佐藤師団長の問題はディマプール追撃命令に従ったかどうかではなく(時期的に遅い)
それ以前の問題。
進軍があまりのも遅く肝心な所で停止している。

31師団主力の2個大隊は、一気に進めば遅くとも3月中にコヒマに到達していたはず。
この時コヒマもディマプールも、正規軍が配備されておらず陣地すら満足にない
まったくの無警戒同様の状態だったと言う事。

佐藤師団長は始めから作戦が中止になると見込んで、そうした指揮をしていたということ。
これは中央からそういう政治的な水面下の動きがあったと思われる。
もし佐藤が本気でやる気で指揮していれば
一気にディマプールまで突入できていただろうな。

結局は対米決戦と、インド独立支援の作戦と
どっちが重要なのか政治的に対立し、裏で策略だらけの状態だから
こんな状態でまともに作戦ができないのは当然。

結論はインパール作戦を妨害していた、海軍と対米決戦派が悪い。