ワッチョイ無 1 インパール作戦 [無断転載禁止]©2ch.net
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インパール作戦総合スレッドです
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`` ?---? 'い
https://twitter.com/ibuki_air
09058644384 補給もそうだけど、相変わらずの迂回浸透戦術ばっかりなのも問題だった。戦場の空間の広さも
あるが、太平洋では米軍相手に通用してない。 .:::::::;' 軍職に或る事30年、、今回ほど必勝の ';:::::::.
:::::::::i 信念が沸き起こる思いをしたことが無い… l::::::::.
::::::::::! イギリス軍は弱い必ず退却する i::::::::
::: 補給について心配することは誤りである :::
' ― ―‐ -- 」 L_:::::
元来日本人は草食である、然るに南方の  ̄ ̄ ̄
__,. -┐ 草木は全て…即ち之食料なのである
_ ,. -‐ '' ´ :::::::::', 天長節までインパールを攻略せよ r::- _
:::::::::'、 皇軍には天佑神助の奇跡が起こる /:::::::: ´` '
::::::::':、 ,.:':::::::
::::::::ヽ 雨季の到来は皇軍に /:::::::
::::::::丶 味方するものなり ,.::'::::::::::
::::/ ,:、 あくまで敢闘すべし _,..:'::::::::::
/ ,..':::::::> _|__ ... く::::::::::
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./ , ' \ 牟田口廉也 / `、 \ ■国賊・海軍・山本五十六の大罪(上 開戦まで)
@海軍軍縮条約から脱退
山本五十六の猿芝居交渉
A日中交渉を妨害するため大山事件を図る
中国都市無差別爆撃を強行、日中戦争を計画的に勃発、泥沼化させた。
B三国同盟に反対。その理由は
海軍は対米戦争準備によって予算拡大、南方兵力拡大を図るために
陸軍主導の北進論、対ソ戦を妨害することが狙いだった
C南部仏印進駐
対米交渉の進展を阻止することが目的で海軍が主導。
海軍側の豊田外相による猿芝居
D水面下で海軍と結託した野村大使による偽りの外交
真珠湾をだまし討ちを成功させるための猿芝居交渉 >>104
でも中国軍には連戦連勝、大陸打通作戦は日本人の誇り。 蒋介石の返事は12月9日カイロにいたルーズベルトに届いた−−
(1) カイロ会議の前、シナが対日戦に取り残されるとの不安を持っていたが、公式声明で疑いは晴れた。
(2) 方針・戦略の大転換が行われるなら落胆せざるを得ずシナは長くは保たないだろう。
(3) 早期の独軍敗退が全体としてシナと連合国にとって大きな利益であるとの貴殿の考えは理解する。
しかしシナ戦場での敗北は全世界的戦争にも影響を及ぼすだろう。従って、現今の重大な状況を救う
ためには、貴殿の勧告を受け入れ難い。国民の抵抗を継続させる私の責任がますます困難になることは
貴殿もお分かりと思う・・・シナ戦線の危険は軍事力の弱さだけでなく、むしろ危機に陥っている
経済状況による。これが国民と軍をいつ崩壊させるかわからない。軍事的・経済的状況から見て、
わが軍は6カ月、11月までは保たないだろう・・・テヘラン会議声明から、日本は、連合国軍は欧州に集中し、
シナを放棄して日本軍の機甲・地上部隊に任せたと判断するだろう。来年中にシナ問題を解決することが
日本の戦略となろう。従って、日本は遠からずシナに対して総力戦を仕掛け、後ろの脅威を取り除き、
落ちつつある軍の評判を回復し、太平洋での実績を誇るだろう。いま私はこの問題に直面している・・・
http://midi-stereo.music.coocan.jp/blogcopy/hoover/hoover13.htm >>105
劣った奴等に勝っても当たり前、自慢にならんよw 190 名前:名無し三等兵 :2018/04/15(日) 00:01:49.47 ID:BYlyt+Ny
BS1で残留ベトナム人妻番組
始まった イギリス軍の円筒陣地なんか無視して、インパールに突進すりゃ良かったんだ。 >>107
日本人は中国人よりは圧倒的に優秀だが? http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1804/24/news077.html
円谷プロ、米国のウルトラマン海外権利訴訟で勝訴 タイ人実業家の契約書は「真正ではない」との判断 k
「長い係争のいわば集大成」の判決と円谷プロ。
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!wタイwざまw >>111
インパールも防御なされているし、なにより戦車旅団が居るんだが?
平地をエッチラオッチラ歩いて行ったら踏み潰されるぜw インパール作戦の批判本は中身はみな、お決まりのほぼ同じ内容ですが、
定説化されたそれらは事実を歪曲しておりデタラメです。
1ヶ月程度でインパールを攻略するというこの作戦は、
さほど無謀な作戦ではなく、また作戦計画(補給を含めて)も十分に練られたものであり、
予定通りに普通に作戦を遂行していれば難なく成功していた作戦です。
このことは連合軍の司令官、参謀など当時の関係者の多くがそのような
見解の記録を残しており、日本での定説、評価とはまったく異なります。
連合軍側の見解では、師団を指揮した師団長(特に31師・佐藤、33師・柳田)らが
あまりにも消極的で進行を遅くさせ、そのために日本軍は勝てた作戦で負けに転じた
(わざと勝たせたとも)と評してます。
これは多数の連合軍関係者が同じ見解です。英国公刊戦史にも記載されてます。
その他にもインパール作戦では定説化された嘘が多数あります。
●補給を無視した、補給をしなかった、険しい道なき道を進行したという定説の嘘
補給が無かったのは参加した三個師団のうち、31佐藤師団だけです。
他の2個師団には補給されてます。
また33師団は連合軍の物資集積拠点をほぼ無血で確保し有り余る物資(武器、弾薬、車両、燃料、食料)
を得ており、もし補給なしでも物資を持て余しています。
(シンゲルで師団2か月分の物資を確保したとの記録があります)
15軍の作戦計画である期間の1ヶ月程度、長くても2ヶ月程度では補給はまったく問題ないです。
(作戦が延長され4ヶ月にも及んだのは、参謀本部、南方軍の判断で牟田口の判断ではありません) 補給が無かったのは31師・佐藤師団だけです。
しかしこの部隊は敵の背後へ回り込むという、日本軍がもっとも得意とした迂回、浸透戦術の部隊です。
こういった特殊な任務の部隊は、普通、作戦が終了するまで補給が無いのは当たり前です。
佐藤師団長も、そんなことは百も承知だったはずです。
実際に15軍の想定した1ヶ月は物資に何の問題もありませんし、
2ヶ月間は問題無かったわけですから、補給が尽きた責任は15軍・牟田口の責任ではありません。
作戦延長の判断は参謀本部によるものです。
(参謀本部の判断は中国からB29で日本本土を空爆するという連合軍のマッターホルン作戦を阻止すべく発令された
大陸打通作戦との兼ね合いから、ビルマに米支軍を引き付ける意味でインパール作戦がさらに重要となったため)
(またチャンドラボースも作戦中止に猛反対したため、日本軍のインパール作戦中止の判断が遅れました)
進行経路は険しい山岳地帯の道なき道を進行した、という話も嘘です。実際には道路が完備されています。
33師団、15師団の進行経路は全てトラックが通れる道路が整備されてますし、
もっとも険しいとされた佐藤31師団の進行経路でさえも、実は連合軍側によってジープ道が整備されており
それを利用し道なき道では無かったことが判明してます。
牟田口15軍はそれらを綿密に調査した上で作戦を立てています。
●参謀ら皆が無謀だと反対していたという嘘。
参謀らが反対したのは、以前の計画のウ号作戦です。
これはインド、アッサム州を攻略するという作戦であって、
それより遥か手前のインパールを攻略するインパール作戦とはぜんぜん別物です。
話がスリ変えられています。 ●白骨街道の嘘
撤退時に飢餓で苦しんだのは15師団(山内師団)だけです。
31師団(佐藤師団)と33師団は飢餓に苦しんでいません。
また餓死者が多数という話も嘘です。
飢餓に苦しんだ15師団でも、餓死という記録はまったくありません。
負傷兵が撤退をあきらめて自決したのがほとんどです。
撤退時に飢餓で苦しんだのは15師団の特に60連隊(松村連隊)だけです。
しかしこの白骨街道の話の当事者である60連隊の公式連隊記録(二つの河の戦い)は驚くべき内容です。
60連隊が悲惨な撤退を強いられた原因は、佐藤師団の抗命、無断撤退が原因であるとして、
佐藤師団を激しく非難した内容です。牟田口に対する批判は一つもありません。
60連隊が飢餓で苦しむ2ヶ月の撤退を強いられた要因は(白骨街道となった)
佐藤師団(烈師団)の無通告撤退、撤退時に集積所の食料を強奪したためだと明確に書かれ、
31師、烈師団を「劣師団」だと激しく非難しています。
インパール作戦の資料として日本で最も価値のある一次資料は
この60連隊の公式連隊記録(二つの河の戦い)で間違いありません。
連合軍側の資料では、スリム中将の「敗北から勝利へ」です。
全てのインパール作戦本は、この二つの資料をソースとして書かれているはずです。
奇しくも両資料とも、佐藤師団に対する激しい批判が共通しています。そこに重点が置かれています。
牟田口15軍に対する批判はまったくありません。
しかしどの書籍にも、この肝心要の両資料の一番言いたかったことが作為的に削除、改ざんされてきました。
(スリム中将の佐藤批判を、牟田口批判であるかのように改ざんされてます)
他にも定説化されたインパール作戦批判は、事実の歪曲が多数あり突っ込みどころが満載です。
とても書ききれません。
なおこれらの貴重な情報は歯科医師、軍事研究家であった故・大田 嘉弘氏の功績です。
氏が始めてその全貌を書籍で明らかにしました。 >>1
√ ̄ヽ--ヘ O―〜,
/ ☆ ヽ || ● |
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/ ヘ (__人__) |<牟田口廉也は、ヒトデナシ でアリマス!
/ヽノ彡,,.. .|∪| /
/ 丿,, /\ヽノ/ゝ 丶
(  ̄jヽ,/_l ヽ
\ ____ ̄{。 _____ }
ヽ、,,_, {---} }。 {---} j 大日本帝国と中華民国の戦争は最終的に、中華民国の国家主権が完全否定される形で終結した。
日華平和条約を結んだ中華民国はその時点で国家主権無き亡命政権だったからだ。
この点、戦時の一時期は亡命政権でも、終戦時には主権国家となっていた自由フランス政権とも異なる。
対日戦争では聯合国の一員である中華民国が国家主権を失った状態で終戦したのである。
アジアの“歴史の政治”
アジアの状況も、それに劣らず興味深い。そこにも、ニュルンベルク裁判に似た裁判があったが、
欧州のように道義的政治的一義性が獲得されることは、決してなかった。
https://jp.rbth.com/opinion/2015/09/02/394013
連合国vsナチスドイツ+枢軸諸国→ポツダム協定で完全決着
連合国vs大日本帝国→未決(そうでないなら台湾の帰属先は?)
1945年9月2日を『無条件降伏』と呼ぼうが何と呼ぼうが、戦勝国合意が全く形成されなかった。
聯合国が勝利したとのことなら戦後の世界秩序も勝利した聯合国が決めて然るべきであろう。
しかしながら台湾の帰属先は未定のまま、つまり聯合国は国際法上、大日本帝国に勝利していない。
大日本帝国と中華民国の戦争は、大日本帝国が中華民国のチンピラゴロツキ3500万を斃し、
その国家主権を丸ごと剥奪して亡命政権にした状態で、1952年に日華講和条約を成立させて終結した。
異論があるなら何なりと! 今年もインパールに頼るらしいNHK!w
あと30いや50回は放映されそうw 「インドの独立に繋がったのでした」とか言われると恍惚の表情で手のひらかえすくせにw >>122
ではNHKへの報復として山本五十六叩きを
さらにやりまくるしかないwww 昨日みたいな シュモーさん の番組ならいいNHK
誰も傷付けず感動する内容!!
クエーカーが神道みたいに見えたw >>104
インパールの英軍と言っても、途中の英軍は蹴散らし取るよ
ウィキペディアでは
(但しこれは連合軍側の重点防御地域でなく最初から放棄地帯とされ防御を固めたインパールへ日本軍をしむける罠)
とか書いてあるけど、実際はんなわけが無い
例えば、途中で英兵5000名を撃破して一個師団二ヶ月分の補給物資得たりしているわけで、普通に英軍敗走してたりする。おまけに物資処分も失敗というオマケ付き。
まあ問題は、道中に存在する英軍のボックス陣地崩すのに苦労しちゃったからインパール到達前に思わぬ消耗しちゃってるけど 途中の英軍の撤退はスリムの指示だし。
柳田師団長はスリムの策略を素早く察知して作戦中止を申し出てたのに、強行して大失敗したわけ。 >>127
ちょっと違う。柳田師団長が察知したのは後方遮断をしても英軍が後退しない。
という変化。流石にそれが航空補給のせいだとまでは分からなかった。 今日発売の雑誌でインパールの特集してて「敗因は補給のせいではない!」、
みたいに書いてて全部読んでみたけど、あんまりイメージは変わらんな。 >>129
その雑誌では、何のせいで負けた事になっているの? >>130
えーと、イギリス軍の戦術の変化らしい。
戦況は細かいとこまでわかるので読んでみるといいよ。 イギリス軍の戦術と言っても日本軍の補給軽視があってできた戦術だろう。
スターリングラードで包囲されたドイツ第6軍に、どんだけ
物資を空輸してもソ連軍には勝てないし。 シンゼイワ包囲作戦でもあるように、そもそも日本軍(特にビルマ方面)の弱体が原因だろ
あんなん、いくら米や弾薬送ったところで瞬発火力で負けてるんだから一発事に百発お返しがくる状況に何ら変わりは無いし、日本特有の軍備の歪さから、近接戦闘では不可欠のSMGに圧倒されるんだからさ…
杜撰な作戦ばかり責めるけど、そもそもどんな有能な監督でも二流チームをプロで活躍なんて出来ないのと同じだ 日本軍は兵站を得ても、英軍にはどう逆立ちしたって勝てっこないのだ
日本が守勢に徹すれば英軍を撃退する事も出来なくはないかもしれないが、攻勢に出るなら英軍の3倍は強くないと無理なんだ
でも実態は3倍どころか1倍切ってるんだ エルアラメインが影響してる
あの勝利で優先度が高かった中東戦線が消滅し、極東にある程度戦力が来るようになった。
例えば、第二次アキャブ作戦で退治したインド第七師団は、中東でロンメルとも戦った精鋭で
前年のインド14師団とは全く別物 まあ、攻勢に出たのが間違いだな。ビルマは南北に一本の大河が流れてる、それを盾に防御戦闘
した方がマシだった。北のマンダレー南のラングーンの西側で河は3本に分岐していて防御には適
してた。 佐藤師団長は攻勢ではなく河川での防御を構想していたとかきいたな。
まぁどのみち押し切られるわけではあるんだが。 ドイツがエルアラメイン、スターリングラードで戦ってる
最も重要な時期に
日本はこれと連携せず、どこ行ってたんだ?
このときもし日本が西亜作戦をやっていれば英ソは大敗し
戦争は終結できていた。 >今日発売の雑誌でインパールの特集してて「敗因は補給のせいではない!」、
>みたいに書いてて
「歴史群像」の古峯文三氏の記事だね。
最近陸戦の記事書き始めたけど、意図してか分からないが
氏の記事は誤解を招きかねない書き方をする。 >>139
西亜作戦なんて存在してないよ、土足くんw ◆太平洋に消えた勝機 佐藤晃著 光文社ペーパーバックス
この状況で、ドイツとイタリアが日本に有力艦隊の派遣を熱望し、わが国がそれに応じようとしたのは至極当然である。
帝国海軍空前の有力艦隊による通商破壌戦が、インド洋で展開していたらどうなっていたであろうか?
7月11日、軍令部総長・永野修身は「作戦正面のインド洋転換」を上奏した。
《独伊のマルタ島攻略及び独軍の近東方面進出も可能となり、又枢軸不敗の態勢確立の可能性も著しく増大》したので、
今後は《第2艦隊及び第3艦隊を基幹と致します兵力を持ちまして、インド洋中部、情勢によりましては
其の一部を更に西部インド洋方面に進出せしめ、同方面の敵艦隊及び船舶を捕捉撃破しますことを考えております》
同時に参謀総長・杉山元は、インド洋作戦の根拠地として「セイロン作戦(西亜作戦)」を上奏した。
開戦前の「基本戦略」の1つ《独伊と提携して英を屈服〉させる作戦がまさに始まろうとしていたのである。
が、この「作戦正面のインド洋転換」は、結局は実施されなかった。 7月中旬、機動部隊を中心とする日本海軍の有力部隊のインド洋派遣を聞いて、独軍は沸き返る思いであったという。
日本の連合艦隊がインド洋で英軍の補給路を断てば、カイロに武器、弾薬は届かない。
また、ソ連軍の兵站も失われるのである。
すでに英国東洋艦隊は開戦初期においてわが軍に手痛い打撃をくらっていたし、
その後急遽本国から空母を含む艦船が増派されたものの、前記したようにわが連合艦隊の敵ではなかったからだ。
かくして、8月30日、。ロンメル軍はエル・アラメインの英軍.に総攻撃を開始した。
だが、英軍には、この時点でもインド洋経由で膨犬な戦力が補充されていた。
インド洋輸送線は完全に機能していた。9月3日には、米国から300両のM4戦車と100両の対戦車自走砲もスユズに陸揚げされた。
10月23日、逆にモントゴメリーが攻勢に出た。英軍は後方輸送戦に勝利したのである。
11月4日、ついにロンメルは全軍に総退却を命じた。
11月8日、米英連合軍は北アフリカ西部に上陸、英国とソ連が切望した欧州第2戦線の誕生である。
ロンメルは東西から挟撃され、スターリンクラードではソ連軍が反撃を開始した。
なぜ日本軍はインド洋を放棄したのであろうか?ミッドウェー以後ガダルカナル島のような戦略価値の皆無の島で、
航空部隊の自滅戦にも等しい戦闘を続け、戦艦も空母も惰眠を貧ったのであろうか? (P88〜P93) 帝国海軍の大戦果。マスメディアの反日報道。これらは、ウソの代名詞である。
いまだに、「日本人はあの戦争からなにも学びとっていない」などという新聞記事を目にすることがある。
おこがましいことを言うものである。
マスメディアからウソばかり知らされてきた日本人が、あの戦争からなにかを学びとることは、
一般論としては不可能ではないか。
日本人はあの戦争からなにかを学びとる前に、まずあの戦争の全容と真実を知ることが先決ではなかろうか? (P220〜P224)
https://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/1fca4cec2c119c6c8278ace1c3ac3244
なんどみても佐藤晃のその的確な指摘には脱帽www >>82
牟田口「イギリス軍に評価してもらえる自分すごい」みたいな感じ
イギリス軍に入隊したほうが良かったんじゃないのかな
イギリスで才能開花させてくれよw スターリングラードの戦いこそが欧州戦の天王山であり
日本が西亜作戦、インド洋作戦で独伊と連携し
それによってペルシア回廊の補給路とバクー油田を失えば
ソ連は窮地に断たされる
これで枢軸国は勝てる。
これは新たなオリジナルの主張だと思っていたが
よくよく見ると、佐藤晃もそのことをちゃんと書いている。
この人はダントツに凄すぎるw 感心するのは、東条は勿論、参謀本部も軍令部も
インド方面の作戦の重要性を、ちゃんと認識していたという事実。
「失敗の本質」というインチキ本によると当時の軍は
バカばかりで駄目組織の典型だったというのが定説だが
ぜんぜんそんなことはない。
軍部はちゃんと正しい世界情勢も戦略も把握していたのだ
にもかかわらず、なんで日本は愚かな太平洋戦線、対米戦に集団暴走
したんだろうか?
日本全体がたった一人の悪魔の扇動師に導かれとは、真の失敗の本質の究明を
しなくちゃな。 >感心するのは、東条は勿論、参謀本部も軍令部も
>インド方面の作戦の重要性を、ちゃんと認識していたという事実。
が
>日本全体がたった一人の悪魔の扇動師に導かれとは
その扇動師に騙されるのかね土足君w >開戦前の「基本戦略」の1つ《独伊と提携して英を屈服〉させる作戦がまさに始まろうとしていたのである。
何故彼らがそれをしなかったのか?
それはアメリカが黙っていないのが自明の理だからである。
であるならばアメリカに先制攻撃したほうが有利であると考えた、ということが分かる。 >>150
ドイツを支援したいなら、満州から対ソ戦した方が良いじゃないか。
インド洋周りより直接的だぞ。 >>151
西亜作戦はやったほうが良い。
インド、イラン独立支援。
後に関東軍がやるべきは対ソ戦というより、これもシベリア独立支援だな。
白軍を結成してそれを支援する。
武力なんか使うまでもなく勝てるわ。 >>150
大手新聞社と海軍省記者クラブが中心になって
マスコミがアメリカを撃つべきだと大宣伝して扇動したから
国民の大部分が、そう思い込んだんだろ。
当時の新聞社は拡販が最優先目的で、国益なんぞサラサラ考えていない
チンピラのような組織。
しかもそいつらが戦後に権力を握ったから
その影響は80年たっても収まらない。 >>153
西亜作戦なんて具体的な作戦計画は存在していないよ、土足君w >>154
>国民の大部分が、そう思い込んだんだろ。
統帥部は国民の意見を聞き入れて作戦計画を作成したのかね?
こりゃ驚きだw ≫157
例によって精神主義だったからね。
アメリカでは現場ではトラクターが走り回っていたのに、満洲ではリヤカーに機材を積んで探鉱していた。
『日本軍はなぜ満洲大油田を発見できなかったのか』、岩瀬昇。 >>155
西亜作戦というのは通称名だが、1942年7月11日に陸海軍が同時に
インド方面の作戦を上奏している。
これが西亜作戦だろ。
ドイツのエルアライメン、スターリングラード作戦とドンピシャに
連携してるな。
アメリカはこれを妨害するかのようにガダルカナルを攻略してきたが
これは偶然とは考えられない。
明らかに慌てて陽動作戦に打って出たんだろうな。
そんなミエミエのエサに食いつくとはバカにも程がある。 >>157
当時、アジア最大の油田はインド、アッサムの油田。
そして中東コーカサスの油田。
西亜作戦は、これらを攻略する作戦なんだが? それからシベリア、イランの独立支援と書いたが
そのためにユダヤ人に協力してもらえばよい。
これは我ながらグッドアイデア
多くの問題が一気に解決できそう。 正しくは
エルアラメイン作戦だったw
北アフリカ戦線と言ったほうがいいな。
日本人からすると、日本から遠い北アフリカ戦線やカスピ海付近の戦いなんぞ
日本には直接関係無い。
そんなとこより、アメリカ艦隊撃滅の方が重要だと思ってしまって仕方が無いな。
おれもそう思ってたから。
そもそもソ連を敵国とみなさず開戦とか、話がおかしいから
未だに西亜作戦、インド洋作戦の重要性は
日本人にまったく理解されて無い >>160
それでは具体的な作戦とは言わないよ、土足くんw
単なる着想。 構想だけなら米本土空襲ってのもあったよ。ドゥーリトルの東京空襲なんかに驚いてミッドウェイ
作戦なんかやるより、米本土空襲の方が良かったな。 結局は山本五十六のやった
真珠湾奇襲、ミッドウェー海戦、ソロモン消耗戦
戦術がどうこう言う前に、戦略的にすべて大失敗で
連合軍側の思惑通り、まったく敵の思う壺じゃないか。
すべてが日本が本来やるべきだった西亜作戦を
ひたすら邪魔する結果だけにしかなっていない。
東条はガダルカナルへの兵力投入に猛反対したそうだが
たしかにそれは正しかった。 >>166
結論から言えば何をどうやってもアメリカには勝てないのだよ、土足くんw
>日本が本来やるべきだった西亜作戦
具体的には誰も策定してないんだよ。 >>169
だったらソ連に勝つしか、日本に道は無いじゃないか。
なおさら西亜作戦しかない。
西亜作戦はソ連軍の補給路を断つための作戦。
主力は新たに結成する
インド軍、イラン軍
こういった戦略を宣伝すれば、どんどん援軍が集まる。
基本はすべて現地調達 おいおい中東経由のレンドリースなんてたかが知れてるぞ
ソ連を勝たせたのはベーリング海ルートの兵器援助だ
これさえ塞いでしまえばドイツは敗けない
アメリカとソ連に宣戦し、可能なら拿捕、だめなら撃沈
連合艦隊の半分が米機動部隊を相手している間に
残り半分でレンドリース船団を叩き
西海岸のフォード工場に決死兵団を揚陸し破壊の限りを尽くす 俺が思うに航空機だけ連合軍並みに製造して、陸海兵力スカスカでよかったと思うよ
ただしその分工作機械や特許料、技術など一切の金を惜しまずドイツなどから導入し、戦前から国防費のうち大半を割いてな
史実でも79123機の生産数で、ドイツの117881機やイギリスの131549機、ソ連の158218機にかなり善戦しているが、連合艦隊や最大時200個師団を抱えてこれだからな?
航空兵力に徹すれば、中国全土を焦土に出来るし、スレタイのインパールだって航空爆撃と制空権だけで必要性がなくなる >>172
実際そんな感じだよ。戦車の生産台数も比べてごらんよ。
チハ約2100両、T34やシャーマン、それぞれ4万〜5万両以上。 軍事力だけに頼るのは
頭の悪いバカの考え。
それよりも大義に勝る力は無い。
インド、イラン、シベリアを独立国家にする。
この大義だけで日本は勝てたわ。 インドを独立させようとしてどうなっだか見れば一目瞭然。
時代は遡るが明確なビジョン無くシベリアに出兵してパルチザン相手にどうなったか。
イラン、はて。
荒唐無稽な絵空事でしかない。
結局どうやったところで何も変わらない。 >>171
日本陸軍「航空機超重点主義とか戦闘機超重点主義と当時言われたものがあってだな」
なお普通にそれやっている模様
つうか、wikiだと「日本軍の航空支援は皆無だった」なんて書いてあるけど実際のインパール作戦で日本陸軍第5飛行師団はかなり出撃しとるし、
地上部隊のインパール包囲が無いなら街道経由で輸送するから空襲だけじゃ第14軍は叩けんよ >>175
海軍さえ足を引っ張らなきゃ
すべて上手く行ってただろうな。
シベリア独立もイラン独立も
何をやられたら敵が困るか、考えればわかるはずだが
海軍がアホだから、全てが上手く行かなかったわ 日本の航空兵力は山本五十六のアホが
無駄なソロモン消耗戦で壊滅させた。 インド独立もかい?シベリア独立すら出来なかったのに >>176
実際にスピットファイアの「街道荒らし」に襲われまくった地上部隊からは
日本機はさっぱり見なかったと評されているがな。
地上攻撃を恐れて、航続距離が長いよを利用してタイから航空支援するから
一回の攻撃でほんの短い支援しかできない。出撃したと言う実績だけで中身なし。
一方イギリス空軍は近くにたくさん空港つくって、一日に何回も出撃して地上部隊を支援しまくった。
純粋な航空戦でも圧倒してたしな。 >>179
1942年8月にインドでは「インドを立ち去れ運動」という
反英運動が起きており、タイミング的にはこのときが好機。
欧州戦線は北アフリカ戦線、スターリングラード作戦で
独伊が攻勢に出ている時で、それに日本の艦隊を派遣すれば
インドだけでなくイランも同時に一気にアジア独立の
流を作ることができたはず。
実際にドイツからも矢のような催促が来ているし
インド国民も日本軍の進行に期待をしていたはず。 >>181
半年間も猛訓練してるんだが?
だから牛の半分を渡せたわけで、訓練してなきゃ全滅だろ。
この夜間渡河作戦は大成功で、連合軍は
まったく察知できなかった。 シベリアではシベリア出兵の時に極東共和国という
独立国家が誕生している。
日本軍が撤退したのは大失態で
それによって消滅している。
日本の撤退の判断は大馬鹿だな 80年前の愚行を悔やむ一方で、
80年後のための投票には行かない
あゝ日本人 >>183
雨の降らない季節に干上がった川で猛訓練したってわけだ。
牟田口の無能ぶりがよくわかる話だな。 >>186
あんたバカ?
作戦開始は乾季だが?
その時、河は干上がった状態だったと? >>187
渡河作戦大成功なら、弾薬にも食料にも困らなかったってわけだ。
牟田口以上の大バカ者がいたなwww >>180
>地上攻撃を恐れて、航続距離が長いよを利用してタイから航空支援するから
ビルマから出撃しとるけどタイからって一体何言っているんだ?
第五航空師団はほぼ毎日のように20〜50機前後で出撃で、基本的に飛行場攻撃で主にインパール上空の制空戦闘している
連日インパール上空は日本戦闘機に飛ばれており、相応の損害や苦戦をイギリス空軍食らってるが
日本側の航空作戦は5月末でさっぱり止まるが航空戦でイギリス空軍は圧倒なんてしてないよ >>189
>第五航空師団はほぼ毎日のように20〜50機前後で出撃で
地上で10万人以上戦ってる作戦で数十機の航空機って多いかな?
同時期のイギリス軍は何機くらい飛ばしてたの? >>187
あんたバカ?
補給が無い31師団でも作戦開始の3月15日から
5月一杯は物資に問題ない。
15軍が想定した作戦期間を大幅に超えてるが
この間問題なかったということは
15軍の補給計画は妥当だったと言う事 第五飛行師団も一応インパール作戦に参加してるが
こちらは南方軍が指揮しているため
まったく連携が取れていない。
敵飛行場攻撃都とウインゲート空挺団のほうに全て兵力を投入し
肝心要の地上部隊支援をまったくやってない。
とくに33師団が敵インド17師団を包囲した際、ここへ投入してれば
敵はガタガタになって降伏していたのは確実だった。
それより何より、無駄にソロモン方面で消耗戦をやったことが
日本の決定的な致命傷だな。 それから牟田口は飛行師団長に
支援を断ったと伝えられている。
渡河作戦だけ頼む。あとは支援はいらんと。
しかし、この話は捏造された嘘の話。
渡河作戦は夜間に実行しており
そもそもこれへの航空支援は必要ない。
とういか、せっかく敵に察知されないように隠密に渡河してるのに
ここで航空機が支援しいたのでは、敵に作戦がバレてしまって元も子もない。 前にも行ったが俺参謀は牟田口軍司令官に毒ガス攻撃を具申するッ! >>192
うむ。ソロモン方面では日本は、ガダルカナルで2000機、
ソロモン全体では一万機以上の航空機を損耗してるからな。
その一部でもインパールに持ってこれたら。 ソロモン方面で1万機以上の航空機消耗といえば
単純計算で飛行師団に換算すると
約100個近くの飛行師団が消滅したことになる。
・小隊:4機
・戦隊:36機(小隊×3 中隊×3)
・飛行師団:108機(戦隊×3)
これだけの航空機をソロモン方面ではなく
ビルマ方面に投入していればな
そもそもビルマに1飛行師団しか無いのがおかしい
(海軍はゼロ) >>172
>工作機械や特許料、技術など一切の金を惜しまずドイツなどから導入し
一方、ドイツは蒋介石を支援していたわけだが(苦笑 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています