>>177
 ・帝国主義的を拡大に貢献した指導者や、現在は人種差別主義者と考えられている人物の彫像は撤去すべきだという主張は明快だ。
すなわち、こうした人物に反感ではなく尊敬の念を抱く人々にとって、彼らの彫像は今も心の拠り所になっている。彼らを尊崇する人々は、歴史上の英雄と見なす人物と自分を同一視し、その同一化によって力と自信を得ている、というのだ。
これに対して、これらのモニュメントを破壊すれば、歴史そのものに対する理解が部分的に失われてしまう、という主張がある。
だが、これまでの数十年、あるいは数世紀と同じように彫像が建っているだけでは今や不十分だ。モニュメントには説明、議論、反対意見、あるいは「対抗的モニュメント」が添えられるべきである。
たとえばスターリン像に対して、偉大な反体制派であるアレクサンドル・ソルジェニーツィン、あるいは痩せこけた矯正労働収容所からの生還者の彫像を対抗させる、といったやり方だ。
活動家はこうした方法をきっと馬鹿にするだろう。だがそれは理性に訴えかけ、現在のような、憎悪のエスカレーションになりかねない事態を回避するうえで役に立つ可能性がある。

ttp://jp.mobile.reuters.com/article/amp/idJPKCN1B30AO

いやーほんとどうなるんでしょうね銅像問題