しておら>ず
>警備員しかいない状態で大失態。
>このときシンゲルからインパールはガラ空きで正規の軍は配備されてない。
>どんなに遅くとも3月中にインパールに突入きる。
それは君の妄想だよ土足君w
実際には英23師団が展開している。
>それを5月にビシェンプールで総攻撃とか
>まったく話がおかしいわ。
> 33師団は始めから、全くやる気が無い。
ジャングルの間道を連隊で移動しているのだから、
仕方が無いではないか?
君ならジャングルを1日何キロ移動できるんだい? >>392
では
>あたかも、ドイツ機甲師団の砲兵の替わりを急降下爆撃機が つとめたように
限定した例えはなんなんだね?土足君w
そしてそれは平時からのシステム構築と訓練がないとできないわけなんだが? 東部ニューギニアへ送られた兵力は15万
ざっと10個師団に相当する。
まったく無駄だった。
これをインド、中東方面に投入する。
これで負けるわけが無い。 >>396
どのみち、英軍は機械力、人力、資材を豊富にもっているので
1日で強固な陣地は作れるんだよ、土足君w >>398
高地が絶対的に有利なんて何時代の話をしているのかね?土足君w
もう航空機があるのだよw ということで33師団のインパール突入は
最短で3月23日
多少の敵に遭遇しても3月中には突入できる
他の師団も同様、3月中に完了すべき作戦。
この程度で無茶な計画なんていうなら
日本には無茶な計画しかなくなるわな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています